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幸せの正解ってなんだろう?

久々に深く読み入った記事がある。

17歳の女の子が書いたnote。そこには断絶された社会を彼女の視点で表現したことばが書かれていた。「ふつう」について。


「親の貧困は子の貧困」そんな風に言われるようになったのは

きっとこの国が豊かになったからなのではないかと思う。

私は平成元年生まれなので戦争も経験してないし

どちらかというと日本の経済が上り調子になっているときから

人生が始まっている。

生い立ちは複雑でそんなに裕福な家庭にうまれたわけではないけれど

それなりに自分の努力で平均年齢の女性の2倍以上の給料はもらっている。

私のお母さんが私を生んでから育てるまでの平均給料は180万円をきっていたはずだから、そんな環境で今の自分が形成されたのは、綺麗な言葉でいえば周りの人のおかげだけれども、本心を言うと自分の努力のたまものなのかもしれない。


先般で紹介した彼女の記事を見たときに共感とすこし違和感を抱いた。

長崎での県営住宅で育った母子家庭の子供が、いろいろな努力や環境から

自分の可能性を見出し、努力してすごいことを成し遂げたり応援してくれている人が回りにもたくさんいるからだ。

30年間も人間をやっていると、いろいろな感情を抱くことがあるが

単純に羨ましいと思った。

ただそれは、自分も同じような環境下に生まれているのに、彼女みたいにすごいことができなかったという羨ましさ。

でも、別に英語なんてできなくもいいし、海外になんて興味ないし

人は人だから自分のやりたいことだけやったらいいでしょっていう

子供っぽい感情だ。

そう、人は何歳になっても悔しさや羨ましいという感情を持ち続ける。

一見その感情は、ひどく恥ずかしいものに思えるのだが

実はそれが人生を好転させる大きな要因にもなりえる。

きっと私もその一人で、その悔しさがなければ今の自分はありえなかったと思う。

学生の頃によく耳にした同世代からの

「〇〇はすごいねっ頑張ってるよね!」ていう言葉も全部素直には受け入れられなかった。

そういう言葉をかけられればかけられるほど自分がみじめになるからだ。

別に頑張りたくて頑張ってるわけじゃない。

頑張らないといけない環境にいるから頑張っているだけだ。

特別に思われた少しの嬉しさはあるが、80%は同情である。

そして自分の境遇を呪っていた。

でも、何十年か経って、振り返ってみると

やっぱり人は頑張りたくないことを頑張り続けることはできないから

私は「頑張りたいと思ったことを頑張っていたんだ」と気づく。

そして、その小さな積み重ねがいまにいたる。

大人になってからの「頑張らなくていいんだよ」という言葉の本質。

頑張らなくてもいい自分を愛せるようになること。

それだけで自分自身がすごく救われた気持ちになった。

周りをみればそこら中に、不憫な境遇に悩んでいる人や格差は隣合わせだけれども、それをみて「かわいそうだね」って上から目線で同情されたり

金銭や物質的な豊かさよりも、

お金持ちだけが幸せではない、本当の幸せや豊かさについて考える機会が

日本の義務教育に浸透したとしたら、日本の自殺者はもっと少なるなるなあなんて思う。ホームレスになりたくてなっている人もいる時代だし。

親からひどい虐待を受けている人の中には、同じことを繰り返されないように、大人になってから仕組を変えようと動く人もいる。

すべてのマイナスの動機が人を動かし、プラスの動機よりも継続率は高い。

小さなころに誰と出会うか、どういう学校にいくか、何を習うかは

その後の人間の人生に大きく影響を及ぼすけれど

お金持ちや帰国子女だけが幸せのシンボルみたいな思想自体が

根本的におかしくって、それぞれの幸せの価値観をしっかりと見つめられる世の中になったらいいなとこっそりおもいました。

ネットが発達しているので上も下も丸見えだけど

まず自分が何を望んでいるのか?なにが幸せなのか?に

時間を使う方が何十倍も有益な気がする。

少なくとも私はうらやましいって思うと

もくもくと黒い感情が顔を出してきちゃうので。笑


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