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人の価値ってなんだろう

モルディブに来て、初めてローカル島を訪れた時、
数人の女性が何をするでもなく、ただ1日中ずっとベンチに座っていた。

朝、私が出かけた時から、昼の間も、夕方も。何もせずただそこにいた。
自分をさげすむでもなく。悲しむでもなく。ただそこに居た。

たまに家族らしき人が来たり、子供がじゃれついたり。
でもその女性は、ただ何をするでもなく、本当にただそこに居た。

当時、香港でバリバリ一線で働き、稼いでた私の目には
「この女性。なんの生産性もないのに、よく生きてるな。価値ないじゃん」と普通に思って見ていた。(いま思うとなんてヒドい思考)

当時の彼氏に、あの人はずっとあそこで何してるのか尋ねたことがある。
彼は「さぁ。。ただ座ってるだけじゃない?」とだけ言った。

ただそう言うだけの彼にもイライラしたし、その女性にもイライラした。

なぜイライラしたのか。
今思うと、一緒にその女性をさげすんで、
非難して欲しかったのかもしれない。

あれから5年。いろいろなことで行き詰った私は、カウンセリングを受け、受けるだけじゃ飽きたらず、自分でなんとかしたいと思い、心のことを学び、自分の深い闇の泥沼を見て、そこに少しだけだけど、勇気を持って光を当てられるようになった。

そして今思うことは。

私はただ何もせず、座っているだけでもいい。
あの日見た、あの女性になりたいと思っている。

ただ座っているだけの、なんの生産性もない、あの女性になりたい。
なんの生産性もないのに、家族に愛されていた、あの女性になりたい、と。

人は、ただそこにいるだけで価値がある。

家事ができなくても、生産性がなくても、有益情報を持ってなくても。
老いても、手足が不自由でも。目が見えなくても。耳が聞こえなくても。
学歴がなくても。仕事がなくても。収入がなくても。

人は、生きて、そこにいるだけで、すでに誰かに何かを与えてる。

だから。
何もなくても、何も持っていなくても。何もできなくても。
自分をさげすんで見たり、非難したり。
責めたりする必要なんかないんだ。

それでも。そう思うと、
まだ心の奥の方がドキドキしてくる。
心臓の裏側をギュッと強い力で掴まれるような苦しさがある。

臆病な私は、
深いところに光を当てに行く時、それなりに覚悟がいるんだけど。
そろそろまた深いところに光を当てに行く時がきたのかな。

「人は、生きて、そこにいるだけで価値がある」
それを全身全霊で感じるために。

私はまたあの深い暗闇に降りて、
埋もれてしまったちいさな光を
すくい上げに行く。



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