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あなたには本気で信じたい道がありますか?

今回はちょと就活に触れながら振り返ろう。

私は就活を通して様々な魅力的な人に出会った。

その度に心を動かされ自分の考えが広がるのを感じた。
これはある1人の人に出会い感じた事である。

働いた事もなく社会を知らんくせにと思われるかも知れないし人によっては笑われる事もあるかも知れないがそんな中でもたった1人にでも何かしらの価値を届けられたらと思う。

この先表現によっては怒りを覚える事もあるかも知れないがそこはあくまで個人の考えでありただの世間知らずの体育会生が思っている独り言程度に流してほしい。



まず言いたいのはあなたのその考えや選択は本当に
"本気で自分の信じたい道"ですか?という事だ。


………

どうやら日本には熱意ある社員が6%しかいないらしい。
おいもっと熱意もって働けよ日本人。そう感じた。

詳しい数字は知らないし間違っているかも知れないが日本には大体400万社あるらしい。多すぎてぴんとこねぇだろ単純にそう感じた。

選ぶのがそんなに多いのに熱意持って働けてる人6%とか無理じゃん。
え、就活無理ゲーじゃね?率直な感想だ。

いや400万の無理ゲーの中でも6%は熱意あるのか。
これはもしかしたら良い数字かも知れない。
一体何が原因でこうなっているのだろうか。
就活を始めた時に思った単純な疑問だである。

けどそんな状況や不安の中で私達は自分自身の意志で決断しなければならない。
そして私も自分の意志決断をした人間だ。

………


少し話を戻そう。私がなぜそれは本気で自分の信じたい道ですか?と問うたのには理由がある。
就活をする人はとりあえず名の通った大手を志望する傾向にあると感じた。別に大手を批判している訳でもないしその選択自体を否定しているわけでもない。あくまで私が感じ考えた事である。
ここで大手という括りで言葉にするとふわりとしているがそのままその人のイメージに任せよう。言いたいのは選択の仕方だからだ。

大手を志望する人達の理由として最も多いのは安定やら給料だろう。そしてそれは先が見えない事から来る不安から来ていると感じた。だから大手に入って何年働いたらこの役職につけて給料もこのくらいになる。という敷かれてあるレールに乗ろうとする。先が見えない中での唯一見える物がそれだからだろうか。

私は体育会に所属しているので体育会の例をここで出そう。

きっとどこの部活にも目標はある。関西制覇なのか全国大会出場なのか日本一になる事なのか。部活や人によって様々だろう。
しかし共通している物があるとすればそれは結果なんて誰にも分からない、先の見えない事であると思う。なのに我々体育会員はそのなれるかも分からない先の見えない事に対して本気で時間を使い凄まじい熱量を注いでいる。
それができるのはなぜかそれはきっとこうではないか。

なれると本気で信じてやるしかない
それこそが自分の本気で信じる道だから。

結果が分かっている試合にはドキドキしないし試合に出れるのが約束されていたら努力も怠るであろう。
ましてやお金を払ったら貰える日本一の称号なんて誰も欲さない。
私達は先の見えない物を自分自身が本気で望むから信じて進んでいる。

先が見えなく、なれるかどうか分からない物の中でも誰かと繋がり自分の信じる道を共有できる仲間と共に凄まじい熱量を注ぐ。そこにやりがいを感じるしその過程には価値がある。だから俺らは本気になれる。そうではないのか?

そのはずが就活になった途端自分の信念や信じたい物ではなく周りの信じる道、即ち安定を取りに行ってしまっていないか。今までの注いできた熱量はどこにいってしまうのか。本当に熱を持ち続けられるのか。それをやりがいと呼べるのだろうか。私はここを考えた。

今までは正解が用意してあった。小学校では答えのある問題を解けるようになる努力をし、宿題を出さないと怒られた。なぜ宿題を出さないといけないのかなんて教わった事はない。それが先生の決めた正解だからだ。中学では高校に上がるのが当たり前とされ、高校では上下関係の理不尽などにも耐えた。そして良い大学に行って良い企業に就職する。これこそが敷かれているレールだと感じる。
上司に与えられた正解をできるように努力し、出来なかったら怒られる。そして理不尽に怒られる事もあるだろう。しかし私たちは今までそれを疑った事がないが故にそれが当たり前なんだと思い込み、いつからか無意識にそれを信じるようになった。そしてそれが私達の信じる道のように変化したと思う。

小学校の頃は皆楽しく夢を語っていた。人それぞれ素敵な夢を持っていた。しかし成長するにつれて夢を語る人は減り、人の夢を笑う人もいていつからか夢を語るのに恥ずかしさまで覚える人もいるだろう。なぜか?現実が見えるからだろうか。仮にそうだったとしてもそれと夢を語ってはいけないという事はまた別次元の話だろう。
自分自身が夢や理想を語らなくなったら実現の可能性は0になる。本当にそれで良いのだろうか。
実現可能性が0%と1%ではまるで違う。だからこそ問いたい。

自分の可能性に自分で蓋していないですか?

これに尽きる。
周りから笑われてしまう。皆がこれは無理だと信じ込んでいる。と勝手に自分自身で蓋をする。そして人は夢や理想を語らなくなり、人が決めた正解の道を歩もうとする。
だからこそ私は人の可能性の蓋を外せるような人間になりたいと思った。
私がここまで出会ってきた素晴らしい方達は常にやりがいを持っていた。そしてその度に自分の実現したい事を本気で語っていた。
自分の周りにいる凄いと思う人たちはきっと未来の話をしている。周りに何と言われようと自分の信じたい物に向かい本気で向かっている。その過程や姿勢に人は心を動かされるんだと思う。自分の周りにも沢山いた。

私は周りの信じるような道ではなく自分が本気で信じたい物は何かを考えその信じる道を選んだ。
それを本気で受け止めてくれる人達と働きたいと思った。

だからこそ言いたい。
大手とかベンチャーとか地位とか名声ではなく自分自身が本気で信じたい物は何なのかもう一度考えようと。それが本当にその企業にあるのならば辛くても絶対に頑張れると思う。
それが本当に安定や給料ならば素晴らしい事だと思うがとりあえず周りの信じる道だからでは危ないという事が言いたい。
言われなくても分かってるよといういるかも知れないがもう一度考える機会になれば良い。


選択の仕方は人それぞれだ。もしかしたら私の考えは大きく間違っているかも知れないし不正解かも知れない。社会人でもない私がこんな事を言うのも間違っているのかも知れない。しかし私は誰かにとっての意味ある事に。そして社会人になる自分自身の為に形にしている。

私はこの道を正解にしていこうと覚悟を決めた。
そこに安定とか周囲からの見られ方など関係ない。
愚痴を吐くのでなはく夢を語り、いつかその姿勢こそが誰かの共感を生み心を動かし背中を押せたら幸いだ。そして誰かの灯火となり熱意を持って働く人が1人でも増えれば良いと思っている。そういった社会にしたいしきっとできる。
雑草の如く逞しく自分なりの正解を見つけていこうと思う。


それが私の本気で信じたい道だから。






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