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神拝

私の祖母が生前常々話していたことで、一番印象に残っていることが「広く明るい道の真ん中を真っ直ぐ歩む」ということです。

神棚での礼拝は一日たりとも欠かしたことのなかった祖母です。
「にいちゃんさあ、神様に拝むのがすべての動きのはじまりなんだよ」とも。

礼をし、まっすぐに立ち、柏手を打ち、また礼をする。
腕を圓相にして太陽に向かい、真言を唱え、精気を呑み下す。
立ち、半身になって蹲踞し、片流れに浅く礼をし、正座。
膝行をしてすっと回り、襖を開けて退出・・・

祖母の動きは羽毛のように軽く、それでいて盤石のような風格がありました。

太刀を持つときは、伸びやかに持ったものでした。
一切力みのないようなすっと立った姿勢から、決して早くはないけれど、小手や急所にすいこまれるように物打が入ってくるのが不思議でした。

「それもこれもさあ、お婆ちゃんは神様を拝んでいるからなんだよ。」とも。敬神の念篤い祖母でした。

最近はただ立って礼をする、その難しさと面白さに目が開けてきました。祖母が言っていた「身体の真ん中の剣」が、少しだけ磨かれてきたのでしょうか。こんな者でも、行う中で何かしら気づかせていただけることがあるというのは、染み入るようにありがたいことです。

太刀之身、これもまた独特な我が家のトラディショナル。
いかにも古伝躰術体操。しかし否、これは神乍らの行法と言っていいのだと思います。

日本にはまだまだ流儀以前の、民間伝承躰術のようなものが沢山眠っていると思います。我が家の傳や、割田氏の傳、順心斎師の傳など、こういったものの掘り起こしを進めつつ、わが身を持って検証、整理して行くのも又面白く有意義なオコナイなのではないかと考えています。

祖母も神信心を続ける上で、不思議な話がたくさんありましたが・・・これはまたいつかお話しいたします。

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