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シャドーワーク(研究ネタ帳27)

2024/07/09 追記
読み直していて気がついたんだけれども、シャドーワークは、家事労働のことだね。何と間違えたのか。エモーショナルレイバーと、なぜ混同したのかというと、エモーショナルレイバーがシャドーワークだと書かれていたからではないかな。原典を確認しないと。

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日本語では、感情労働が定訳になっているはず。ホックシールドが労働社会学の文脈で使った著作が90年代末に訳されて、そうなったと思う。

しかし、だ。

英語で、日常生活でシャドーワーク、という言葉が使われる時、その営みは、感情労働という言葉とは、かけ離れた内容だと思う。

プロセシングの過程で、まず溢れる感情を味わい、そうして味わい切って、let it goする、そのシンドイ一連の作業。それが、シャドーワークと呼ばれていると思う。

そもそも、プロセシングという考え方は、日本には同じように存在しない。これは、グリーフという考え方が、同じようにないのと重なっている。なぜなら、誰かが死ぬなど、何かを失ったときになされるプロセシングが、グリーフと呼ばれていて、それはプロセシングの一つ、だからだ。

そういう感情処理は、感情社会学で、扱われているんだろうか。私には、デンジンは、いくら読んでも、ほとんど意味不明だったんだけれど、読み直したら分かるのかしら。編著も出ていたし、ある意味で、相互行為論だろうけれども。

江原由美子は、EM方向に舵を切ったけれど、シンボリックインタラクショニズムに残った人たちは、今、何をやっているのか。私のわからない具合は、ジェンダー関連の現象学と同じくらい。正直、ピントが合わせられない。

やっているみなさんのことは、ヒューマンとして好きだし尊敬してるんだけれど。

何に合わせられないかというと、シンボル関連についてだと思う。連想になってしまうけれど、比喩ってのが、また難しくて、レトリックの研究をしていた研究仲間を思い出すけれど、頭キレキレ系でないと、ほとんどの人にとって、イミフ。

私は抽象度が高いものは、苦手。絵画とか、音楽もそうなので、ポスト構造主義が苦手なのも、ニューロスパイシーのスパイシー具合と、関連していると思います。

抽象度を上げても下げても頑張れる人、ぜひ頑張って下さい。

以上。

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