最近の記事

『「モディ化」するインド』を読むべき

 最近『「モディ化」するインド』という本を読み、これが非常に面白かった。元々はX(旧Twitter)上で見かけた"インドの政界には、「金力」(資金力)と「筋力」(暴力)にものをいわせてあまたの犯罪行為に関与してきた政治家(より正確には、政界に進出した犯罪者)が多数いることが、以前からよく知られていた"というパンチラインから興味を持ったが、結果としてインドのモディ政権に対する見方が大きく改まった。特に印象に残ったのは次の三点 ①インドはもはや民主主義国家ではなく権威主義国家に

    • 宇宙から見た地球

       かつて「宇宙から国境線は見えなかった」と言った宇宙飛行士がいた。確かにそうかもしれない。けれど、宇宙から見れば、戦争や犯罪で人が死んでいたり、飢餓や疫病でたくさんの人が喘いでいたり、肉食獣が草食獣を延々と殺し続けていたりしても、地球は美しい青い球体でしかないだろう。それは地上の一体一体の生物が生きる環境からはかけ離れた視点と言わざるをえないし、一方でわれわれは地上に生きる些末な一体一体の生物でしかありえない。  われわれ人間は一人ひとりが個体として外界や他の個体と切り離さ

      • どこまでこの道を掃く

         ミヒャエル・エンデの名作『モモ』には、ベッポという道路掃除夫の老人が登場する。ベッポは主人公モモの友人で、毎日道路を掃いて過ごしている。彼の掃除の仕方の特徴として、作業中にゴールを考えない、というものがある。あとどれくらい掃くかということは考えず、ひと掃き、ひと掃き、目の前の道を掃いていく。そうするといつの間にかその日に掃くべき分が終わっている、と彼は言う。灰色の男たちが町にやってくる前の、道路を掃き、またときどきモモたちと話して過ごす彼の生活は幸福である。  私が新卒で

        • 「優しいネオリベ」以外の出口はない

           先日、朝日新聞の連載「藤田直哉のネット方面見聞録」で「『ひろゆき』に頼る者を」非難できるか」という記事を読んだ(一応リンクはこちらだが有料記事。私は紙で読んだ。(藤田直哉のネット方面見聞録)「ひろゆき」に頼る者を非難できるか:朝日新聞デジタル (asahi.com)。内容は伊藤昌亮の「ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」(〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか | WEB世界 (iwanami.co.jp)

        『「モディ化」するインド』を読むべき

          脳神経外科に

           高校三年生の二月になると、学校は自由登校になる。授業は当然ないので、登校しようがしまいが単に自学をすることになるのは変わらない。だから、自宅では集中しづらい人や教員に添削を依頼する人だけが集まって、暖房のあまり効かない教室で黙々とペンを動かし続けることになる。その日はS、D、K、と私の4人はいたが、そのほかに誰がいたのかは覚えていない(たぶんほとんど誰もいなかったのだろうと思う)。   SとDが廊下側の席で何か話していた。この二人は同じ名字で、ともに理系の秀才で、よく前後

          脳神経外科に

          世界は世紀末の夢を見る

           ずいぶん前になるが、『たぶん悪魔が』という古いフランスの映画を見た。1970年代あたりのフランスで、あるエリート男子学生が自殺に至るまでの顛末を描いたものだった。明快な筋書きがあるわけではなく、いくつもシーンを並べることで何かを象徴的に浮かび上がらせるタイプの作品のようだった。  乏しい批評眼で見た限りだが、共同幻想の消滅、資本主義と国家の暴走、それらによる虚無的・終末的なビジョンが主なモチーフになっていた。物語の序盤、主人公は新左翼の集会や教会の説教に出席するが、そのい

          世界は世紀末の夢を見る

          なぜ国民民主党を支持するか

          私は国民民主党の支持者である。選挙まで間があるうちに、その支持する理由を書いておきたい。 おおまかにいうと以下2つになる ①時間をかけてでも政権をとれる政党を育て、自民党と立憲民主党がもたれあう政治の構造を打破したい ②その政党は政権をとれるだけでなく、政権運営をするに足る政策を持っている必要がある。 現状、国民民主党はこの①②にともに合致すると思っているのが支持する理由である。 ①②について少し説明する。 ①について、(知っている人には今更過ぎる説明だが)以前日

          なぜ国民民主党を支持するか

          さよならメビウスリング

           中学生の頃の一時期、メビウスリング掲示板をやっていた。累計で5つくらいのハンドルネームを使って、自分で立てたものも含めて20くらいのスレッドに入っていたように記憶している。  中でも一番続いていたのが「深い話がしたいです」というスレッドだった。タイトル通り、周りの親や教師や友人などには話しづらい、深刻な疑問や相談をするという趣旨の場だった。私は最初か2番目くらいの投稿者としてそのスレッドに入り、結局ほぼ最後まで残っていた。当時の私には何も生きがいや目標がなく無気力な日々を

          さよならメビウスリング

          CIVILIAN「人間だもの」について

           この頃知ってとても好きになった曲に、CIVILIANの「人間だもの」がある。語句として明示的には出てこないものの、クリスマスに恋人から裏切りの告白を聞かされるというのが大筋の内容になっている。  最初らへんの「街は今華やかな飾り付け 壊れたカメレオンみたい 場違いな僕らは」がまずとても良い。比喩として洒落ているうえ、きらきらした周囲の世界とおかしくなった「私とあなた」の世界との対比をうまく示している。ここのおかげで、のちに「私とあなた」の世界がどんどん歪んでいくときに、周

          CIVILIAN「人間だもの」について

          祝祭と地獄と日常と

          マスメディアでもSNSでも、東京五輪の熱狂やドラマと、新型コロナウイルスの感染拡大や病床逼迫のニュースとが交互に流れていく。そんな日々が二週間ほど続いた。このすさまじいコントラストを見て、何か感じた人も多いと思う。東京五輪が終わる今日、これに関連して二つ言いたいことがある。    一つは、五輪が終わってからも、同様の状況は存在し続けるということだ。これまでも、素晴らしいスポーツの試合が行われたその日に、飢えに苦しんでいる人がいた。感動的なコンサートがあったその日に、死病

          祝祭と地獄と日常と

          「映像の世紀「夢と幻想の1964年」」(NHK)記憶メモ・雑感

          1964年の東京オリンピックも実はグダグダだったのではないかという意見をときどき耳にする。前回の東京五輪は一般的に良いイメージがあるが、それは回想によって生まれたものにすぎず、現在グダグダ感が溢れ出している今回の五輪も後になればよかったものとして語り継がれていくのではないかという見方である。  今日の午前、NHKの「映像の世紀」で、1964年の特集をやっていた。ちょうど、前回のオリンピック当時の様子を知るいい機会だったので見てみた。以下、記憶に残っているシーンや発言をメモし

          「映像の世紀「夢と幻想の1964年」」(NHK)記憶メモ・雑感

          それほどの義務がありますか――自粛について――

          現在、新型コロナウイルスにかかわる緊急事態宣言が4都府県に、蔓延防止等重点措置が7県に発出されている。一応期限はいずれも5月11日となっているが、延長が検討されているという情報があったり、新たに発出を要請する県があったりと、対象地域が増える気配はあっても減る気配はない。一方で、この大型連休の人出は昨年の同時期と比べて大幅に増えたようだ。  私はこうした自粛をしない人々について、非難できる度合いはかなり小さいと考えている。より正確に言えば、初めから自粛をほぼしていない人々には

          それほどの義務がありますか――自粛について――