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短編小説『ビジネスマンのたしなみ』

 斜陽と呼ばれる業界が斜陽と呼ばれる所以とは何だと思いますか。時代でしょうか、それとも・・・これは具体的にどの業界の話かというのは伏せておきますが、以下は実際に私が聞いた話でございます。オレというのは私のことではありませんからね。私とは別のオレの話です。

 できる会社員はカバンを見ればわかるという格言じみた言葉があるのをご存知の方もおられると思うがこれはまさにその通りであり、オレが出世街道を突き進めたのもカバンのおかげと言っていい。本革で耐久性の高いカバンをオレは就職祝いで父に買ってもらった。入社仕立ての頃は身分不相応だなんだと鼻で笑われたものだがそういう馬鹿野郎は結局ろくに出世もできず、取らなくてもいい責任を取らされて閑職に回されたり退職したりしている。本当に馬鹿なやつらだと思う。

 スーツは無論オーダーメイドだ。若い頃に仕立ててもらったものを五十を越えた今も着続けていられるのは普段の節制の賜物であるし、ジム通うも奏功しているにちがいない。自己研磨に時間をかけられない男はビジネスマンとして失格の烙印を押されても仕方がない。雑多な仕事は雑多な仕事しかできない奴らに任せてしまい、その分、空いた時間を有効に活用するのがビジネスマンとしてのあるべき姿であり、そのためならば下請け業者にはいくらでも仕事を押し付ければよい。文句の一つでも言われようものならば発注先を変えれば済む話である。

 入社から一貫して営業畑を歩んできたオレにとって靴もこだわらなければならないアイテムだ。歩きやすく疲れにくい、かといってカジュアルでなく重厚さを讃えるような、そんな靴を選ぶことにしている。足音にも重みがついてくるもので、オレが近づいたら下っ端の社員どもや下請け業者たちは背筋を伸ばして直立するが、オレはそんなポーズにはなんの意味もないことを知っている。つまらないことで上のご機嫌を伺うくらいならもっと自己研磨に時間を充てればいいのに本当に馬鹿ばっかりで困ったものだ。一週間あれば映画は最低3本、落語や歌舞伎も観に行くし、現代アートもとりあえず通っておくことが肝心だ。知ってるというだけで「あの人はできる」と評されるジャンルというのが存在する。どうせ、ろくによく知りもしない連中ばかりなんだから少しかじっておけば専門家然としていられる。その程度の労苦さえ惜しんで馬車馬のように働いている馬鹿どもがオレは哀れでならないから、馬鹿どもにもそういうジャンルへの門戸を開いてやろうと説明してやるんだが、やはり、あいつらはあいつらなりにそういった高尚な話題に飢えているんだろうね。目を輝かせながら話を聞いている。定時の17時に退社するまで時間が余ったら1時間ほどオレは若い衆や下請けの徳の低い連中に話を聞かせてやることにしている。

 近頃はリモートワークが推奨されているものだからオレは会社に行く機会がなくなった。昔ながらの価値観にしがみついているオールド社員どもはそれでも相変わらず職場に出てはあくせく働いているらしい。ご苦労なことだ。得意先から仕事の依頼があり丁寧に返事を送る。この丁寧さ、そして迅速さもポイントである。あとは職場にしがみついている社員なり下請けの馬鹿なりにメールを丸ごと転送しておけば問題はない。仕事を受ける窓口になってやっているだけでオレの仕事は完結していると言っていい。丸ごと任せた仕事を完璧にやり遂げるか、それができないかでオレの仕事を振るに足る人材か否かが決まる。下請けにもつまらない主張をする者がいて、オレの存在する意味がわからないというのだが、意味がわからないようだからおまえはいつまで経ってもそこでしょーもない仕事に追われ続けるのだ。つまらない責任を取らされて会社にいられなくなった奴らを死ぬほど見てきた。

 ビジネスマンとして最も大切なのは、責任を取らないことだ。責任を回避することだ。責任を押し付けることだ。そして手柄を取ることだ。手柄をむしり取ることだ。手柄を横取りすることだ。実務は全て下に押し付けて上手い具合に案件がまとまらなければ下の責任にして、上手くまとまればオレの手柄にすればいいのだ。近頃はこういうビジネスマンとして当たり前の心得を持たない馬鹿が多すぎる。ビジネスマンは最後に勝たなければならない。勝つための戦闘服として身だしなみには気を配りすぎるということはない。財布、名刺入れ、時計といった小物にも金をケチってはいけない。社会人としてこれは最低限度のマナーといえる。そんなことにさえ、ろくに気の回らない連中がオレは嘆かわしいし、あの連中とオレが同じビジネスマンであると括られることすら恥辱でしかない。あのような社会の恥部のような連中はオレに責任を押し付けられるためだけに存在すると言っていい。

 さて、一通り仕事のメールは転送したから映画でも観に行くことにしよう。新海誠なんて全く興味はないが映画館の入口の看板だけ撮ってインスタグラムにあげておこう。インプットも大切だが無駄な時間を費やしたくない時はアウトプットだけすればいい。オレたちに与えられた時間には残念ながら限りがある。

 得意先から電話がかかってきた。どうやら下請けの馬鹿が数字を一桁間違えたらしい。大変申し訳ありません。僕に責任はないんですよ。僕に責任はなくて、全て下請けがしでかしたことでして。いえ、だから僕に責任はなくってですね。いや、そういう意味では、逆に責任が僕には無くてですね。え。いえいえ、決してそのようなつもりでは毛頭ございません。ですから、下請けが、あ、はい。誠におっしゃる通りでございます。責任という意味では、むしろ、現場を取り仕切っている私の部下の吉林という者がおりまして、彼に強く言い聞かせ、はい。はい。誠に申し訳ございません。ですが、責任の所在に関しましてはあらゆる方面から検討のうえ、折り返させていただくということで、なんにせよ、ワテクシがですね、いえ、ワタクシが申し上げたいところは、つまり、決してアタクシには責任というものが、何処にあるのか探し兼ねておりまして、この場所に無いということだけは確かなことなのでございますが、あ、いえ、インスタグラムですか。いや、その新海誠なんて別にあれは観ておったわけではなくてですね、その責任の所在というところでいいますと、決してやはりアタクシのものではございませず、社長にですか、いえ、何卒そればかりは、ご容赦願いたく、大変申し訳ありませんが、とにかく責任の所在に関しましては弊社の判断ということになりますので、どうかお時間をいただければと・・・・

 いかがでしょうか。斜陽と呼ばれる業界が斜陽と呼ばれる所以がおわかりいただけたことと思います。このあとオレは見事に責任を下請けになすりつけましたが、業界そのものへの信頼が失墜してしまいました。オレは今も責任から逃げ続けているそうです。

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