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資産運用が好調な時ほど地に足をつく。

本業で賃金を得るのがアホらしく感じる。

 ここ数日、米国のインフレ鈍化に伴う利上げ幅の縮小を期待して、株式への買いが集まっている影響からか、日本株、米国株共に上昇傾向にある。

 実態として、円安に伴う輸出企業の業績を織り込んだ株価となっている銘柄もあれば、実体経済と乖離していると思わざるを得ないような値段を付けている銘柄も散見される(個人的な感想)。

 そのため、要所要所で利確してキャッシュを厚くしたり、割安だと思う銘柄に組み替えるなど、徐々にではあるものの、インカム重視でディフェンシブなポートフォリオに変化させている。

 その甲斐もあってなのか、偶々運が良いのか、若しくはその両極のグラデーションなのかは神のみぞ知る世界だが、ポートフォリオの9割超を株式で保有している私としては、8月中旬時点で月初来+4%の含み益を生み出している。

 年率4%で運用出来れば御の字と思っているのに、8月のおよそ20日間で、ポートフォリオ全体で+4%程の含み益が出ているのだから、どう考えても相場は好調である。

 もし、仮に1,000万円を運用している場合、20日間で40万円が増えたことになる。一斉に利確して税金を差し引いても、手数料を無視すればおよそ32万円のキャッシュが増える計算である。

 20代の鉄道員からすれば、手取りのおよそ2ヶ月分のお金を、たったの20日間で、それも金融資産に働いて貰って得たことになる。1,000万円規模まで蓄財した賜物とはいえ、フルタイムで働いて十数万円の賃金を貰うのがアホらしく感じてしまう。

 勿論、長期的に見ればプラスとマイナスを繰り返しながら徐々に成長していくのが有価証券の特徴であり、今後予想される下落を踏まえると、増加した利益を全額使い果たしてしまうのが得策ではないことは重々承知している。

 以前にも記したが、トマ・ピケティさんが証明したr>gの不等式にあるように、経済成長率よりも、金融資本の増殖スピードの方が速いことを肌で感じている。

臨時収入の使い方で本性が現れる?

 さて、8月に本業よりも大きな含み益を叩き出し、リバランスのためとは言え、一部銘柄を利確したり、損切りによってキャピタル課税を抑えたりはしているものの、それでも数万円の確定益を生み出し、キャッシュとして温存している所謂臨時収入が入った状態である。

 利確により、働かずにお金を稼いだ感覚から、気が大きくなって、散財してしまうか、反対に複利の力を最大化したくなり、極端に支出を減らすドケチになるか、どちらかの本性が現れるものである。前者はギャンブラーにありがちで、倹約によって捻出した種銭を運用している投資家の場合、後者に走りがちで、私も後者に分類される。

 確かに、アインシュタイン博士が人類最大級の発明だと評した、複利の魔力はすごい。投資の神様ことウォーレン・バフェットさんの資産の大半は、50歳以降に形成されたものと言われているほどである。

 しかし、ドケチ生活の末、晩年にお金持ちになった先に、それを使えるだけの体力があるとは限らない。

 投資の教科書的には分配金は再投資するのが正解だが、個人的には使っても元本が目減りしない(厳密に言えば配当落ちするが…)配当程度は、知識や経験に投資したり、誰かとの思い出作りのための資金に充てたほうが、長期目線で人生の満足度が最大化できそうだと考え、死に金にならない浪費を心掛けている。

 持論だが、若い頃の経験や思い出には複利が働き、晩年にはそれを思い返すことで、ある種の配当として人生の最期に思い残すことがなく、安らかに過ごすことが出来ると考えている。

瞬間、瞬間を懸命に生きる。

 もし、資産運用に成功して経済的に独立し、早期リタイアに踏み切ったとしても、周囲が生涯現役生活を強いられているような状況では、自分に付き合ってくれるだけの時間的余裕がある相手は居ない。

 金持ち父さん貧乏父さんに出てくる「ラットレース」から、自分だけ抜け出したところで、これまで出会ってきた人たちと過ごせる時間が増えるかと言えば、一筋縄では行かないだろう。

 そうして、これまでの人脈とは疎遠になり、自分と同じ時間にも経済的にも恵まれているような、同じ幸せで成功しているお金持ち同士でしか付き合わなくなると、持てる者と持たざる者とで世界が二極化していく。

 残酷だがそれが資本主義社会であり、普通の人はそんなお金持ちとは交わることなく生涯を終える。

 しかし、「ラット抜け」があるならば、「ラット落ち」も存在する。一度、経済的に成功を収めたからと言って、成功が永続的なものとは限らない。この時に、それまでの人脈をおざなりにして、いざ自分がラット落ちした時に、今までのように厚意に接して貰えるだろうか。

 幼馴染から始まり、学生時代の友人や、会社の同期と言った人間関係は、偶々同じ時期に、同じ地域や組織集団に属しただけの、偶発的な巡り合わせの連続であり、それも偶然学校の席が近かったり、配属先が同じだった程度のもので、自分から選んだ関係ではない。

 それでも、同じ境遇や経験をして、それらの喜怒哀楽を共有することのできる数少ない存在であることは紛れもない事実である。

 私は学生時代の友人は、自身が経済的に豊かになる前の、親身になったところで何の利益になるかも分からない時期に仲良くしてくれた、カネ目当てで近寄っていないと断言できる数少ない存在であり、その関係を断ち切るのは今後の人生において損失だと考えている。

 だから不労所得で懐が潤っている時ほど、そのお金を旧友と美味い飯や酒を飲み食いする時間や経験に充て、積極的に還元することで、長期的な関係をより強固なものにする行為そのものが、寄付よりも大きな幸せをもたらすのかも知れない。

 将来価値を考えて、未来に投資することは大切だが、二度と訪れることのない今この瞬間を最大限楽しむことも、同じかそれ以上に重要である。

 分配金再投資と、宵越しの銭は持たないの両極端から、自分にとって心地よい配分で投資と浪費を行うことが、浮き足立って、いつか足元をすくわれる事態を避けるための最善策なのかも知れない。


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