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受け入れる事について

言葉を受け入れる

2020年広辞苑を買ってから、分からない言葉があるとすぐに広辞苑を引くようになった事を前回の記事でも書いたが、そこから繋がっていったここ最近のいくつかの感じた事や考えた事を記していこうと思う。
特に、そこに共通して見えてきた「受け入れる事」について。

まず、調べている中でよく思う事は、日本語が多言語を受け入れる事への柔軟性の高さがすごいという事だ。

例えば、先日勤務先のアルバイトの子に「ピンキリ」という言葉が通じなかった際に、そういえば、「ピンキリ」の語源って何だろうと思って調べた時の事。
家に帰ってすぐに広辞苑を引いたが語源は載っておらず、仕方なくWEBで検索。すると、「ピンキリ」という言葉の語源はポルトガル語からという結果がでてきた。

お寿司屋さんでの数え方で「ピン、リャン、ゲタ、ダリ...(1,2,3,4...)」という数え方をするくらいだからてっきり日本語由来の言葉だと思っていたから、この結果は予想外だった。

そういえば、と思い出す。
確か、少し前に「油断」という言葉を調べた時もその時の由来が涅槃経だった。涅槃経は仏教の仏典の事なので、こちらも5世紀頃に他の地域から日本に伝来してきたものとされているから、国に元々あったものではない。

この様に、僕達が普段使っている日本語という言語には多くの多言語由来のものが含まれている。そして、日本語のすごい所はそれを受け入れて、そのまま使ったり、変化させて使っているというところだ。僕は多くの言語を学んだわけではないが、他の言語では外来語は訳されて使われてしまったりする事がほとんどだと思う。

しかし、日本語は外来語をカタカナで表記してそのまま使ったり、古くから使われている「ピンキリ」や「油断」みたいに母国語の様に(もはや母国語と言ってもいい位に)扱われてきた。これは日本語の持つ多様性を受けい入れる事ができる柔軟性の高さ、その素晴らしい精神性を物語っていると思う。

混沌を恐れない、多様性を受け入れたとしてもブレない芯の強さの様なものを感じて、とてもかっこいい。

これまで日本語の事について書いてきたが、これは日本語という言語に限った事ではなく、日本の様々な文化にも見られることである。

例えば、「天ぷら」は海外にある日本食レストランでも代表的な日本食として親しまれているが、元々はポルトガルから(またポルトガル!オランダという説もあったりと諸説あり)「フリット」という料理が伝来し、それを日本風アレンジにしたものが天ぷらであったり、食文化以外にも海外から伝わってきたものを日本風に作り変える事で発展してきた物は他にも沢山ある。

そして、その一番最初の入り口となるのが、まず「受け入れる」という事である。

人を受け入れる

つい先日放送されたMIU404という星野源さんと綾野剛さん主演の刑事ドラマでも題材として扱っていたり、法務大臣の私的懇談会による法改正(というか改悪)の提言を受け取ったという事でも話題になっていた「外国人在住者」の受け入れに関する日本の現状について少し調べてみたので、簡単にまとめる。

提言の内容と現状

先述の私的懇談会による「国外退去に応じない外国人には刑事罰を」という法改悪の提言を法務大臣が受け取ったという事が2020年7月14日に明らかになり、批判の声が上がった。

まず、数の話をします。
今現在、国外退去に応じない外国人で入国管理局により長期収容されている数は平成29年に比べると約2倍まで増えており、在留特別許可が出されるのは申請者に対して10年前の80%から50%まで減少している。

そして、収容されている7割の人はビザ切れのみの理由で収容されている。在留特別許可を出してあげれば収容される理由もない人たちばかりという事である。在留許可が出ている人は25年前の30万人から現在7万人程までに減少している。

次に、このような数字が出た原因。
今までは当たり前の様に特別許可が出ていた事案として、日本人と結婚していたり、すでに日本人との間に子供がいる場合でも、現在は許可が出ない事が当たり前の様になってきているという。

また、そういった親を持つ子供で日本で生まれ育ち、日本しか知らず、国へ帰れと言われても帰る先の国に家も仕事もない様な人でも在留許可が出ず、国外退去に応じないとみなされる。

申請したとしても、親子ともに在留許可を出すと親が得するからという謎理論で許可を出さず、親が帰るなら子供にだけには在留許可を出すが、それは家族を分離してしまうことになるので良くない事である。と言って、親子ともに国外退去をさせようとしている事案が多いらしい。

ちなみに、本人達は申請が却下される理由も伝えられないので、何をどうしたら申請が通るのかも分からない事がほとんどだという。

そういえば、大学の時にお世話になったルーマニア人の先生も日本の大学を卒業していても一度申請が却下されたという事を言っていたので、「なんで?」と訊いたら、先生も「わからない。」と答えていたのを思い出しました。その時は聞き流していたけど、今思うとこれか!という感じ。

また、ちょっとした理由に付け込んで許可を取り消す例もある。
例えば、日本人と結婚している外国人が仕事上の都合で別居しているだけで偽装結婚とみなされ許可を取り消そうとするケースもあった。
この事案は裁判になり、判決により在留許可が認められたらしいが、日本人同士なら何ともない様な事が、外国人というだけで1発レッドカードの様な扱いを受ける事が多いという。

入管はそのような人達を、精神的に耐え切れず、根を上げて帰国するのを狙って(としか思えない)長期収容を行っているが、帰国すると命が危険がある人達(難民申請している様な人達)が多いのでほとんどの人が帰らない。
なので、必然的に長期収容者が増えていく。

つまり、この法改悪の提言は「このままでは長期収容者数が増えていくから、刑罰化すれば減るだろう。」という考えである。

本当は長期収容者数が増えているのではなく、在留許可の却下数が増えているのが原因であるのに。

外国人に対する姿勢

こういった外国人に対する日本政府の姿勢は日本の入管法第一条を見るとよく分かる。

第一条 出入国管理及び難民認定法は、本邦に入国し、又は本邦から出国する全ての人の出入国及び本邦に在留する全ての外国人の在留の公正な管理を図るとともに、難民の認定手続を整備することを目的とする。

そもそもの入管法の基本的な姿勢に、外国人や難民の受け入れに対する「支援」であったり、「援助」という姿勢はなく、「管理」や「整備」が目的とされているのだ。

先日、香港市民の受け入れを拡充すると表明したイギリスの姿勢との大きな違いもこの法律からよく分かる事である。

受け入れない人々と受け入れる人々

この様な「在留許可の減少=長期収容者」の増加が顕著に見られ始めたのは第二次安倍政権以降だという事実を知り、腑に落ちた。

つい、先日問題になった韓国のある場所に設置された安倍首相に酷似した謝罪像。
これに対して、韓国政府も「国際礼譲を考慮すべき」との見解を示したり、国民の多くが支持しないと示している調査結果もある(調査対象者等にもよって結果は変わるだろうが)。

あの謝罪像を肯定するわけではないが、この問題の根本は日本の権力者が自分達の過ちを受け入れないという今までの対応にあると思う。

まず、日本軍が戦時中韓国人女性を慰安婦として連れ歩いていた事は世界中に知られている事実であり、戦後直後に慰安婦問題を追及された時にすぐに謝罪するべきであったのにそれをしなかった当時の権力者の対応。

また、この様な追及に対してこれまでずっと謝罪をせず、日韓合意として10億円を元慰安婦救済の為に設立された団体に寄付した事で韓国政府に「不可逆的に」解決した事を認めさせ、慰安婦像の撤去等をしつこく要求する日本政府の対応。
これは金を出したから像を撤去しろという、誠意を微塵も感じる事のできない対応である。

「戦争行為」自体が過ちなのは大前提だとして、戦時中の「加害者」としての過ちも素直に認めて謝罪するのが日本政府の取るべきだった誠実な対応だと思う。

日本政府は現に「被害者としての象徴」として原爆ドームを大切に保存しているのだから、被害者の気持ちがわかってもおかしくないのではないだろうか。

日本人が原爆ドームを残したい気持ちと、韓国人が慰安婦像を残したい気持ちはどう違うのだろうか。

一方で、ドイツでは自分たちが犯した罪を二度と犯さないという決意を世界に表明する為に、ナチスの強制収容所をそっくりそのまま保存し、公開している。更には、ナチスの使用していた用語や記号の使用を禁止する法律まで作っている事からも、第二次世界大戦後の反省の決意として強く表れていると思う。

決定的な違い

これらの行動の違いは自分の犯した過ち、罪を受け入れられるか、受け入れられないかの違いではないだろうか。
それは人としての強さとも言えるかもしれない。

イギリスの香港市民受け入れ拡充の表明も「歴史的責任から逃れない」という内容を含み、たとえ戦時中に罪を犯した当事者でなくとも、今の国のリーダーが国として過去の過ちを受け入れている。
歴史を、過ちを、罪を受け入れる芯の強さをうかがえる。

そして、現政権の外国人在住者への対応とこれまで続く慰安婦問題の共通している点は、まさに「受け入れない」または「受け入れられない」という点である。
これは人としての弱さとも言えるかもしれない。

この受け入れない、受け入れられない姿勢を持ったシステムこそが人種主義に繋がるので、BLMだって少しも他人事ではない理由の一つである。
外国人在住者への対応でもわかる様に、まさにこのシステムを日本も持っているのだから。

これまで日本が自然としてきた、他言語や他文化を受け入れて、日本のものとして作り変えていく素晴らしい「受け入れる」精神は、まだ多くの人には宿っていて、ただただ権力者達にはないだけと信じて、これからの日本を変える世代になりたいと考える事が増えていく2020年の梅雨明けでした。

これを読んだ皆様は何を感じましたか。
あなたの近くの人とぜひ話してみてください。
話す人がいなければ、ぜひお話ししましょう。


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