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延期公演について想う

本来であれば今週末が最終稽古で、来週の月曜日に小屋入り、水曜日には初日を迎える公演があった。そういう団体がこの数ヶ月ほんとに多くあったことだろうと思う。非日常が演劇だと思っていたが、まるで今生きている現実が非日常の時間のような気がする。いつ私は舞台に上がってしまったのか。二度と体験したくはないが人生何が起きるかわからない、明日のことも今日のことすらも。

「無視できない私の中の感情」は劇団としては第10回公演として準備していた作品。劇中で歌のシーンを入れ込むという企画が持ち込まれて動き出した。劇団初の音楽劇。あくまで今回については延期ということなのでこの作品を作っていく中で思ったことなどを書いておこうと思う。ただの備忘録と思ってもらってもいい。

音楽劇の難しさについて。歌うことが自然に見えるようなシーンを作る、設定を作り出すのはなかなかに難しいものがありました。マイクやマイクスタンドがあっても不自然ではない状況、場所って何?という点から浮かんでは消していくアイデア。有線マイクだとケーブルをさばく必要があるけれど役者だけで出来るのか?舞台監督さんからも可能であれば無線を使うことを勧められる。幸いなことに利用予定だった劇場の備品にはマイクスタンドも無線マイクもあったことからそれを利用させて頂く予定でした。しかいマイクスタンドというのは女性が軽々と持ち上げて運べるものなのか、舞台の作りから危険な動きはないだろうか等と通常よりも考えることは多くなりました。歌は最終的に2曲、フルで歌ってもらう予定でしたが、途中からコロナ対策の一環として、2曲とも1番のみ歌唱という変更を台本上加えたものの、4月になり状況を踏まえて公演を延期することになる。

私の作劇のスタンスは「側(がわ)の話」を描くことにある。例えば前回であれば管理する側とされる側、時間を止められた側と止まらない側、逝ってしまった側と残された側、何かと何かを対比してそれぞれの時間、感情、行動、葛藤などが浮かんでくるのをそのまま描くようにと心がけている。「無視でき」に関しては出ていく側と残る側(これは前回もでした)、夢を追う側と諦めた側、幸せな日常と不幸せな非日常などを対比して人間を描こうというのが根底にある。

ある時期までは一緒の時間、場所、人生を歩いていた人間が、高校卒業を機に別々の道を歩くことになった二人の少女がメインになる。一緒の高校、同じ学年、同じ地域に住み、放課後は同じ軽音楽部で活動。同じような音楽が好きでそれについてよく話しながら帰った帰り道。同じものを見て聴いていたはずなのに実際に違う方向を見ていたことをお互いが知る。音楽を夢にしなかった少女、夢にして追いかけた少女。その決断は過ちでも不幸でもない。それがどういう人生に繋がっていったとしてもその決断自体は。私はこの作品によって、時間の流れや環境が人間に与える価値観の変化を顕にすることが出来るのではと考えていた。。。

恐らく延期公演では改めて台本を作り直すことになるだろうと、自分の性格からして起こり得ると認識。今回はいつもはやらないがプロットもほぼ作りかけで書きはじめて書き終えてしまった。何通りかの構成も浮かび、この順番は変えたほうがいいのかもしれないと思ったりもした。改めて登場人物を見つめ直し、プロットを1から作っていくのだろう。その日が来るのはまだ先の話。恐らく来年の5月公演が終わった頃だろう。

延期にしたことで同じキャストが集まるのはなかなか難しいことだと思います。ただせっかく生まれたご縁なので、顔合わせすら出来ていないので、改めて全員とお会いできたらそれって幸せですよね。

劇団としては9月公演がどういう形であれ、皆様に舞台をご観劇頂けるように準備を進めてまいります。

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