見出し画像

駅と駅前。(2014年のメモより)

水戸岡さんの手がけた仕事の中で、
めちゃくちゃ好きなもののひとつが熊本県「三角駅」です。

十数年前、最初ファサード計画図見た時は「まいど!」って思いました。

というのも、この尖塔屋根。みるからにクラッシックな金物の需要がありそうじゃないですか。でも実はこの駅1903年に作られたもので、僕が新しく作るものは全くなかったのです。
水戸岡さんがやったのは駅舎の補修と塗り替え、そうして「駅前展望台」の撤去だけでした。
しかしそうやって、「駅前」に手を出すことで、この駅は生返ったのです。


改修前の三角駅(2006年)
「駅wiki/三角駅」 http://seesaawiki.jp/w/ekiwiki/d/%BB%B0%B3%D1%B1%D8

ご存じない方も多いと思うので書きますが、公共空間としての駅と駅前って結構特殊でして、「駅」はJRや私鉄など「会社」の持ち物なんですが、「駅前」は市や町など「自治体」の持ち物なんです。
「駅」は民間事業。「駅前」は公共事業。
考えてみれば当たり前のことなんですが、利用者としてはあまりそこに気づきません。でもしかしいってしまえばただのお隣さんなんですから、そのそれぞれは「不可侵」なのです。いろんなとこでみかける、「駅」と「駅前」のデザインバランスの悪さはそこに起因するのです。各々が勝手に計画することも当たり前なのですから仕方のないことと言えるかもしれません。

しかし、水戸岡さんの著書「あと1%だけ、やってみよう」の中には、博多駅の駅前広場に木を植える話が出てきます。

木は空間の雰囲気もやすらぎも与えるけど実は厄介。
視界をさえぎるし、落葉するし、恒常的なメンテナンスが必要なものです。

街中の街路樹がみっともなくバッサリ切られてしまうのは出来るだけメンテナンスコストを抑えるためでして、できるだけ短いスパンで切らないで済むように庭師のように剪定鋏や鋸を使うのではなく、チェンソーでできるだけ手短に誰でもできる仕事として入札され施工されるからです。

「切りゃいいんでしょ?」っていう街路樹剪定の仕事。

「庭師並み」の剪定を行うメンテ費用を、税金で遣ってしまうと、市民からは間違いなく怒られることが目に見えています。
「チェンソーでバンバン切る」と「庭師が景色を見ながら切る」は公共事業の書類上は同じ「木を切る」ですから高い費用は怒られて当たり前です。

だから駅前の持ち主である「公共」からは、「木を植える」は嫌われて当然なんですよね。実際都市の駅で10本も20本も木が植えられているというのはほとんどないとおもいます。特に上の写真のように高所作業車が寄り付ける場所ですら道路使用許可の申請という面倒もありますし歩行者に対する規制も必要な歩道に乗り上げるところに生えている木はほとんどないのではないかな?とおもいます。

しかし2011年の博多駅新築の際、駅前広場において、前述した「あと1%だけ、やってみよう」には当時のJR九州、唐池社長の話が出てきます。

「水戸岡さん、やっぱり木は必要だよ」
「ウチ(JR)でなんとかするから木は植えよう」

この話はとっても好きです。不可侵条約破っても、そうして身銭を切っても、駅と駅前をランドスケープとして繋げようとしたJR九州はやっぱりすごいって思いました。


ウィキペディア「博多駅」より

さて。三角駅の話に戻ります。
三角駅も、「駅」と「駅前」の切り離しがあったから、「駅前展望台」(上記改修前の写真の駅前面)ができちゃったんだと思う。
でも、それを撤去・整理することで、こんなに美しい駅になった。
1903年の駅舎は、陽の光を浴びる美しい姿を再び見せた。

竹本仁氏撮影・2011年

つかってる人間にとっては「駅」も「駅前」も連続なんですから。美しい連続をつくることの出来る人、めんどうな不可侵を犯してもその想像の出来る人が、本当の「公共」への奉仕者だと思います。

だってもう、見てよ、この広い青空!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?