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クソババアの向こう側

大切なひとに本当の気持ちを言えない。
そんなお悩みをよく聞く。
私もかつてはそのひとりで。
今もその言葉を発する時は
心がよじれるような気持ちにある時もある。

あなたにとって大切なひとというのは、
自分に影響があるひとだ。
というか
影響があると思っている人たちだ。
親、友達、恋人、上司。

だけど、
全ての根源は結局のところ
「親」だ。

本心を言うと、
私の本心を知られると、
嫌われる。
傷つける。
悲しませる。

だから言うのが怖いし、
言わずに心の中に本心をため込んで
あの時、あの家で
生き延びるためには
なんとなく波風立たないように
日々をやり過ごしていく。

そういった小さな「ガマン」が
物心つかない幼少期の頃から
チリが積もるように
心の中にゆっくりと溜まっていく。

10代に反抗期があって
親に思いっきり思いの丈をぶつけられた人は
ある程度ホコリが掃除されて
健康に健全に
本当の気持ちを言えるようになるのだろうか?

私には反抗期がなかった。
10代の私には親に「反抗」するなんて
そんな選択肢はなく、
ただただ母の怒りが収まるのを待つか、
怒られないようにコトをやり過ごすか、
その2択しかなかった。

話せば「言ってることがわからない」と言われ
話題は彼女の話にすり替わる。
学費を見せれば
「オマエは金食い虫だ」となじられる。
父が病気になったのは私のせい
家にお金がないのは父と私のせい

家に起こる全ての不幸は父と私のせいで
母はその全てを救うためにがんばる家族の「救世主」

彼女が愛の「救世主」であり続けるために
私は無能で不幸を巻き起こす存在でいなければいけなかった。

よそ様から見た我が家は、
五体満足の仲のいい家族だった。
いや、きっといい家族だったと思う。
だから何に問題があるのかわからなかった。
そんないい家庭にいるのに、
救世主の母のことを悪く思う私は罪悪人なのだと
そう思っていた。

ただ、心に積もったチリはやがて硬化し
年齢を重ねれば重ねるほど
生きにくくさせるようになってきた。

海外に出て、それは顕著に現れた。
毎日母親と連絡をとる友人。
男性でも毎日1回は連絡したり、
最低週に一回は連絡を取る。

彼氏に「どれくらいの頻度でお母さんに連絡するの?」
と聞かれてウソをついた事もある。

母とはよくて年に数回。
用事以外に話すことなどないし、
感情を見せたことなんかない。

せいぜいあって当たりさわりのない
「喜」と「楽」
「怒り」と「哀しみ」なんて
過去に一度も見せたことはない。

「私の気持ちなんて受け止めてくれるはずがない」
その感情が根底にあったからだ。

大切なひとに本当の気持ちを言えない。
そういう想いを抱く人は
お母さんに本当の感情を表現したことが
ない人が多い。

「想いの対話」をした経験がない、と言うことだ。

そんな私が、ビリーフリセットワークのひとつ、
エンプティチェア(誰も座ってないイス)を使って
お師匠の大塚あやこさんにセッションをしてもらった。

その時の私は、
無力感(無力ビリーフ)におおわれ、
身動きが取れずにいた。
やりたい事もある。
やりたいことや目指すライフスタイルも明確にある。
だけど何かが覆いかぶさって来てて
動けない。

無力ビリーフがベッタリと
生コンクリートの沼のように
身体半分にまとわりついて動けない。

無力ビリーフはかわいそうだから
私が好きなようにしたら
あの人が一人になってかわいそうだから
だから私はいけない。動けない。動いてはいけない。

結果、
そのビリーフの正体は「母」だった。

彼女を「救世主」でいさせるために
私は無力で無能でいなければいけなかったから、
その長年の思考のクセと念が、
知らず知らずのうちに
潜在意識の中で
ドロドロと
存在していた。

師匠にリセットをしてもらったあと、
私は未来へ行くためのフォーメーションを組んだ。
自分の力を存分に発揮して、
生きたいように生きると誓ったのだ。

その結果、
55歳にして、反抗期が起こっている。
今までなら「かわいそう」が先行して
理不尽な言葉や行動に対して、
全ての言葉や言いたいことを
飲み込んできていた私が、
面と向かって不愉快な感情を
母に見せられるようになった。
兄弟たちにも
彼女との全ての想いを伝えることも
できた。

そうすると、
母のグチや不平不満も
許せるようになってきた。

母を「かわいそうな人」と思わなくなったことで、
私も「何もできない無能なかわいそうな人」から脱出できた。

母を「救世主」にせず、
「一人の人」と見れるようになったことで
私も「一人のオトナ」として立ち振る舞えるようになった。

実は私は ある時から彼氏を選ぶときに
無意識に「かわいそうな」エッセンスを探していたクセがある。

相手が「ちょっとかわいそう」じゃなければ
自分に価値が見出せなかったからだ。
私が彼の「愛の救世主」になれないからだ。

歪んだ愛の根源がゆるゆるとほどけていく。

55歳にして、
ようやく「かわいそうな」モードから
脱出して、
大切なひとに本当の気持ちを「伝える」ことが
できるんじゃないかな、と言う気になっている。

大切なひとに本当の気持ちを言えない。
そんなあなたは
小手先のテクニックよりも
まず、
あなたのお母さんかお父さんとの
無意識下で起こっている感情のしがらみを
取り除いてあげる。

あなたがあなたの救世主になることで、
あなたの世界に光で満たされていく。


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