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ローカルで映画をつくり劇場公開まで。宮崎県の20代制作チームの挑戦と希望。映画『月と。』

自分よりも一世代若い人たちが何かに挑戦している姿を見ることができて幸運だと思う。それも真剣で、汗を流して、泥臭く。それぞれが「今」持つ限りでのプロ意識や技術を総動員して、一緒に何かをつくり上げていく。その営み、その時間は尊い。ロマンティックに言えば青春なのかもしれないけれど、それは彼らを「若さ」や「20代」という偏見から見て出てくる言葉であって、当の「今」を生きている彼らにとってはそんなこと言ってられる余裕はなかったかもしれない。それだけ真剣で、切迫していて、「今やらなければ」という使命にも似たものを彼らから感じていた。


宮崎の20代制作チームが映画をつくった

今、宮崎県のカルチャー界隈が話題を集めている。
それはSNSや口コミ、マスメディアを通して少しずつ広がり出した。

宮崎県の20代の若者たちが自主映画『月と。』を制作した。

俳優、スタッフ、楽曲、撮影、衣装といったすべてのリソースを宮崎県内で賄い、上映まで行うプロジェクト。制作は監督やプロデューサー、俳優で結成された「ROOMMATE」というチームが中心になって行われた。

映画の撮影と並行して、2022年4月〜5月にかけてクラウドファンディングによる支援の呼びかけ・資金調達も行った。全国から100人以上の人々が活動に賛同し、資金を受けとることができた。

映画は無事完成し、上映会場も宮崎が誇るミニシアター「宮崎キネマ館」に決まった。

関係者・協賛者を招いた試写会を経てやってきた6月10日。記念すべき初上映を迎えた。当日は地元テレビ局による取材も入り、お茶の間に紹介された。映画は6月23日まで公開され、最終日には制作関係者によるアフタートークも企画されている。


『月と。』ストーリー。映画を観てハッとしたこと


映画『月と。』は宮崎県、とくに宮崎市内で生活する若者の日常や葛藤を描いた作品。

<ストーリー>
画家の道を諦めた理、同棲中の恋人利佳。
理は偶然入ったライブハウスで
音楽の道に進んだ月徒と再会し…
目標や夢、仕事、愛、そして人生。
ごくありふれた、どこにである、私たちだけの物語。

宮崎キネマ館 上映作品紹介より

主要キャラクターを演じる俳優たち、監督や脚本、撮影をするスタッフまでそのほとんどが20代。それもあってか、フィクションとはいえ物語には非常にリアリティがある。

若いとき、誰もが経験する普遍的な物語がそこにはあった。
もちろん、映画を観ながら30代を生きる僕にも思い当たる節があるような。そんなシーンがふっと流れてくる。何かの選択に迷っているシーン、何かをハッと思いだすようなシーン。それらがかつての自分と重なった。

僕らの生きる毎日ってやつは、いつも選択の連続だし、少し先の未来だってわからない。不確かな未来、希望や不安が入り乱れている。選択を間違えて失敗する未来を恐れている。けれど、その不安と、希望にも似た確かな直感がその選択を後になって正解にしていくのだろうし、人を成長させていくのかもしれない。

映画を観終わりキネマ館を出たあと、心が晴れていたのを覚えている。映画の直前まで仕事でむしゃくしゃしていた心がスッキリしていたし、何か言葉にならない大切なことを思い出した感覚があった。

そういう意味でいうと、僕みたいに映画の登場人物や制作チームよりちょっと上の世代がこの映画を観ると、そこにかつての自分を見たり、一種の懐かしさを感じたり、何か「忘れかけていたこと」を思い出すのかもしれない。

もっと上の世代になれば、「忘れていたこと」を思い出すのかもしれないし、どんなに年齢を重ねても、20代のときと変わらない自分がいることに気づき、さして心の成長していない自分がいることにハッとするのかもしれない。

そして、主人公たちと同じ年代であれば彼らの心の動きをリアルに感じれるのかもしれないし、10代の人たちが観れば未知の未来や大人になるって悪くないなって思えるのかもしれない。

観る世代によって受ける印象が変わるであろうけれど、そこには一貫して「人生って何ですか?」と真正面から一人ひとりに対する問いがある。そんな作品だ。


撮影現場は“ホンモノ”そのものだった


この記事の冒頭で僕は「自分よりも一世代若い人たちが何かに挑戦している姿を見ることができて幸運だ」と書いた。

なんで幸運なのかといえば、何かをつくるってことに対する衝動、頭のなかの想像でしかなかったものが現実に形になっていくプロセス、それらに付随する「ヤバイ」ってワクワク感、それらを誰かと一緒につくり上げていくときの楽しさや内輪が熱くなってくる感じ。かつて持っていたはずの、そんな心の動きを思い出したからだ。もっといえば、何か一発つくりたいっていう衝動や熱に感染してしまった。

映画が撮影に入る直前、かねてから知り合いだった監督を務める伊達忍さんに声をかけてもらう機会があった。それもあり、現場に入って撮影の裏側をとくと見ることができたのだった。

主要な役者もスタッフもほとんど20代。そう聞いたときにバイアスがかかってしまった自分は失礼ながら大学のサークルのノリで映画を制作する画が浮かんでしまった(これも映画をつくっている学生たちに失礼だが)。社会で10年近く働くと若い人たちのすることをどうしても下げて見てしまいがちじゃないですか。

しかし、そういう偏見も現場に入ってみると見事に吹き飛んだ。そして偏見にまみれていた自分を恥じた。

僕が見たのは紛れもなくプロフェッショナルの仕事。
「こういうときって、こうでしょ!?」と監督の細かい演出が入る。ワンカットワンカットを重ねていくたびに熱を帯びていく。
目の前で行われる俳優たちの演技にも釘づけになった。本番中のアドリブ、その違和感のなさ。台本に詳しく書かれていない状況を読み取ってさりげない仕草で表現する。

「やっぱ役者ってすげー。想像力の塊だ」
見学中に咄嗟に打ったのであろう、そんなメモがスマホから出てきた。

カメラや音声、照明の美意識。ちょっとした画角の違い、ちょっとした音の配慮、ちょっとした光の当たる位置。その「ちょっとした」がワンシーンごとのクオリティに左右する。熱量が高くて緊張感に包まれた現場がそこにはあった。当たり前のことだが、ワンカット、ワンシーン、たった数十秒のものでも、その数十秒のために何十分、何時間とかける。スタンバイも含めればもっと。

そこには若さってことが言い訳にならない「本気」があった。

制作に関わったみんなでないけれど、話を聞いていると「なんで宮崎で映画をつくるのか」「なんで県内じゃないといけないのか」ということに対する意見をちゃんと持っていた。「撮影、制作、上映を全て宮崎で!」と銘打ってはいるけれど、単純な郷土愛や東京をはじめとした大都市への対抗意識では回収されない考えがそこにはあった。

かつて、この映画のプロデューサーの重留一実さんの言っていた「地方でも何かつくれることを証明したい」という言葉。シンプルな言葉だけど、その中身はすごく濃ゆくて強度のあるものが詰まっている。

宮崎県外へ知られてほしい。なんなら県外で上映しても


幸運にも、僕は一部とはいえ制作現場と完成された映画の両方を見ることができた。

僕が目にしてきたことは大都市である東京も、東京から見れば地方である宮崎県も、なんら変わらないよってこと。
制作や流通にかかる人的物的な量の差、環境の差はもちろんある。しかし周辺環境の差はあれど、映画としての中身の部分は監督や俳優、その他周りを囲む制作スタッフの影響されるもの。

なにより、ROOMMATEをはじめとした彼ら彼女らが、宮崎で映画をつくり公開まで行ったというのは、かなり意義があることだと思う。それは単純に若い人たちが頑張ってます!というお情けではなく、宮崎県にいる10代20代や宮崎出身で県外へ出ている10代20代、もっといえば同じ地方にいる10代20代に少なからず影響を与えていくものだと思うからだ。

『月と。』の一例が大都市圏ではない同じ地方で、同じようなことを考え、同じようなことを実行している、あるいは実行しようとしている人たち、とくに10代や20代に届くといいなと思ってこの記事を書いた。

どこか遠くの地でもこんなことをやっている人たちはいるよって。

何かしようと思っているけれど、その一歩が出ない人たちへ向けて、少しでもこの取り組みがその人たちを勇気づけることになれば。

『月と。』は物語も、制作の裏側も、何か人生にとって普遍的な物語を持っている。
だから、宮崎県内の人はぜひ観に行ってほしいと思う(宮崎キネマ館での上映は6月23日まで!最終日はアフタートークつき!)。

これは彼らが中心になってつくり上げ、そして周りの人々に支えられた映画。

現状、宮崎キネマ館だけでの上映だけど、個人的には県外の劇場でも上映してほしい。

ですので、ここまで読んでいただいた県外の劇場関係者様、配給関係者様、ご検討ください笑

最後に。
かつて県外にいて帰ろうか迷っていたころの20代半ばの自分。
この映画をそのとき観ていれば、地元宮崎でも自分を受け入れてくれそうな気がしただろう。帰ってもいいと思えただろう。
『月と。』はそんな居場所を与えてくれる作品だ。

・映画の公開情報は宮崎キネマ館のサイトへ(6/23まで)


・映画制作チームの主要な情報はクラファンサイトを参照ください


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