映画『ライトハウス』の感想

※この記事では映画『ライトハウス』に関する感想(九割愚痴)をだらだらと方向性なく語ります。「ライトハウスは傑作だった!!」という方が読まれると心身に重大な不快感を及ぼす可能性があるので、お控えください。



 公開前の話題性の割に公開館数と枠の少ない映画『ライトハウス』

 本当は映画の雰囲気を含めてレイトショーで見るつもりが、お昼の真っ只中に一回だけしかやっていなかったため泣く泣く日差しを浴びながら見てきました。



 『ウィッチ』のロバート・エガース監督が、『ミッドサマー』『mid90s』 を制作したA24とタッグを組み、ロバート・パティンソン × ウィレム・デフォーを主演に迎えたスリラー映画。

 あらすじは面倒なのでここでは省きますが、予告を見る限り『ウィッチ』後に「吸血鬼ノスフェラトゥ」をリメイクするという噂が立った監督らしい、ともすれば癖の強いある種の原点回帰を狙ったような絵面が目立ちつつも、不気味かつ意味深な演出などが興味をそそり

「ウィッチは面白かったしハズレはしないだろう」

 という期待と共に劇場へ。

 公開後の感想としては「不気味」「すごい」「怖い」「言葉にできない」などと言った感じで難しい横文字や漢字を並べた感想が目立つ半面「不快」「つまらない」「いまいち」「退屈」と言った感想もちらほら。

 まあ見る前から人を選びそうな映画だなあとは感じていたからこの賛否の別れ方はかなり予想通りでした。

 白黒でほぼ正方形のフレームの映画とか逆に新鮮だしね。


 と、ここまでだらだらと語りましたが以下、ネタバレを掠めつつ感想です。


 まず一言

「人におすすめし辛いカルト映画」

 もうこの一言でわかる人はわかると思います。

 感覚的には『イレイザーヘッド』とか『ネオン・デーモン』とかに近いのかな。

 終始白黒の世界で昼でも黒くうねる海や、灯台が出す不気味かつ生物的な音、頭に劈く海鳥の鳴き声を背景に、秘めた過去のある若い男とヤバげな老人の共同生活が描かれる。こういう点で劇場という環境がかなりプラスに働いていて、序盤から中盤まではなんだかんだ没入して見れた。

 

 しかし終盤からエンディングまで見て思ったことがある。

 

 それは“この映画をちゃんと鑑賞して、細かい部分まで拾って考察すれば全容を理解できる映画なのか、そうではなく単純に見たままの映画なのかわからない”ということだ。

 こんなことを言い出すと身も蓋もないが

 映画館で見る映画は巻き戻したり、鑑賞後に繰り返してみることができないから考察するタイプの映画と相性が悪いような気がする。


 そういった部分も含めてまず前者の“考察できる映画だった場合”

 というのもこの映画の監督作品『ウィッチ』がかなり絵的なヒントを劇中に多くちりばめて考察しやすい映画だっただけに、ひょっとしたら見落としたヒントが多数あるのではないかという後悔が浮かび、しかしだとしたらウィッチに比べて絵的にもわかりづらいし劇中で描かれていることが


①上司(老人)のパワハラと白昼夢のような幻覚の中で仕事をこなす日中

 ↓

②急に優しくなって酒を注いでくれる上司(老人)に付き合わされる夕飯

 ↓

③悪夢から目覚めて灯台に籠って仕事をこなす上司(老人)をそわそわと気にする深夜


 の繰り返し(※徐々二人が打ち解けたり中盤から②のパートに酒に狂って狂乱したり喧嘩したりといった場面が追加されたり、若い男の狂気(幻覚)がじわじわと現実を侵食していく部分もあるので意訳的な意味で)で

 後半からは「あれ?これ考察する程大層な映画か?」

 というある種の退屈さすら感じてしまった。

 確かに現実を侵食する狂気や序盤に提示されたある種のルールを破ったことで「あーあ、やっちまいましたな」とどんどんと追い詰められていく部分は面白い。

 演出や正方形のフレームで息苦しく不気味さを煽るのも最高だったのに、煽る止まりでそこから先がないので、それを繰り返さるうちに恐怖も薄れていく。

 いわゆる「ミステリーをただ淡々と描くと退屈になってしまうから、それ以外の要素で観客の興味を惹く必要がある」という点においてかなり難しいなと感じてしまった。

 ここで言う“話を引っ張る大筋の謎(ミステリー)”は

「頑なに老人が隠す灯台の謎」

「若者が幻覚に見る過去」

 という部分なのだが、これに関して明示される劇中の変化は小さく、老人は頑なに隠したがる言動を繰り返すか怒っているかというだけだし、若者の幻覚は人魚に引っ張られるだけでクライマックスで大きな変化を魅せてはいるものの「あ、ふーん」程度の真相でしかなかったため(ここが重要っぽくもあるから困る)話を引っ張る謎にしては弱く感じるし、じゃあ灯台の真相は?ってなると想像以上にシンプルに処理されてエンディングを迎えるので、ある意味で肩透かしをくらう。

 序盤からあらゆる神話などをモチーフにしていることを明示し、クトゥルフ神話的(それ以前の宇宙的恐怖)な要素を垣間見せている部分もあるので“謎を謎のまま残して不気味に幕引き”ということなら納得はいくしある程度(無理筋だが)の考察はできる。

 しかしだとすると、映像として映されることが変化の少ない(小さい)繰り返しの日常と恐怖演出で長い尺の映画としては飽きるしクライマックスで盛り上げておいてやっていることがアレって何のプレイだよとなるし、長々とストーリーを引っ張ていた最大の謎の処理がざっくりし過ぎだろ、と。

 もちろん他にも宇宙的恐怖の謎でストーリーを引っ張り謎を残して不気味にエンディングという映画はたくさんある。

 例えば『ザ・ヴォイド』ではそこに至るまでの過程で様々な要素を繋ぎ退屈しないシナリオになっていたり、直近のクトゥルフ映画である『宇宙からの色』では演出や絵作りなども凝りまくってホラー映画としてもクトゥルフ映画としても完成していたと感じる。

 しかし今回の『ライトハウス』ではロケーションとして映される場所も少なく、白黒映画なので暗い場面はほんとに暗い。

 

うーん


 と、ここまでだらだらと語ってきましたが

 やはり「あの場面にはちゃんと意味があったのだろうか?」とか「序盤と終盤ではちゃんと変化があったのでは?」とか「退屈にならずにちゃんと変化を拾えば傑作だったのではないか?」とか、印象が『ウィッチ』に引っ張られまくっているなと感じる。


 まあ退屈になっている時点で駄目じゃんね、と言ったらおしまいかもしれないが。


 ざっくりと感想を調べた限りでは、横文字やら難しい感じを並べた高等ポエムみたいな感想は数あれど、考察らしい考察はなく「よくわからんけどおもろかったで」みたいなのしかないし。


 これ以上文章を作っても駄弁が拡散するだけな気がするので纏めます。


“映画は、ただわかりやすいと言うだけで評価に値する”

                      ――ゲット・アウトは傑作


 以上、くだらない駄弁に付き合って下さりありがとうございました。

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