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大切な人だからこそ

最近親友と喧嘩をした。

理由は互いに「本音を出した会話ができない」というすごく些細なきっかけだった。


その子は大学の時からの関係で、自分が辛い時、苦しい時にいつも相談に乗ってもらったり、唯一、素直な自分を丸ごとさらけ出しても良いと思っていた『家族』みたいな存在だった。


その子から言われた言葉にビビッときたことがある。

「私に興味ないでしょ?私が話したこと覚えている?」という言葉だった。

一瞬心の中で

「え?何言っちゃってんの?」という怒りの感情がこみ上げた。

私の中で彼女は10代後半から今にいたるまでの11年間、誰よりもお互いの本音をさらけ出してきた中だし、彼女の思考や生活のリズム、付き合ってきた彼氏全員の名前まで、熟知している相手だと思っていたのに、まさかそんなことを言われるとはという衝撃で頭がいっぱいだった。


でも、どこかに、自分自身が溜め込んだ負の感情や怒りの感情をストレートに彼女にぶつけていたことを『当たり前の権利』という風に思っていたのかもしれない。


時として人は「当たり前」ということを理由にすごく傲慢になる時がある。

家族だし、友達だし、恋人同士だし。


でもよく考えてみると今回の場合、自分の中で消化できなかった、ドロドロした感情を相手に丸投げして、自分の中では分解できないから代わりに分解するのを手伝って欲しい、と、自分の課題を相手の課題へとすり替えていたのかもしれない。


親友はすごく感受性が強く、物事の一つの側面を人の何十倍、何百倍も考えてしまう人だということを知りながら、自分の苦しみを相手に押し付けてしまっていたかもしれない。


そんなことに気づいたのは、すでにお互い気まずい空気になりながら帰路に付いているときだった。


「この人にはなんでも話せる」

「この人には寄りかかってもいい」

「この人に相談したらなんでも解決できる」


そんなことを思っていた自分がすごく恥ずかしくなったし、

自分が気づかないうちに一番大切にしたい人に
すごく負担をかけていたということに気づいた。


確かに人は苦しみをわかち合う生き物だけど、自分の課題をそのまま人に押し付けたり、すり替えてしまうことを「無意識」で行ってしまうことは、時にその大切な人をすごく苦しめてしまう。


今になってすごく反省しているし

きっと相手も苦しんでいる私に、「自分も苦しいよ」ということができなかったのかもしれない。


そんなことを考えると本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。

しかし、こんなことが起こったきっかけは、きっと、自分には内省が足りていないことを教えてくれるきっかけでもあり

長いことその彼女に言われていた「もっと自分の気持ちと自分自身が向き合った方がいいよ」という言葉の意味だったのかもしれない。


大切な人だからこそ、改めて感謝の気持ちを忘れないこと。

大切な人だからこそ、常に依存し続けないこと。

大切な人だからこそ、その存在に頼り切らないこと。

親しき中にも礼儀ありという言葉の真の意味を改めて考えるきっかけとなった。

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アラサーを全力で楽しむアラサー♡いつかコラムニストになりたい!日々思いついたことをアウトプットする。恋愛/ビジネス書/ グルメ/前田裕二/働き方/コラム/人生/食べログ/横浜/鎌倉
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