情報の提供しかた

記事を読んだ。というか、読んでみるとそれぞれの記事でちょっと違ったことが書かれている。

時事通信の記事では、国交省出先機関から長野市へ千曲川決壊情報が入るのが遅れたという話になっている。それに対してNHKの記事は「自治体が情報を伝えるのが遅くなった」という記事になっている。
NHKの記事が10月11日11:20のものなのに対し、yahooに配信されている時事通信の記事は10月22日0:22更新なので、時事通信の記事の方が新しい情報が足されているのかもしれない。

もし、時事通信の記事を事実とするならば、「情報を取得」できたものの「必要とするであろう機関」に「伝えられていない」のである。
(この千曲川の決壊情報共有問題自体は続報と、詳しい検証が待たれるが)
この内容から連想したことについて。

この、情報を得れても必要とするであろうところ(人)に伝達できないみたいな話って、今、私の周りでは結構存在しているように感じる。
該当ツイートを忘れてしまったが先日「今は、管理職に情報が集約されるとは限らないので、管理職も自ら情報を取りに行く必要がある」みたいなツイートを見た。もし、これがIT等の普及による時代特性なのだとしたら、多分意識すべき組織構造が変わる。

情報は集まるものではなく、開示されていて個々が見に行く形が強まるのかもしれない。「情報は十分に開示されている」それに出会えるかどうかである。
情報を開示することの必要性は分かっても、情報を誰かに集約することの重要性は分からない。(少なくとも、私が十分に理解していない。)
判断者にとって有用な情報を渡すことをしない。(一方的に渡すようになってしまうことをしない?)
判断者を信用していないのかもしれない。

かつてより、シンプルな情報格差みたいなものはないのだろうし、「頑張れば」アクセスできるものが多い、、はずである。
より一層、情報を集める判断する人が信頼に足る人なのか、わざわざ情報を渡す手間をしたい人なのかが問われる。
これは渡す側・渡される側の双方に問われるのであろう。

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