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葬式仏教

日本仏教を、葬式仏教と揶揄されることは多い。ひとえに葬式仏教といえども、様々な観点がある。檀家制度制の視点や、葬式を握ったからこそ脈絡と仏教が続いたという論説、現代の葬式事情など。よく言われるのは、お釈迦さんの時代の仏教は、葬式なんてしていなかった。葬式によって金儲けかと。

葬式の費用がかさむのは、何も僧侶だけの問題ではない。過度な演出や華美な設えによって、葬儀社への支払いが高いのも事実。もちろん、意味の分からないお経をつとめてもらうのに、高額なお布施を支払うことにたいする不信感もよく分かる。ただ、現代の葬儀事情は今回書きたいことではないので横においておく。

葬式仏教もソーシャルデザインだったのではないかという視点で考えてみたい。

単に葬儀や仏教の歴史にのみならず、日本の特有な自然崇拝の宗教性や、統治のために仏教が政治に利用された視点など葬式仏教に至るまでの長い歴史について研究・まとめられた圭室諦成氏の『葬式仏教』がある。その書物のなかで、仏教の葬送儀礼が庶民に浸透した理由について、下記のようにいわれる。

①、民俗のなかに、愛情と恐怖の感情の入りまじった葬式の風習が、すでに存在していたこと。②、まえのことと関連するが、死靈のたたりを恐れる信仰が、庶民のあいだに根づよく存在していたこと。③、かてて加えて仏教が、地獄・極楽・十王思想などの宣伝につとめたこと。(p.131)

咀嚼するに、先ず、そもそも死者や死靈のたたりに対する恐れや恐怖は、いまの我々の認識とは全く違ったものであったのだろう。めっちゃ怖かった。仏葬以前も、葬式の風習はあったが、その方法では遺族は安心できなかった。そこに、死んで終わらない物語が体系化された仏教が入ってきて、その教えにのかった儀式儀礼が構築されるなかで、それでこそ安心して故人を弔うことのできる葬送儀礼ができあがった。

江戸時代の檀家制度の確立よりも前から、このように仏教の葬送儀礼が、故人のグリーフを緩和する営みとして成果を出していた。そのうえに、家制度にもとづいた檀家制がひかれ確固たるものになったといえるのではないかな。

これだけ仏教による葬送儀礼が浸透した背景には、死靈を恐れる心理に、死では終わらない物語を有する仏教の教えとそれによって築き上げられた葬法によって、死者を弔うことの安心感があった。

ソーシャルデザインを、社会課題を解決する仕組みづくりとするならば、まさに葬式仏教はソーシャルデザインの一事例といえるのではないだろうか。

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