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いじめや落ち込み、つまらない学生時代は単に運や縁、環境が悪かっただけという責任転嫁で処理する説

8月31日の夜に、というテーマの延長です今回は。
多くの人(子)が望んでいるのはつまらなくて辛い日常(学生生活)よりは
勿論楽しくて幸せな日常ですが、
毎年9月1日前後、それ以外のある時期には
おそらくそんな望んでいた、夢見ていた日常が叶わなかったのかなと
思わざるを得ないニュースが飛び込んできます。

そういったニュースを見る一方で都内、例えば渋谷とか原宿を歩いていると
放課後楽しそうに仲間と遊んでいるような学生(高校生?)を頻繁に見掛けます。放課後特に娯楽もなく、入りたい部活も無く、家と学校が遠かった為に学校が終ればすぐ電車に乗り、長い冬季はどんよりとした雲に覆われた代わり映えのない田んぼの景色を延々と眺め帰宅するのが日常だった自分の高校時代を振り返れば雲泥の差が有ります。
また、その時代は人間関係では頻繁では無いもののやはり嫌な事は有りました。

そこで思うのは、中学・高校(加えれば小学校・大学も)といった
学生生活は生まれ育った場所や通う学校、人の縁で楽しめるかそうでないががなんだかんだ分かれてしまうのかなあということ。
もっと都会なら、良い場所なら、良い学校なら友達と色々遊べて、理解してくれる仲間、趣味の合う仲間も見つけられて、楽しい日々だったのかなという If の想像は未だに絶えません。

そんな事はない、どんな環境や場所に居ようが自分なりの楽しみを見つけることが出来るだろうし、勉強を頑張ってれば行ける学校の選択肢だって広がる、というツッコミも有るかもしれません。

しかし、皆が自分が居る環境を受け入る事ができ、楽しみを探せる好奇心や感性を持っているわけではないですし(まだ未熟故後になって場所や環境の魅力に気付くことも多い)、進学校に行ったからと言って自分にとって良い人に巡り会え、いじめられないという約束は有りません。

良い環境だからこそ、様々な好奇心が働いてより楽しみを見つけやすいかもしれませんし、良くない環境ゆえに、楽しみを見出す好奇心が働きにくいことだって有るかもしれません。いじめも、本人に非が有ったというケースも多少有りますがこれも悪い縁で決まってしまう事が多いのではないのでしょうか。

例え家庭外の他人に恵まれ、立派に育つ可能性が有る子供でも親によって命を落としてしまう事も有れば、親に問題が無くむしろちゃんとした家庭でも家庭外の他人(友人や生徒、時に教師)に恵まれなければ命を落とす事も有る。


自分が遭遇し、感じ、抱えてしまうつまらなさ、不幸、憂鬱。
皆運や縁が悪かったと思い、潔くあきらめる方がいいかもしれません!


と言ったら、
少々冷たい感じがしますよね(笑)。
ただ、運や縁といった自分でコントロールが正直難しい要素によって
そうなってしまったと考えられるのなら、または責任転嫁が可能なら、自分にはそんなに非はないというか責任も無く、落ち度もないとも言えるわけです。だから必要以上に悩んだり、哀しんだり自分を責めたりする必要も無いと思うんです。学生なら数年間なわけですし。前回の投稿で書いた「図々しさ」を使い、運が悪い!縁が悪い!という感じで生きて下さいよ、悩んでいる方は。


加えて思うのが、その「数年間」の割に世の中にあるドラマや映画、アニメといったフィクション、特に青春をテーマにした作品はその数年間に凄く重きを置いているというか、価値が有ると言わんばかりに焦点を当てたものが多過ぎる気がします。これもある意味問題な気がしますし、
これについてはまた今度なんか書こうと思います~

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