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零-眞紅の蝶-のエンディング分岐を考察する

さて、眞紅の蝶のエンディング6種をすべて観たので、今回はエンディングの分岐について考察していこうと思います。かなり長いです。

1.原作での違和感「ラスボス」は誰なのか

さて、考察に入る前に、私が原作(PS2版)をクリアした時に思ったこと、それは、
「真壁がラスボスっておかしくないか?どう考えてもラスボスは紗重じゃないのか?」
ということです。
確かに、真壁は楔として生贄にされ、怨霊となりました。また、紗重とともに大償を起こした張本人です。しかし、彼は逃げることができたにも関わらず、自ら虚を見るために楔となることを受け入れたのです。プレイヤーから見ても「じゃあなんで逃げなかったのか?」と突っ込むことができてしまいます。
つまり、本来このゲームのラスボスは真壁ではないはずなのです。仮に真壁と対決することがあったとしても、黒澤家当主と同じようにラスボスの前座くらいの立ち位置が限界でしょう。少なくとも「ラスボス」の格は感じない。

これに対し、紗重のほうは今回の事件(大償)の元凶ですし、またゲームの目的が「繭を助けて二人で村を脱出する」ことである以上、その繭に取り憑いている紗重は倒さなければならない存在です(真壁を倒しても繭に取り憑いている紗重は祓えない)。紗重を倒せば村に帰れる(ゲームの目的達成=クリア)なのでラスボスは紗重、というのが本筋のはずです。
しかし、PS2版の1周目は必ず「紅い蝶」エンドになり、紗重とは対決するチャンスすら与えられません。眞紅においても、紗重と対決するには条件があり、必ず戦えるわけではありません。
このように、PS2版では「本来ラスボスであるべき存在と戦うことができず、その前座クラスの相手がラスボスだった」ことに違和感を覚えました。
エンディングの内容如何の前に、紗重と戦えないことが納得できなかったように思います。

では、なぜラスボスが紗重固定ではないのか、もっというと「紗重と戦うための条件とは何か?」について考えていきましょう。

2.鍵を握るのは「分岐条件」

PS2版では難易度によってエンディングが変化します。
HARD未満だと「紅い蝶」、HARD以上は「虚」です。
これに対し、眞紅では条件によってエンディングが変化します。
1つ目の分岐が、「八ノ刻の追加ムービーをすべて観たかどうか」
2つ目の分岐は、「ラスボス撃破にかかった時間およびその撃破の方法」です。
以下、条件を詳しく見ていきますが、難易度より条件による分岐のほうが、「なぜそのエンディングになったのか」の説明になっているので個人的には好きですね。
では分岐条件を見ていきましょう。

A.八ノ刻のムービーをすべて観た
(1)真壁撃破に5分以上かかった=「陰祭」
(2)真壁を5分以内に撃破
 ①紗重撃破に2分以上、またはFF以外でトドメ=「凍蝶」
 ②紗重を闇帰りさせ、FFでトドメ=「虚」

B.八ノ刻のムービーを観ていない
(1)真壁撃破に1分以上かかった=「紅い蝶」
(2)真壁を1分以内に撃破=「約束」

C.その他
繭を置いて深道から逃げた=「マヨイガ」
※厳密にはエンディング(クリア)ではなく「ゲームオーバー」(やり直し)

さて、この中で紗重と対決できるのは「凍蝶」と「虚」のみです。このどちらかの条件を達成するには、八ノ刻のムービーをすべて観なければなりません。そのムービーとは、

1.立花家映写室で暮羽神社の陰祭を観る
2.桐生-立花家通路で落ちようとする繭を見る
3.黒澤家の橋で「もう少し」ここにいる
の3つです。これが紗重と対決するための条件となります。
エンディング分岐の条件はゲームデザイン上の都合で設定されている可能性がある(そんなに深い意味はない)とはいえ、今回の考察ではこれらが「どういう意味を持っているのか」を考えていきます。

3.紗重と戦うための条件は「戦う意志」と「覚醒」

さて、紗重と対決するための条件はわかりました。では、もっと具体的に言うとそれは何なのか?また、なぜそれが必要なのか?それは先述した紅い蝶エンドの違和感を見ればよくわかります。
紅い蝶エンドでは、儀式の前に繭を撮影した後、すぐ紅贄祭(エンディング)です。紗重との直接対決はありません。
これに対し、虚エンドでは儀式前に繭を撮影した後、繭に近づくと繭が襲いかかってきます。この時に射影機で撮影することで、紗重が正体を現し、直接対決になります。

ここで率直に疑問に思うのは、紅い蝶エンドの場合、「なぜ澪は射影機を使って紗重と戦わなかったのか?」ということです。
なぜなら、繭がすでに紗重に取り憑かれていることは澪にもわかっているはずであり、繭を救うためには射影機を使って紗重を除霊しなければならないはずだからです。事実、虚エンドにおいては射影機を使い、紗重と最終決戦をしています。その結果はどちらもバッドエンドでこそあれ、繭の生命は助かります(凍蝶の方は本当の意味で生きているとは言えないかもしれませんが)。
繭を守ることが使命であるはずの澪は、なぜシャッターを切らなかったのか?この点はプレイヤーが第一に感じる疑問だと思われます。

これは私の推測ですが、おそらくこの時点で澪は、その精神の大部分を八重に憑依され、彼女の影響を受けていたのだと思います。八重も今までは儀式に反対の立場でしたが、澪と共に村を探索するうちに、紗重の願いを叶えてやりたいと思うようになり、最終的に澪の手を借りて儀式をした…。
と、まあここまではよくある考察ですが、重要なのは、このとき八重には「紗重と戦う(訣別する)意志」がなかったということです。
射影機を使って紗重と戦うということは、紗重の除霊を意味します。つまり、戦う=紗重の願いは叶えられない(姉妹の訣別)ということになります。八重はそれができなかった。そして、八重の影響を受けた澪にもそれができなかった。私はこのように解釈しています。

眞紅の虚エンドで必須のムービーですが、おそらくこれを観ることで八重の意識が「紗重の願いを叶えること(儀式)」から「紗重との訣別(除霊)」へと変わっていったのではないでしょうか。なぜ、どのように意識が変わったのか詳細は語られていませんが、黒澤家の橋での会話で昔を思い出し、立花家通路で落ちそうになった紗重を見て「私が紗重を守らなきゃ(生命を奪う儀式はできない)」と思い、映写室でお祭りの思い出?を見て「生きて帰り、あの祭りに二人で行きたい(二人とも既に死亡していますが)」という風に感情が揺れ動いた。
あるいは、儀式に囚われている紗重と違い、まだ理性が残っていた八重は澪と繭の姿を見て、「この子たちを巻き込んではいけない。紗重を解放してこの子たちを村から逃してやらなければ」という風に思ったのかもしれません。

したがって、紗重と戦うための条件は、澪に取り憑いている八重が「紗重と戦う意志」を持つことです。そして、戦うと決意したということで、八重の影響を離れた澪はここで初めて純粋な「天倉澪」として覚醒し、姉である繭を救うために射影機で戦う…。
このような道筋で紗重との戦いが始まった、と私は考えました。
「戦う(訣別する)意志」「覚醒」が重要だったのでしょう。


4.最終局面における時間軸について

さて、紗重と戦う条件については(私の想像ですけど)わかりました。
しかし、それでもエンディングにはまだ謎が残されています。
虚到着時(エンディングor最終決戦)における時間軸の問題です。

まず、紅い蝶エンドでは宮司が横に控えていることからわかるように、儀式直前です。凍蝶と虚も儀式前だと思われますが、宮司たちがいません。約束と陰祭も宮司はいない(逃げている)ですが、これは儀式の前と後どちらなのか。正直この点は考察が難しいです。単純計算するなら、澪の到着が早い順から降順で列挙すると、約束→虚、凍蝶→紅い蝶、陰祭となります(虚、凍蝶、陰祭はムービーを観たぶんだけ紗重との対面が遅れたと解釈することも可能)。こう考えると、「約束」は儀式準備前、「虚、凍蝶」は儀式少し前(宮司は来ていない)、「紅い蝶」は儀式直前(宮司もいる)、「陰祭」は儀式後(もしくは行われていない?)ということになります。
しかし、この分類は正しいのでしょうか?
それは次の章で考察しようと思います。

「紅い蝶」「陰祭」の違い
この2つはどちらも真壁との戦闘が長引いた(繭の元に着くのが遅れた)場合のエンディングです。しかし、前者は儀式を行ったのに対し、後者は儀式を行いませんでした(代わりに大償が発生)。さらに言えば、正式な儀式(紅贄祭)を行うのは「紅い蝶」だけです(凍蝶は逆バージョンだが、正式な儀式ではない)。
エンディングで儀式を行うか否かはどのように決まるのでしょうか。
「紅い蝶」では紗重との直接対決の条件を満たせず、また真壁との戦闘が長引いたために、儀式を回避することができなかった。一方「陰祭」はあくまで紗重との直接対決を目指すルートであり、真壁との戦闘が長引いたためにそれができなかった、という違いがあります。
では、「約束」はどうか。実は最もハッピーエンドと言えるこのエンディングも考察しないと謎が多く残る結末なのです。

5.「約束」エンドの謎~ご都合主義エンディングなのか~

さて、約束エンドは澪と繭が無傷で生還、紗重と村人の魂を解放し、澪と繭は儀式で一つになることではなく、お互い別の道を歩むことになろうともこの手は離さない、という形で二人の絆を確かめ合う、というエンディングです。一説には、これは必ずしもハッピーエンドではないという考え方もありますが、少なくとも他のエンディングよりは救われた結末であることは確かです。
しかし、このエンディングはどうも謎が多く、またご都合主義との批判もあります。

第一の疑問は、「紗重の狂気はどこいった?」ということです。
エンディングの分岐はムービーとラスボス撃破の時間・方法によって変わるにすぎず、本筋の物語は同じです。作中あれだけ狂気に駆られていたはずの紗重が、約束エンドではなぜあれほど落ち着いた状態なのか、疑問が残ります。
しかも、約束エンドでは紗重との直接対決はありません。
初代零において、深紅は霧絵との直接対決により、霧絵の正気を取り戻しました。刺青の怜と麗華においても同じです。約束エンドにおいても紗重が繭に取り憑いている以上、紗重との直接対決によってその正気を取り戻す、という方が感覚的に理解しやすいと思います。

この疑問に答えを出すのは難しいですが、興味深い考察がネットに転がっていました(本当は自分で考えて答えを出したいけど難しいし、質の高い考察があるとすぐ読んでしまいたくなるんですよね…。)
すなわち、「約束」と「陰祭」をセットで考えることで見えてくるものがある、ということです。
「陰祭」は儀式に間に合わず、大償が起きるエンディングです。このとき、繭(紗重)も澪(八重)も完全に諦めています。
一方、「約束」も同じく儀式に間に合わなかった世界線だが、こちらは紗重と八重がまだ諦めておらず、自分たちで虚に飛び込むという形で儀式を遂行した。そして、実は正しい儀式の形は紅贄祭ではなく、二人で飛び込むことだったのではないか?という説です。
「陰祭」においては真壁との戦闘が長引きすぎたせいで、澪と八重、繭と紗重が極度に同化してしまった。これに対し、「約束」においては作中でも描写されていますが、八重が澪から分離した描写があることから、同化ではなく分離、独立した形となっています。
澪(八重)が早く到着したからこそ、繭(紗重)の狂気が抑えられ、二人が諦めていなかったからこそ、大償を防ぐことができた、という訳です。
結果として、諦めていたか否かが結末を左右した、という考えですね。
この考え方は非常に面白いなと思いました。

それで、ここからは私の考えに戻りますが、前章の時間軸問題をここで再考します。私は皆神村においては大償の日の時間軸の他に、紗重独自の時間軸があると考えています。そして、紗重の時間軸においては紗重の願望や感情が強く反映され、またこの時間軸は歪んでいる(時系列順には進行しない。初代の氷室邸と同じ)という風に解釈しています。
皆神村自体はとうの昔に滅んでいる「地図から消えた村」です。しかし、紗重の残留思念が澪と繭を呼び寄せた。その目的は、儀式の再現。つまり、作中の皆神村は、紗重の願望を叶えるための、紗重の精神世界だった、というイメージです。
前述した時間軸問題がややこしいのは、村の時間軸だけで考えているからだと思われます。
あくまであの空間が紗重の精神世界だと解釈するなら、真壁を最速で倒し、紗重が狂気に駆られる前に八重が来てくれるなら、紗重も正気を保ったままでいられる。
で、本来紗重は八重が来たら儀式をするつもりだったが、儀式には間に合わなかったからそれはできない。だから、来てくれた八重と一緒に手をつないで虚に飛び込むことで、瘴気を抑えた。そして、それこそが正しい儀式のやり方だった…。

最後の「ありがとう」は紗重と八重から澪と繭に向けた感謝の気持だったのでしょう。私たち姉妹を再び巡り合わせてくれてありがとう、と。
こうして考えれば、あながちご都合主義でもなく、きちんと考えられたエンディングのように見えてきます(全部私の妄想なんですけどね!)。

6.終わりに

というわけで、この辺で一旦考察を終えようかと思いますが、まだまだ考察の余地がある作品だと思いますので、気が向いたら記事を書こうと思います(長すぎて誰も読まないかもしれないけど!)。
余談ですが、先日月蝕の仮面をクリアしましたが、例のごとくよくわからなかったので、月蝕も考察することになりそうです(記事にするかは未定。とりあえず2周目をやる予定)。

ご精読ありがとうございました!



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