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ファストフォトからスローフォトへ

これまでいくつかの記事でフィルムシミュレーションやファインチューン、ユーザーによる画作りについて書いてきました。2019年3月に書いたフィルムシミュレーションの記事は5000ビューを超えて今もなお読まれています。

その他にもたくさんの画作り系の記事で、ユーザーの個性(最近は「自分らしさ」というのが流行っているみたい)を表現するユーザーインターフェイスについて書いてきました。そこから2020年代が写真との関わり方においてどの様な時代になっていくのかその変化についてまとめてみます。


これまでの「記録撮影」と「作品撮影」

これまで長い間、撮影に対する態度(製品とユーザーとの関係性をこのように言う)として「記録(記念)撮影」と「作品(作画)撮影」という軸を置いて語られることが多かったと思います。この表現の中にはコンパクトカメラのオートモードで気軽に撮影したいユーザーと、一眼レフを使って本格的に撮影したいユーザーを分けようとする意識がありました。

ところがコンパクトカメラの性能が上がり、スマホになってからはアプリの力も手伝ってより作品撮影ができるようになってきたことで、そのような分け方ができなくなっているのです。これまで記念撮影とされていた写真に対してもSNSにアップする前にいくつものアプリを使って「盛る」ことがいわば当たり前になってきたことで、手間のかかるものになってきているのです。(やっている本人は楽しいので手間とは思っていないと思います)

また一眼カメラでは、多くの難しかった撮影がカメラの機能アップによって誰でも簡単に撮れるようになってきており、モードを選択してシャッターを押すだけで撮れるようになってきており、カメラのタイプや写真の使用目的で単純にユーザーの写真に対する態度を分けられなくなってきていると思います。

2010年代の終わりにかけてカメラの市場がスマホに奪われ、その逃げ道として作品撮影に特化したカメラへとシフトしていきました。これらの動きの中で生まれてきた新しい写真との関わり方についていくつか例を挙げながら俯瞰してみたいと思います。


時間をかけて自分らしさを見つけ出す

自分の表現を見つけていき、それが作家の個性として周りから認識されるようになることは写真家として一つの目標です。現在は写真家ではなくてもInstagramのタイムラインを個性的にコーディネートしたいという考えている人は多いのではないでしょうか。

それを実現していくためには、1枚の写真を撮影するために時間をかけて調整し、それを長期に渡っておこなっていくことが必要ですが、それでも自分らしさを見つけ出していくことに価値を感じる人が増えてきています。

写真の画質という定義がAIカメラの登場によって揺らいできており、カメラメーカーの開発者が考える工学的なものから、もっと体験と感性に寄り添った自分らしさの表現を指すようになるのかもしれません。


撮影中に手間をかける

オリンパスのE-PL10に搭載されている「ファインチューン」は、撮影中に被写体や状況から受けるインスピレーションを手間をかけて表現するためのものです。手間を掛けるといってもメニュー操作に時間を使うのではなく、画面を見ながら好みの表現をみつけることに時間を使えるように、画面のタッチやダイヤルの操作でダイレクトにできるようになっています。

操作体系全体としては、十字キーの左右にアートフィルターの変更、上キーには露出補正やアートエフェクトへのアクセス、アナログ的なダイヤル操作にファインチューンがダイレクトに割り当てており、組み合わせによって作画を楽しむ考え方が良く表れています。(もちろんタッチ操作でも操作できます)

与えられたものをただ使うのではなく、多くの可能性の中から自分で選びだした(作り出した)という体験が重要です。そのために有効なのが「組み合わせ」と「微調整」の中から発見することです。カメラは本来、絞りやシャッター速といった多くのパラメータを持っておりそのような存在でしたので昔に戻ったとも言えますが、パラメータの多くが自動化される中で新たな体験を提供していく試みだと言えます。


長期に渡って作品のトーンを揃える

オリンパスのファインチューンが1ショットごとに手間を掛けるのに対して、富士フイルムのフィルムシミュレーションは長期に渡って作品のトーンを揃えて写真家の個性にしていくことを前提としています。

操作体系としては同社を代表する機能だけに、フィルムシミュレーションの切り替えを浅い階層にもってきていますが、どんなシーンに対しても破綻を起こさない画作りは、気に入った世界観を設定したまま長期にわたって使い続けるのが正しい使い方だと思います。

さらに、長期間同じフィルムシミュレーションを使うだけでなく、他社の画像調整モードと同じように微調整をおこなうことで「育てていく」ことができるのため、能動的な使い方も可能となっています。


偶然を楽しむ

撮影の時に何度も再生して確認してしまうと、被写体への集中が削がれてしまうという理由から背面モニタを隠してしまった富士フイルムのXPro3は、ストリートフォトにおいて一瞬のチャンスを逃さないということをコンセプトにしています。

しかしそれを裏返せば、じっくり撮影する時には、ゆっくりと背面モニタを開き、メニューで設定を追い込みながら撮影するという、何とも儀式的な作法を持つと考えることができるのです。

ただそのような撮影は全体としては自然と減っていき、フィルムカメラのように結果を想像しながら撮影するスタイルになっていくだろうというのが製品発表会での説明でした。果たして実態はどうだったのかというのは気になるところですが、撮影設定が反映されない光学式のレンジファインダーを使った撮影の中で偶然おきる様々な想定外の結果が、長期的にユーザーの経験の幅を広げ、その受動的な試行錯誤によってユーザーが成長していくという極めて長期的な写真との関わり方こそが本当のコンセプトだと言えるのです。


スローフォトの時代に

今回紹介した手間と時間を掛ける撮影を「スローフォト」と呼んでいきます。他にもいくつもの事例があるはずですのでこれからも一つ一つ見つけていきたいと思います。

およそ50年前にコンパクトカメラを中心として誰でも写真が撮れるオート技術が発達し、やがて一眼レフへと高度化していきました。そのエレクトロニクス技術はデジカメ実現のベースとなりスマホカメラへと引き継がれていきました。究極のカメラとしてシャッターボタンを押すだけで失敗せずに撮れることを目指し、さらにその延長として自動でシャッターを切ってくれるカメラも登場したのがこの「ファストフォト」の時代でした。

フィルム時代はデジタルよりも多くのことに時間が掛かっていましたが、その時間はさまざまな制約や手続きでした。デジタルによって作画がやりやすくなり、その特性を活かしたユーザーインターフェイスが整ってきたことで、表現そのものに対して試行錯誤できる時代になりました。

フィルムの方が作品のレベルが高かったという人がいますが、多分高いレベルの作品を残せる人は障壁も乗り越えられてきたというだけです。デジタル技術とUIによって障壁が減り、普通の人でも純粋に表現の試行錯誤ができるようになり本当のスローフォト時代が来たと思います。(役所や病院で長時間待たされる生活ではなく、心から楽しめる生活をスローライフと呼ぶのと同じ感覚です)

画面をタッチするだけでキレイな写真が撮れ、数回タッチするだけでSNSでシェアできる究極のファストフォトの時代を経験したからこそ、じっくりと写真と向き合う「スローフォト」への欲求が強まっているのかもしれません。



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