第4回「鴻陵座の遊ぶ日(百波ver.)」
初めまして、岸田百波です。きしだもなみ、と読みます。
この連載で個人として登場するのは初なので、初めまして。
《プロフィール》
気づいたら演劇をやっていた。愛媛県出身。
今年の春大学を卒業しました。
●過去出演作品
TOKYO笹塚ボーイズ「朝の気配」
ミルズズ「唇切れた、痛い」
これまでの第0回から第3回は、全部みんなで書いてきました。
(私以外の3人。桃子ちゃん、齋藤くん、山脇くん)
今日はひとりで書きます。
はじまりはじまり〜
「遊ぶ日」とはなんぞや、
前回ちょっと説明したかもですが、個人パートの初回なので、もう一度。
i. もともと計画してた公演を中止せざるを得なくなった私たち、鴻陵座、がまずやろうと思ったのが、日常に目を向けることでした。
ii. 演劇から離れてみる、という「実験」の一環として、7月中に1人1回ずつ(つまり計4回)「遊ぶ日」なるものを設ける。
iii. 担当者は、自分の「遊ぶ日」が来るまでの数日間、自分の日常をビデオカメラにおさめる。プラス、遊ぶ日の計画を立てる。
iv. 当日はその担当者がビデオを回して他の3人を撮る。その日の終わりに、次の人にビデオカメラを渡す。
v. 同時に、ビデオカメラとは別に、写ルンです、を1人1台ずつ所持しておいて、このプロジェクトの間の1ヶ月を各々のペースで切り取る。
とこんな感じで7月を過ごしました。
振り返る。
上に書いたことをやってみよう、とみんなで決めたのが6月末。その頃私がどんなことを考えていたか。
私個人は、6月末までの数ヶ月を振り返って、せわしなかったな、と思います。
忙しいとかじゃなくて、なんとなく生活に自分の身体が追いつかない。
自分の生活は、生活の主である「私」が居てこそのものと思っていたのに、主を離れて生活だけがどんどん先にいってしまうような感じがしていました。
コロナ云々よりもふつうに、急な環境の変化に慣れるのに難儀していました。
生活していくために「やらなくてはいけないこと」(お金を稼ぐこととか家事とか)に追われ、「やりたいこと」ができないまま1日が終わる。「やりたいこと」というのは、演劇、とか、芝居、とか。あるいは、それらに活きる何かをすることなんだけど。
ひたすら「やらなくてはいけないこと」をこなしているだけの自分は、どんどん、演劇から遠ざかる感じがして、焦りました。気づいたらもう完全に演劇の側から消えてて、手遅れになっている、というのが怖い。
「ぜんぶ、おまえの、せいだ」
これは、”私の頭の中にいる厳しめの人”がわたしによく言ってくる言葉なんですけど。
ほんとだな、自分の抱えている問題は、(全部、とは言わないまでも)ほとんど自分の中に原因があるんだよなあ、て何度も思いました。
コロナのせいにできたら、よかったんですけどね。
鴻陵座、夏休みの自由研究
そんなわけで、6月にみんなで話し合って、ビデオやらカメラを持って実験しよう、てなったとき、私は嬉しかったです。演劇のことを考えている限りは、自分は大丈夫だ、と思ったので。
6月30日にみんなでビデオカメラを買いに行き、家に持ち帰った私は、何を撮ればいいんだ?と困りながらもわくわく、という感じでした。
家でビデオカメラをまわすと、最初は異物感があって、だから異物感を払拭すべくビデオに「ナタリー」って名前付けたりしてました。
(写ルンですで撮った写真)
そして、遊ぶ日。
私の遊ぶ日は、7月7日でした。
新宿御苑の大温室に行きたかったので、そこを目指して。
・13時過ぎ集合
・近くのパン屋さんで、お昼のパンを調達
・新宿御苑の大温室に行く。
・その後、元気が残ってたり、お腹すいてたりしたら新宿でパフェも食べたい。けど、しんどかったり、パフェの気分じゃなかったら、帰りたい。
・パフェ込みでも、18時には解散。
(この日の計画)
この日は軽めなお出かけの気分で、計画も軽めにしました。
今思えば、この時期、毎日がなにも自分の計画通りにいかないことにイライラしていたのかもしれません。だから、この日くらいは、絶対達成できる計画にしたかったのかなーと。
せっかく自由に、自分の好きなようにして良い日だったので、自分で自分の首を締めるようなことはしたくなかったんだと思います。
ささのはさらさら新宿御苑
いたってシンプルなプランでしたが、なんだかんだ、みんながいて、大温室以外もいろいろと楽しみました。
七夕だったので、短冊書いたりもして。
w/ナタリー
パフェも、なんだかんだ、食べました。食べて大正解でした。
こんな感じで7月7日は終わりました。
鴻陵座で初めて遊びに行った日でした。
鴻陵座Instagram ←写ルンですで撮った写真をすべて、載せています
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