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善光寺の紹介④ 境内紹介〜本堂編〜

 善光寺布教ブログに戻りたいと思います。最初は境内紹介で一回にしようと思ったのですが、本堂編→山門・仁王門・宿坊編→大本願・大勧進編→経蔵・資料館編に分けたいと思います。たぶん善光寺投稿は全15回くらいになりますね(ほぼ通期講座)。

 さすがに最後の方まで読者がつくとは思ってないので、たまに別のことでも書こうと思います。

1.本堂の概要

 善光寺といって普通の人が一番に思い浮かぶのがおそらく本堂でしょう。長野県の観光ポスターや長野県ローカルcm、果ては信州そばのパッケージのデザインまで、長野市の象徴として知られています。

 さて、ここで本堂の基礎知識を。善光寺はたびたび火災に遭っており、今の本堂は宝永4年(1707年)に建てられたものです。12代目と言われています。後述しますが、本堂は焼けるたびに大きく建て直されているので「善光寺の焼け太り」と言う人もいます。

 ちなみに、本堂は全国で3番目に、東日本では1番大きい国宝建造物です。(ちなみに全国一位は東大寺大仏殿、二位は三十三間堂。)

 本堂は撞木造という特殊な建築様式をしています。上から見るとT字型になっているのです。↓(Google Earthより)

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 この理由については後述します。

2.本堂内部

 本堂は外陣内陣内内陣に分かれています。俗な分け方をすると、外陣が無料で参拝できるスペース、内陣が有料で参拝できるスペース、内内陣は参拝者は立ち入ることができない、法要のためのスペースです。(画像は善光寺HPより)

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 まず外陣から。外陣で有名なものといえばびんずる尊者閻魔像でしょう。びんずる尊者というのは釈迦の十六弟子の一人で、「触ったところが良くなる」という効果(?)があるようです。小学生だったら足を触って「足が速くなりますように」とか顔を触って「顔が良くなりますように」、受験生だったら頭を触って「頭が良くなりますように」とか祈るものです。自分も例に漏れず全部やったことがあるんですが、最後だけ叶ったようです。

 また、毎年一月六日は「びんずる廻し」といって、びんずる尊者像を引っ張って外陣を一周する行事があります。

 閻魔像は、地獄の閻魔大王の像です。薄暗い本堂の中で見ると怖いので、長野の小学生のトラウマとなっています。(画像は善光寺HPより)

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 次は内陣です。内陣はかなり広い畳敷きの空間です。江戸時代は一晩中祈り続ける参拝者で溢れかえっていたそうです(今はそんなことできないですが....)。内内陣寄りの両脇には大きな地蔵菩薩像と弥勒菩薩(如来)像があります。

 さて、内内陣です。内内陣は謎が多い空間です。まず、ご本尊が真ん中にいない。薬師寺や法隆寺を想像してみてください。本尊は本堂の奥かつ真ん中に安置されています。しかし善光寺はそうではありません。向かって左三分の一が本尊の瑠璃壇で、右三分の二は開山御三卿の像(本多善光、妻弥生の前、息子善佐)が占めています。開山した人を祀ること自体は例外的なことではありませんが、ふつう開山堂を作って安置したり本尊脇に安置したりするはずで、本尊を差し置いて本堂の中心をとるなんて普通はない話です。こう言っては何ですが、『善光寺縁起』によれば本多善光は(月蓋長者・聖明王の生まれ変わりといえども)国司の従者にすぎません。ですから、「開山したのは信濃に住んでいた百済の豪族説」などがあるのですが、これは参考文献が手に入ってからまた述べたいと思います。

3.撞木造について 

 最初に投げたきり触れていなかった撞木造についてもう少し話します。撞木というのは読んで字の如く、鐘をです。(写真は明田祭禮より)

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 しかし最初からこのような形をしていたわけではないことは、『一遍聖絵』の善光寺参詣の図からも窺い知ることができます。これを解くヒントが、「善光寺の焼け太り」、「外陣、内陣、内内陣」にあります。

 善光寺は平安時代〜鎌倉時代にかけての善光寺聖の活躍により全国的に浸透したことは最初のブログで見ました。そして室町時代、江戸時代には門前町として栄えます。これは、参拝者の増加を意味します。増加する参拝者に適応するため、本堂がどんどん大きくなっていったのです。本来仏像が安置されている場所は僧侶しか入堂が許されませんから。

 具体的にいうと、内内陣の部分が正堂(仏像を安置したり僧侶が読経する場所)です。これは屋根でいうTの横棒部分にあたります。そして内陣、外陣の部分が礼堂(参拝者が祈る場所)です。ふつう金堂の屋根はこんな↓形をしていますから、正堂(内内陣)に参拝者用の礼堂が付加された形ということができます。

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 余談ですが、東大寺法華堂(三月堂)も同じような歴史を辿っています。法華堂というのは、不空羂索観音像が安置されている御堂です。日本史B選択者なら知ってるはず...。最初は正堂のみでしたが、参拝者のために礼堂が新設されました。撞木造ではなく、正堂と礼堂は別の建物ですが上から見ると撞木造と同じような形をしています。

 撞木造になった年代や建築様式について話をすると30回、40回ペースになるので割愛します。

おわりに

 やっぱり本堂はトピック多いですね。次は山門・仁王門・宿坊(主に世尊院)を扱います。ここまで見てくれた人はまた次回も見てくれると嬉しいです。それではまた!

参考:善光寺HPほか

写真:善光寺、Google Earth、明田祭禮

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