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アート思考の典型:イタリアンファッションの創造プロセス

前のnoteで、ミラノを中心としてイタリアの既製服(モーダ・プロンタ)が80年代に世界を制したことを記しましたが(「イタリアンファッションが世界一になった理由」)、イタリアンファッション(既製服)の創造プロセスにおいて、アート思考が典型的に見られます。そこでは、美術を中心とするアートを参照して新たなファッションが創られました。以下でその具体例を見ていきましょう。ファッションであれ、クルマであれ、家具であれ、アート(美術/映画/写真/演劇等)の教養は深ければ深いほど、アート思考によるモノ作りが可能となります。イタリア人の経験を踏まえると、たとえば新たに国際デザイン経営学科等を設置する場合、中世や近世ではなく20世紀の現代美術に関する授業科目が必要でしょう。そしてアートに詳しくなったら、それを活かした製品開発にまで進んで欲しいところです。というのも、美は鑑賞するものではなく、日常生活の中で使うものだからです。見方を変えれば、普段の生活と関係のない美は容易に切り捨てられてしまいますが、イタリア人たちは美を普段の生活で使うモノとすることで、アートを守っているとも言えます)。なお本noteは、拙稿(2021)「イタリアのファッションブランドーそのアート思考とデザインマネジメントについてー」『商品開発・管理研究』Vol.18(1)pp.39-68に基づいています。

1 アルマーニの事例


“カシミアの女王”たるL.ビアジョッティは、未来派のG.バッラから着想を得て2007年に新作のコレクションを発表したけれども、アルマーニの場合、前年度の新作コレクションと今年度の新作コレクションの傾向が、どこか似ているという意味でアルマーニテイスト(自動車ならファミリーフィーリング)を感じることができます。かくして、アルマーニは、世界の各都市で話題になっているカフェや映画そして着こなしといった様々な着想源(世界のトレンド情報)から、毎年異なる傾向の新作コレクションを発表するという意味での(ファストファッション分野で典型的に見られる)“クリエイティブディレクター”ではなく、アルマーニらしさを確立したという意味で自動車のデザイナーに近いようなスタイリストです。以下ではこのアルマーニテイストは何から構成されているのか、あるいはその由来を明らかにします。
  まず、アルマーニは、上流階級を対象としたローマのアルタ・モーダ(オートクチュール;ビスポーク)のファッションショーにおいて、結婚式や舞踏会といったハレ舞台を前提とし、“王女としてのモデル”が歩く仕方や振る舞い(習慣的で定型パターンの動作)を拒絶します―というのもそれらは中産階級のためのファッションにはなり得ないからです。その代わり、バス停でバスを待っている人、言い換えれば普段の生活の中での人々の振る舞いを観察し、それに相応しい衣服を構想しました。またアルマーニは、様々な映画に登場する俳優や女優の人物像と、彼/彼女が纏うファッションを観察していますが、これは、映画の中で役者が着こなすファッションを人々は真似るからであり、また、映画の中での役者の振る舞いは、写真・ポスターの中でワンショットとして捉えられ、それがまた流通してモードとなっていくからです。
 スタイリストのミッソーニが、服の質感を構想する際に、アンフォルメル派ー後にミッソーニの節で説明ーの画家(P.マンデッリィE.モルロッティ等)が描いた、厚みのある絵画表面のタッチをもっぱら参照するのとは異なり、アルマーニは時代を遡って、戦間期のハリウッド映画を参照しました。具体的には、アルマーニが魅力的だとする女優は、禁酒法時代のギャング映画(フィルム・ノワール)に登場するグレタ・ガルボとマレーネ・ディートリッヒであり、不実で魔性の女(カルメンに代表される“運命の女”;femme fatale)です。禁酒法時代の自由なアメリカは、シカゴマフィアのギャングスタ―/株高/ブロードウェイの狂気といったことから構成されるアメリカンドリームが体現された夢のような時代(それは神話的な時代であり、ファッションはこういった神話を反映します)であり、この時代の雰囲気が分かるフィルム・ノワールに登場する強い男であるハンフリー・ボガードが男性の理想像でした。アルマーニにとって精神上の師であるシャネルは、1931年にSamuel Goldwynからハリウッドに招かれて上述のガルボとディートリッヒそしてグロリア・スワンソンの衣装を手掛け(例えばTonight or Neverといった映画)、当時の米国女性がこれらのファッションを真似したためシャネルの米国市場進出は成功しました―アルマーニもシャネルが行ったことを反復し、ハリウッドに進出しました。
 アルマーニが受け継ぐのは、スキャパレッリではなくシャネルの路線です(他方、アルタ・モーダのR.カプッチはスキャパレッリを参照しました)。というのも、スキャパレッリが考案した靴のような帽子や、ガラス製の服、そしてよく分からないポケットが付いたドレスなど(図1)は、到底普段着にはならず、ビジネススーツの構想には役立たないからです。

図1  アルマーニにとっては参照に値しないスキャパレッリの発明

図1-1

 アルマーニは、ローマの高級仕立服の世界から距離を取り、ロンバルディアの絹産業の潜在力を活かそうと考えていましたが、他方、パリの高級仕立服(オート・クチュール)の世界からも距離を取りました。というのも、パリにおけるディオールやバレンシアガのモデルにおいて、身体のラインの純粋さが失われる事態アルマーニは我慢がならなかったからです。それらのモデルには、ひだ飾り、リボン、スカーフそしてマフラーが纏わされるので、身体のラインが隠れてしまうのですが、身体のラインを目立たせた“魔性の女;ファム・ファタール”のモデルとしてアルマーニが考えたのが、成年漫画家であるグイド・クレパスが描く架空の女性である“ヴァレンティーナ(Valentina)”でした(図2)。なお、その細い足が強調されたヴァレンティーナは、セルジョ・ロッシ(靴のデザイナー)の友人であった写真家ヘルムート・ニュートンが撮った、フェティシズムの対象としての女性のスリムな裸の足を思い起こさせます。

図2 ヴァレンティーナ(身体のラインを強調する際、参考とした)

図1-2


図3は、アルマーニのスケッチですが、服のパーツの組み合わせを通じて出来上がった衣装全体の下に、男を惑わす魔性の女としてのヴァレンティーナの身体が存在することを意識している、と解釈できます。アルマーニのファッションはユニセックスである、という評価は当たらず、彼は女性に服を着せる際、いわゆる女性らしさ(femminilità)を保存しつつ、男性を睨みつけるような両性具有的な側面を強調したのでした。


図3 ダダイズムの伝統を踏まえたアルマーニのスケッチ

図1-3

図3で、アルマーニが生地の断片をスケッチの横にピンで留めて提示しているのは、そのスケッチ(そのカット)はその生地によってのみ可能であることを示しているとともに、とりわけシュヴィッタース(Schwitters)などのダダイズム文化との直接的関連を示しています。ラガーフェルドやフェレなどのスケッチでは、このような生地の断片がスケッチの横にピン留めされておらず、アルマーニが芸術的なアヴァンギャルドに精通していたことが分かります。さらに柄の色調については、分析的キュビスム(ピカソやブラック)を彷彿とさせるリピート(送り付け)が見て取れます(こういった取り組みは、アルマーニ以後のクリツィアなどのスタイリストによって踏襲されました)。
 そして、女性用スーツの色合いは、ビジネスシーンに合う、濃い茶色と地表の色(土気色;黄土色)、ねずみ色と黄土色の間といった狭い範囲の色調―淡くて軽くそしてまた癖のない落ち着いた色調―としました。それまでは春には春らしい色が用いられ、色のパターンは決まっていましたが、年中落ち着いた感じの色調としました―それは女性服の色使いとしては画期的で、色調よりも構造やラインを目立たせるようにしたわけです。反対に男性は、それまでの伝統を反転させ、女性っぽく、派手でカラフルな色調としました(そして男性用のスーツは、アルタ・モーダの文法から解放された自由な動きを許すものとなっています。)
様々なアート(映画・現代美術・写真等々)を着想源として参照したとしても、自分独自のテイストを創造できるスタイリストは少ないので、それを為し遂げたアルマーニは才能ある人ということになるでしょう。さらに本節の分析から分かることは、通説とは異なり、アルマーニが女性の解放(高度成長に伴うビジネスウーマンとしての経済的自立)を意図してアルマーニテイストを創造したわけではないということです。1960年代のビジネスマン・ビジネスウーマンは、ジーンズやカジュアルといった反骨ファッションとは異なるビジネスシーンに合致するファッションを求めていたのであり、ローマやパリの高級仕立服の世界がそのニーズに対応できないことから、新たなアルマーニテイストを創造したというのが実情です。


2  クリツィアの事例


 クリツィアという名称は、プラトン対話編中の女性の虚栄に関する章に出てくるクリティアヌスに由来しています。クリツィアことM.マンデッリは、単なるスタイリストになるのではなく、様々なアートが交差する地点に自らを置くことを狙って、モンドリアンからマティスそしてカンディンスキーなどのアヴァンギャルド芸術を、(ミラノの既製服のスタイリストの中では)最も活用してきたスタイリストです―その立ち位置は、ボローニャ大学の美術・音楽・舞台芸術を総合的に学ぶ課程(Dams,Discipline delle arti, della musica e dello spettacolo)を修め、芸術文化のパトロンとしての側面を備えた(家具分野のデザイン起業家である)P.モロソに似ていると言えるでしょう―彼女は、彫刻家ロン・アラドによるBig Easyという彫刻作品を椅子として量産しました。クリエイティブディレクターの先駆けとも言えるクリツィアは、シンボリック・アナリストのように新たなコレクションのコンセプトを創出する一方で、このコンセプトの実現のために多数のスタイリストを指揮・動員するけれども、協働する大物スタイリストの色に自分のアトリエが染まるような事態を避けています。彼女には、W.アルビーニやK.ラガーフェルドといった互いに共通点のないスタイリストらをマネジメントしつつ、バウハウスの合理主義とデ・スティーレやロシア構成主義といったアヴァンギャルド芸術の二つを根底に据えて、クリツィアブランドのイメージの統一性を維持する才能があると指摘できます(彼女は、F.ベーコンなどの具象派の美術とアンフォルメル派の美術、最近の美術の潮流と古典とを同時に扱うようなことはしない、というのがクインタヴァッレの分析です。)。
80年代のファッションショーの衰退を感じたクリツィアは、舞台表現・映画/ビデオ上映・コンファレンス・討論・器楽演奏などが同時に行われる場としてのSpazio Krizia(Krizia Space)をインテリアデザイナーのP.Pintoに委託して創り、通常のファッションショーを通じてだけでなく、O.シュレンマーによるバウハウス劇場のようなこのクリツィア・スペースを通じても自らのブランドイメージが決定されることを目論みましたが、ウルム造形大学ではなくバウハウスを参照するのは、バウハウスの教育プログラムの基盤に芸術教育があるからです(一般に、イタリアのデザイナーは、芸術教育を基礎に置かない、T.マルドナードが率いたウルム造形大学に不快感を示します。)。芸術文化のパトロンとして女性のためにファッションの新たな世界を創造したという点では、クリツィアの立ち位置は、男っぽい女性を含めてありとあらゆる種類の女性像を提示したイヴ・サン=ローランに似ていますが、そのスケールと大胆さはサン=ローランを凌ぐと指摘できます。
虎に代表されるクリツィアの動物シリーズでは、動物が女性と同一視され、猫やパンサーである時は狡猾、虎や狐である時は傲慢、羊である時は優しい、蛇である時は両義的である、といった女性のイメージが、ニット・セーター・コートで表現されました(ユーザーは、クリツィアが創造したこの文化世界に浸ることができます)。動物シリーズの起源は、具象派のF.ベーコンの絵画にしつこく見られる咆哮と、G.サザランドの動物寓話集(Bestiario)であり、要するに1960年代の米国のポップアートおよびイギリス文化を参照しています―ベーコンやサザランドが描いているのは、我々の現代社会が孕んでいる居心地の悪さや矛盾です。なお、虎の心理学的な解釈として、生まれながらのファイターであるクリツィア自身を象徴するものだとみなすことができ、実際、彼女は女性の権利拡張を唱えるLa Tartaruga出版社のオーナーとなっています。


図4 クリツィアの動物シリーズ

図1-4

クリツィアがテーマとして採り上げる女性は、ポワレ・シャネル・ヴィオネといった偉大なクチュリエであり、都市文化に様々な厚みを加え、自分自身を肯定する手段を服飾文化の中に見出したアルタ・モーダの高級仕立服職人(サルト)達―マルチェッリ・ビキ・ベネツィアーニ―です。1971年にはジョルジュ・サンドに似た女性、そして1972年にはマリリン・モンローに扮する女性を展示し、1980年には(シュルレアリズムの先駆者である)マックス・クリンガー、そして1982年にはチンギス・ハーンから着想を得ています。そのほか彼女の着想の源を列挙すると、芸術家のM.スキファーノの星、W.カンディンスキーの点と線(精神主義)、V.E.タトリンの螺旋状タワー、造形教育家J.イッテンの三角形、ドガのバレリーナ、芸術家F.デペロの色彩センス、マレーヴィッチの構成主義、L.バスクトのオダリスク(女奴隷)、R.マグリットの見えないモノの魅力、P.モンドリアンの神智学、H.マティスの再生した永遠のかたち、となります。
 クリツィアとアルマーニとの共通点について述べるなら、こうしたアヴァンギャルド芸術を参照することに加え、1920-30年代のハリウッドのフィルム・ノワールに出てくる女優(J.クロフォード・B.スタンウィック・V.レイク・L.バコール)を理想の女性像―男を惑わす不実な運命の女性(ファム・ファタール)―として参照することと、原画スケッチ(クロッキー)の余白で、その服に使う生地が指定されていることです。そのスケッチは輪郭や構造から構成され、顔つきや手足の分析的観察は脇に置かれています―言い換えれば、50年代のローマのアルタ・モーダの伝統であるスケッチの美学(美しいスケッチ;図5)は捨てられています。肩・襟・袖といった構造上重要な箇所がもっぱら詳しく描かれ、(小さなスケッチですが)後ろ姿も一緒に描かれています。他方、スケッチのサイズも、小さな写実的なスケッチが特徴であるローマのアトリエとは異なり、余白に詳細なことを書き記すため、大きなものとなりました。

図5 アルタ・モーダのスケッチ(アントネッリィの事例)

図1-6

3  G.フェレの事例


 フェレのコレクションの大半は、平面の幾何学的なかたちが3次元(つまり空間)へと展開されたものであり、その着想源は、バウハウスのO.シュレンマーの劇場とロシア構成主義(costruttivismo)です。バウハウス文化は、ロシア革命に直面した資本主義側からの反駁を練り上げたものです―シュレンマーの『トリアディッシェス・バレエ』に見られるような機械的なかたちを備えた操り人形によるダンスなどは、四角や長方形を感じさせる幾何学的なフェレのスケッチに繋がっています。もう一つの着想源は、ロシア構成主義であり、これは、人類全体を対象にして、芸術家および知識人が提案するプロジェクトを通じて社会のあらゆる領域での変革を目指すという理念に基づくもので、1968年世代の建築左翼であるフェレの関心に沿っていました。たとえば、E.リシツキーの「赤い楔で白を穿て」といったプロパガンダポスターが示しているのは、どのようにかたちを構成するのか、そしてかたちそれ自体の詳細かつ自然な細部を除去する方法であり、これによってフェレのデザインのレイアウトが分かります。言い換えれば、人物像が平面上の円錐・平行六面体・球といった幾何学的な少数の要素に還元されるので、立体感(量感)が感じられない一方で、3次元に起こしたときの量感は輪郭線の厚みで表現されています(図6)―手足や顔の表情まで丁寧に美しくスケッチするローマのアルタ・モーダの伝統とは著しい対照を為しています。N.ゴンチャロワが描く人物像もまた、フェレのスケッチにおける簡素化の一つの起源です。
なお、“平面上に置かれた身体”という点では、V.アダミE.タディーニの1960~70年代の絵画を参照しています。両者とも、モノを買う際に瞬時に欲望が満たされるため、持続的な忍耐を必要とする人間同士の連帯が不可能になってしまった消費社会を批判しており、そういった疎外された人間で起きた「心と体が完全に分離してしまった悲劇」を表現すべく、魂を抜かれた操り人形のようになった人間の関節が外れて、腕や足のパーツがバラバラになった様子、つまり身体の様々な部位の位置が狂っている様子が描かれています。

図6 フェレのスケッチ

図1-7


 フェレのスケッチに見られる色使いもまた、タディーニとシュプレマティズムのK.マレーヴィッチを踏襲しています。色彩をもっぱら黒と白のみに縮減するマレーヴィッチ同様、フェレもまた色のゼロ度(非色彩)である黒と白を愛好する一方で、タディーニの色使い―冷たく、統一されていて、明暗法によってかたどられず、平板で激しくない―も参照し、工業製品のようなフェレ独自の色使いが生み出されました(図7)。要するに、彼の服には、伝統的な衣装の色使いとは異なり、金属・木・くすんだペンキ・家具の上張りの染めた革の色等が施されているのです―タディーニ同様、一つのパーツ(オブジェ)に一つの色が割り当てられています。

図7 工業製品のようなフェレの色使い

図1-8


アヴァンギャルドが引用するような東洋の服飾文化をアルマーニが参照しないのと比べて、フェレは、日本やインドの服飾文化を参照しました。日本の武士が着ていた胴鎧(甲冑)にヒントを得たジャーキン(胴着)を発表するほか、インドについては次のように述べています。
「首回りのカラーが立った綿製のシャツであるインドのクルタ(Kurta)には、短くかかったボタンと、縫製の中に隠れたサイドポケットがあり、(他方)その長さは腰を超えて突き出ており、心地よく座るために横のスリット(ベンツ)もあるが、(要するに)これは完璧なシャツだ。裁断された長方形の布地から創られた、ゆったり穿ける長ズボンであるロンギ(longhi)も良い。」
そのほか、米国のアクションペインティングを参照してマントのストライプ模様を考案したり、1982から83年のコレクションでは、N.ガボ A.ペヴスナーを暗に参照しつつ、L.フォンターナF.メロッティといった現代彫刻家にヒントを得て、ボディースやジャーキンを発表しています。様々な時代を参照し、諸々の現代アートを統合して誕生したフェレ・テイスト(フェレらしさ)とは、身体のラインに反しない立体幾何学的なかたちを備え、渋い工業製品の色使いを持ったファッションであり、その特徴は、肩が凸型であること(bombatura)、リボンで結ばれたベルト、(スカートではなく)ズボンやスラックスへの偏愛だとまとめることができます。


4 G.ベルサーチェの事例


 アルマーニ同様、ベルサーチェもまた、世界を劇場として捉え、演劇的な舞台の一場面として日常生活を眺めるけれども、M.ベジャールなどの振付師と協働して彼ほど数多くの舞台衣装をデザインした(既製服ブランドの)スタイリストは他にいないと言えます。ベルサーチェによれば、ベジャールは服を躍らせることができる唯一の人間であり、そうすることによって服に命を吹き込んで忘れがたい動きをさせ、服が身体の延長物となるようにすることができるということです。また、ベジャールの証言によれば、ベルサーチェはファッションよりも舞台を好んでおり、空港・街路・レストランさえも舞台空間として捉えられ、そこで女性はG.ガルボになり、男性はJ.ディーンになることができるということです。日常生活に現れる新たなモードはすぐ廃れていきますが、神話の世界に現れる女神は廃れない美を備えているので(彼はまた古代ギリシャやローマの彫刻から隠れた立居振舞いを研究しています。)、彼は、ギリシャ神話から出てきた女神のようなモデルをプールサイドに寝そべらせ―つまり、単調な生活世界の中に美の化身であるヴィーナスを闖入させて―、それまでとは異なるドラマチックな時間世界を切り開こうとしました(その意味でベルサーチェのファッションにはE.ブロッホの述べるような異化効果があります。)。他方、アルマーニとは異なり、社会の中での固定的な職務/役割ではなく、柔軟な職務/役割を果たしうる(変身し得る)という側面は強くありませんが、これは、ベルサーチェが、日常生活でも映画の主人公・オペラの主役・神話上の人物のように振る舞うことを人々に求めているからであり、言い換えれば、ユーザーの直接の同一化の対象がそういった人物達だからです。
 べルサーチェのファッションには、アルマーニよりもはるかに激しい細部の誇張法(結び目、蝶結び、ベルトといった構造上の要素、肩のかたちから長いジャケットやズボンをスリムにすることに至るまで)があり、その意味で、典型的なネオバロックのスタイリストであると位置づけられます。ベルサーチェは、服の細部の量感のバランスを崩すことで、女性服の構造全体を再発明する一方で、その服を纏う女性は、孤独で分離された人格として家庭内の空間で、あたかも不実な“運命の女性”のようにミステリアスに行動できるようになるということです。ポストモダンという言葉の言い換えであるネオバロックとは、共産主義革命や社会の近代化による進歩・発展といった大きな物語に対する期待が失われた結果、不変に対する“変化”連続性に対する“リズム”同心円に対する“楕円(脱中心化)”安定に対する“不安定”といった用語で特徴づけられ、それはあたかも、宗教改革の時代になって、神から理性と知が自律していくことを認めざるを得なくなった16世紀のローマ・カトリック教会が、反宗教改革のために対抗イデオロギーを創り上げたことと軌を一にしています―つまり、完全な神とは異なり不完全な人間の理性と知で現実を把握する以上、把握する対象としての現実は、雲を掴むように曖昧で発散するような現実、隙間だらけで非合理的な(不安定な)現実となり、そういった現実を表現するために円ではなく楕円を用いるなどといった誇張法が用いられたのでした―Z.バウマンを援用するなら、大きな物語に対する期待が失われた後の現代世界は、“液状化した世界”です。
さて、ベルサーチェは、神話を参照することに加えて、ティッツィアーノ・ベロネーゼ・ラファエロ・ピエロデッラフランチェスカといった美術も参照します。彼のアート思考を追うならば、サロメ(salome)の舞台衣装では、ヴィクトリア朝のラファエル前派の画家達やO.ピアズリーのイラストを参照し、ダンサーであるD.イサドラの衣服では、“縦長のかたち、交差縫いのマント、流れて縺れ合ったヴェール”が見て取れる―レオタードの模様は、カンディンスキーから採用されました。サロメ-セクシーの衣装は、(米国のコメディポルノである)MingとMongo惑星の主人公たちへの賛辞であり、サロメの親であるヘロディアスと騎士見習いのキュビスム的な衣装は、米国の戦間期の漫画を参照したものであるということです。つまり、ベルサーチェは、原作のサロメに対する皮肉な読解を行って、原作の劇を祓い清めている(悪魔祓いをしている)、とクィンタヴァッレは指摘しています。オペラのドン・パスクワーレのためのデザイン(図8)では、顔や体のパーツを縮小し、上述した衣装の細部を強調するという意味での誇張法が見てとれ、他方、バレーの“マルローあるいは神々の変貌”では、1910-20年代の漫画に由来するような極度のスリム性を強調しており、また鎧状の袖(le maniche-corazza)用の“ポケットなどに用いられる蛇腹状の襠(まち;soffietto)”および巨大な蝶リボンが特徴的です。このバレーの中で、“死への誘惑”は、カンカンダンスを踊る少女が表現していますが、それは、アール・デコのアーティストであるエルテのイラストを再解釈したものでした―エルテのイラストは、1985-86年の金属製の夜会服でも着想源となっています。

 図8 ベルサーチェが手掛けた舞台衣装の例

図1-9

5 ミッソーニの事例


 アルマーニやフェレのようなミラノのスタイリストにとって新たなコレクションの着想の源(文化的な参照先)は現代美術や映画ですが、ミッソーニが参照するのは、もっぱら1950年代のアンフォルメル派です―ミッソーニ夫妻(Rosita and Tai Missoni)は、1960-70年代後期には美術の潮流として消えたように思われるアンフォルメル派の内部に常にいます。自分が期待するイメージを実際の社会生活の中で作り上げることの難しさをアンフォルメル派の絵画が表現していること、言い換えれば、アンフォルメル派が描く絵画の表面振動(バイブレーション)と様々な厚みが、情緒的な緊張(ストレス)を表していることを見抜いたミッソーニは、そういったストレスを表すスクリーンとしてのセーターやニットを創りました(図9)。ミッソーニのニットが、その表面の振動や厚みを通じて、社会生活のストレスを表現する一方で、P.クレー抽象表現主義のM.ロスコの色使いを参照してデザインする服のリピート(柄の折り返し)と色調が表しているのは、エスではなく前意識に属する欲動(具体的には肉欲という激しい苦悩)そういった肉欲の制御・抑制です―神話を思い出させるような冷ややかな色調とリピートは、この肉欲の制御・抑制のためです。かくしてミッソーニの服の精神分析学的な解釈は、フェレやアルマーニの服と異なります―社会主義(ロシア構成主義)の理念に準ぜよという道徳的命令を発するフェレの服は、(道徳の審級に属する)超自我的な服である一方で、アルマーニの服は、現実にマネジメントを行うキャリアウーマンのアイデンティティを同定する服です。

図9 ミッソーニのファッション

図1-10


ミッソーニは、(服の)ラインを提案していないように見えますがそうではなく、身体の構造を顕在化させる仕方で(その構造を顕示的に示す仕方で)ニットがソフトに曲がって身体にぴったりフィットすることは、事実上、ラインの探求にほかならないと言えますー他方、ミッソーニにとって、素材はなんでも良く、同じように扱われています―生地の様々な厚みを通じて、素材の性質が明らかになります。また、色調の特徴としては、屡黄土色や土気色が隣に並べられ、一つのテーマに基づいて淡いバリエーションで一つ一つの色が区切られていることが挙げられます。ミッソーニの革新は、ニットの織り方を内側から外側へと逆転させるとともに、ファシズム以後、イギリスのテイストが男性を色彩から排除したことに反発して、情緒的な緊張を担った色を男性服へと再導入したことであり、これによりカラフルなスーツやプルオーヴァー(頭からかぶって着るセーターまたはシャツ)が可能となりました。羊毛のニットをアルタ・モーダや既製服の中に位置づけるのは難しく、またニットウェアーは、劣っていて従属的なジャンルだと見なされてきましたが、イギリスの羊毛から創られた大量生産されるニットへの敵意対決を通じて、ミッソーニは、日々、新たなラインと色合いのあるテクスチャー(規則性を備えた模様)を提案しています。

6 終わりに

本noteから、イタリアの既製服の創造では、アート思考が駆使されたことが分かります。アート思考によるモノ作りの典型的な事例と言ってよいでしょうーアート思考によるモノ作りの具体例がここにあります。かくして現代美術を含めてアートの教養は、(芸術経営学科/デザイン経営学科/デザイン工学科等に属する学生なら)あればあるほど良いということになるでしょう。なお、ローマの高級仕立服では、創る服そのものが一点モノの芸術作品となりますので、アートを参照して新たなファッションを創るミラノの既製服ビジネスとは異なりますが、昨今のイタリアンファッションでは仕立職人の匠の技を活かしてファストファッションに対抗する動きもありますので、ローマのアルタモーダの伝統も押さえておきたいところです。ファストファッションに対抗する2020年代のイタリアンファッションを考える次のnoteでは、ローマで既製服の量産を構想したバレンティノの取り組みや、既製服ビジネスを考えるイタリア人にとって「心の故郷」であるW.アルビーニの取り組みも紹介します。

画像出典
冒頭の図:Bianchino,G and A.C.Quintavalle(1989),Moda dalla fiabe al design,DeAgostini,p.119,121(いわゆるバレンティノの赤)、図1:(左から順に)https://migliorilook.wordpress.com/2016/03/21/migliori-look-degli-anni-trenta-salvador-dali-ed-elsa-schiaparelli/,https://www.enstock-4.top/ProductDetail.aspx?iid=17673000&pr=58.99, https://eyesaremosaics.tumblr.com/post/142762242427/elsa-schiaparelli-glass-cape-made-from, https://www.ricamoaltamoda.it/blog/elsa-schiaparelli-il-talento-dell-eccentricita、図2:(左から順に)https://www.slideshare.net/nokides/velentina-bonnie-e-clyde-guido-crepax/35,https://www.doppiozero.com/rubriche/3/201412/il-ritorno-di-valentina,https://www.pinterest.it/pin/386042999301827024/、図3:Combray,R.(1982),Armani,Franco Maria Riccci,p.27,38 、図4:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit., p.206,215,223、図5:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit.,p.63 、図6:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit.,pp.228-229、図7:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit.,p.227,239、図8:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit.,p.245、図9:Bianchino and Quintavalle(1989),op.cit.,p.250,253,256-257

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