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通りすがりの天才

昨日、川田十夢さんのイベントにいった。

十夢さんの思考についていけなかったけど、ついていけない加減がめっちゃ面白かった。さすが通りすがりの天才。

個人的に印象深かった言葉。
「領域をまたぐことによって生まれるアイディアを大切にする」

ということで、思いついてみた。

テクノロジー×お墓

・お墓の意義を故人(死んだ人、死者)と対話する空間と時間と捉える。だから、石である必要はない。もちろん、石を使ってきた歴史的意義は興味深いが。
・故人との対話はグリーフケアにつながると期待できる。
・テクノロジーを使って、未来のお墓(の意義をもったもの)をつくる。
・故人をよみがえらせる技術。遺された人の記憶や思い出、写真を使って、故人をよみがえらせる。
・一人でその故人をつくりあげるのではなくて、家族や知り合いで協力してその故人をつくりあげていく。その営みもグリーフケアにつながる。
・箱物なのか、携帯アプリなのか、何でも良いが、それに触れたり、その空間にはいると、故人が可視化されよみがえる。
・携帯アプリでもいつでも起動できるとなると、あまりに近く、日常との線引が難しくなりそうなので、お寺に実装して、お寺にお参りにいくとその機能を使えるぐらいの距離感。
・個々人のものではなくて、家族代々でまとめれる方が良い。墓っぽくて。
・会話できる。故人っぽい応答をしてくれる。相談にも答えてくれる。季節によって話題が違う。写真を見せると、その思い出について語りあえる。

おもしろい!と一人で興奮して、ちょっと調べてみると、もうすでにあった。

オーストラリアの新会社<Humai>はAI(人工知能)を使用して、死んだ人を生き返らせる技術を開発することを目指している。しかも、それは約30年以内に可能になると信じているそうだ。
公式サイトによると、この技術は「個人の会話スタイル、行動パターン、思考プロセス、身体を機能させる情報といったデータを蓄積した上で、将来的にAI(人工知能)とナノテクノロジーを使用する」ことで可能になるという。個人の生前に数年かけて膨大なデータ収集を実施し、その個人が亡くなったときに脳を冷凍保存しておく。将来的に技術が十分に発達したタイミングで、その冷凍保存した脳を人工の人体に移植する...という流れのようだ。

これすげーけど、僕の発想とは違う。死んだ人を生き返らさせてはいけない、そこまでしちゃいけない。遺された人の思い出をもとに、その人をよみがえらせる。完全じゃない。思い出ぐらいがちょうど良い。お墓にいって、遺されたものの思い出や想いを想起させながら故人と対話している。こっちの都合ぐらいが良いのだ。死を受け入れながらも、故人と対話する。それぐらいの境界線はあった方が良い。

死んだ人を生き返らせる技術のアンチテーゼとして書かれた(と僕は思っている)Twitterの短編漫画がある。

うん、生き返ったとしても、また49日で死ぬ設定が良い。死があるからこそ生がある。死生観を大切にした方が心豊かな気がする。

それにしても、十夢さんの「通りすがりの天才」って、すごい良いキャッチコピー。ついつい言ってしまいたくなる。そうだよなって思った十夢さんの言葉。

「テクノロジーで残るものは、人の心に残るもの。人の心に残るものでなければ、テクノロジーとして残らない。」

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