坊や。

もうすぐ齢35になる。子どものとき、自分が35歳になることなんて想像できただろうか。いや、20歳の自分でもイメージできていなかった。

二段ベッドの下のほうで寝ていた子どものころ、よく大人になった自分を想像する遊びをしていた。大人になった自分はアレをしてーコレをしてー、ゲームソフトは20本くらい持っててーだの。1990年代前半の基準で物事を考える。

だが、それはせめて25歳くらいまでの大人になったばかりの自分を想定するのが僕の想像力では限界だった。ましてや大人になるなんて遥か遠くの未来、自分とは地続きでいるようで滅多に起こることのない出来事のような感覚を持っていたので、僕らは本当に大人になるのだろうかという疑いさえ持っていた。大人の身体を手にいれることなんて、映画のようなフィクショナルな世界のことに思えた。

そんな二段ベッドの下のほうから上段の板を眺めつつ、ゴジラがどうとか、LEGOブロックのお城シリーズが欲しいだとか、フォークボールを投げるには人差し指と中指で深くボールを握るのだとか、そんなことをぼんやりと考えていた僕だが、あれよあれよとあっという間に30代に突入していたのである。それももう半ばだ。

世間的には「おにいさん」から「おじさん」へ移り変わっていくお年ごろ(いうても、それはかなり自己のとらえ方によるはずなので、まだまだ自分は「おにいさん」だと思ってる)。外見は確かに肌の艶がなくなってきたなと感じるし、疲れがとれにくいしたまりやすいし。一日の時間の流れだって、日に日に早く短く感じる。未来がやってくるにつれて老いも連れ立ってくるのだから、まあそれは仕方ないし成長している証拠だ。

絶賛、大人のプロセスを通過中。キャリアだとかそんなもんをはじき飛ばすと宙ぶらりんな年齢だなとも思う。見る人によっても若いだとか年相応だとか変わってきそうな。人が見る数の分だけ、真実と答えがありそうな。

昨日おもしろいことがあった。
朝のランニングを終え、家の近くを歩いていると後ろからチャリンチャリーンと自転車が近づいてくる。道路脇に移動してもチャリンチャリーンと鳴らしてくる。煽ってるのかなと思い、少しイラっとしたタイミングで声がしてきた。

「ちょっと、坊や。そこの坊や。今何時だかわかるかしら」

声優のように特徴的ではっきりとした声が背中に触れる。

坊や?
周りには僕しかいない。え、坊やって僕のこと!?

振り返ると、紫色の髪をしたおばあさんが自転車に乗って近づいてくるではないか。見た目も声色もどこか上品さを感じる人だった。明らかに僕を見ている。あ、どこかの美容室を通り過ぎたときに一瞬だけ顔が合ったおばあさんだ。

少し戸惑ったあとに「えっと、ちょっと待ってください。9時35分です!」と応えたときには、おばあさんはこちらを向くこともなく数メートル先へと行ってしまっていた。

不思議な人だと思いながら、今どき「坊や」なんて表現をする人も珍しいと思いつつ、さらには「坊や」が自分に差し向けられたことも可笑しかった。「坊や」って年齢かなあと。

そのおばあさんは外見だと80歳前後には見えた。確かにそのくらいの年齢だとしたら僕はじゅうぶんに「坊や」だろう。おばあさんも年下の男性を見て咄嗟に出てきた言葉が「坊や」だったのかもしれないし。30代半ばだけど、ここは若く見られたということで肯定的に解釈したいところだが。

とはいえなんだか複雑な気分もしている。タンクトップ・短パンのランウェアスタイルが子どもっぽく見えたのか、そもそも僕が子どもっぽく幼く感じられるのか。二段ベッドで毎日寝ていたあのころでさえ、「坊や」なんて呼ばれたことあったっけ。

とまあ、あのころの僕は今の僕がこんな感じで日々を過ごしていることは知らず。あなたの想像していた未来とはだいぶ違うことをしていますよっと。想像が全ハズレ、その当時考えついたマルチバースからはみ出た世界で生きています。それで結局いいのだよっと。

あと、安心してくれ。
見た目だって心の中だって、坊やのような幼さはまだ生きているから。
そのかったいマットレスと布団で安心して眠って明日は迎えてくれよ。


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