何かと比べながら生きている

知り合いと何気ない会話から昨日の大阪の統一地方選挙の話になった。結果的に維新がボロ勝ちした。府知事は100万票差。府議会は単独過半数を確保。市議会は届かなかったが、過半数に迫る勢いで議席を伸ばし、圧勝だった。なんで、こんなに強いのか?と。

大阪に生まれ育った40代半ばの彼の話によると維新にこれだけ期待する気持ちはよくわかる、と。維新が台頭する以前は、自民党が強かったが彼らは地域の声を聞いてよく動いていた。だが、その地域のことだけにしか頭になく、全体を見通せる人材は少なかった。経済的に右肩下がりのなか、それを打開する発想や人材はなかった。さらに、何かあればすぐに箱ものをつくる。税金の無駄遣いは顕著。その当時に建設されたもので、それなりに意義のあるものは海遊館ぐらい。そんな財政が赤字でにっちもさっちもいかない状況で登場したのが橋本さんで、維新だと。様々な意見はあるんだろうけど、万博やカジノ誘致など、目に見える実績を残してきた。経済的にそれなりに成長した反面、福祉や文化的な面がないがしろにされている面もあるのかもしれない。維新の候補がみんな優秀だとは到底思えない。けれども、維新の前と、いまを比べると、維新に期待してしまう気持ちはよく分かる、と。

その話を聞きながら思ったのたが、結局僕らの選択は、相対的なんだなと。維新の公約が素晴らしいからとかではなくて、その他と比べて期待できるか否か。

いま会社で中途採用の選考を進めている。エントリーあった一人ひとりの履歴書などを見ると、とても魅力的な方々。一次面接を進めるなかで、なんとなく基準となるような人が決まっていく。その基準となる人と比較しながら、合否を判断していってる。金銭的な余裕があれば数人を採用できるんだろうけど、限られた予算のなかで、より僕らにあう人を見つけるとなると、結局比較しながらになってしまっている。そんな採用に携わるなかでジレンマをおぼえる。

「人と比べる必要なんてない、ありのままのあなたで良い」とかよく言われるし、言ってることはわかるんだけど、でも、社会は誰かと比べながら自分のことを見ている。僕らは相対的にしか見れない。そう、自分のことは自分が一番分からない。自分の特徴や強みって、誰かと比較する中で浮かび上がってくることかもしれない。過剰に人と比べることなんてやめたほうがよい、絶対にしんどくなる。だけど、僕たちは無意識的に物事を相対的にみながら過ごしている。その比較のなかでこそ見えてくる面もあるのだろう。綺麗事をいうだけでなく、そのバランスのなかで、ここち良く生きる術を身につける必要があるのかもしれないなと感じた、大阪の統一地方選挙の話。

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