教員採用試験

令和4年度教員採用試験は、埼玉県と仙台市で受けた。

両方とも第1次選考は通過し、第2次選考に進んだ。埼玉県の方は個人面接と論文試験、集団討論。仙台市は個人面接1・2、集団討論。

日程が埼玉県の集団討論が仙台市と重なり、どちらか選ばなくてはならなかった。正直に言うと、出願の段階からどちらかで迷っていた。第2次選考まで進めるとは思っていなかったので、ある意味誤算ではあった。

しかし、やれることはやろうと思い、埼玉県の個人面接と論文試験は受けた。集団討論の前日まで悩み、結局、仙台市を選んだ。

なぜ、縁もゆかりもない仙台市を私が選んだのか。理由はいくつかあるが、ひとつは仙台という土地が、東日本大震災とその後の復興支援をきっかけに教員免許を取り、教員になろうと決めた地であったからだ。防災士の資格を取ったのも仙台だったし、仙台は自分の人生を大きく変えるきっかけ、始まりの地になったのだ。仙台市で教員になろうと思ったのも、防災教育、復興教育をやりたい。命のつながり、生き方在り方を考える教育をしたいという思いが日々強くなっていった。

10月、その結果が返ってきた。埼玉県はもちろんのこと、仙台市も第2次選考で「不合格」となった。しかし、不思議と残念だったとか、悔しいとか、そういう気持ちはなかった。ひとつの区切りがついた、その安心感の方が大きかったかもしれない。

ひとつは、試験後空いた時間で自分は本当に教員を目指していくべきなのか、教員になって何をしたいのか、誰のために教員になるのかなど、いろいろ考えた。すると、ひとつ大きな疑問が湧いてきたのである。

「振り切れていない・・・」

頭にふとよぎったのだが、何に対してなのか、最初は気づかなかった。しかし、よく考えたら私は、今の立場に恋々としていて、離れようとしなかったのではなかろうかと思ったのだ。

今の会社に勤めて13年、社会人になってからすでに28年という年月が経っている。その立場に慣れきっている自分がいる。人生の半分は民間企業で働いて、その考え方ややり方に慣れていて、生き心地が良くさえなっていた。だから無理に環境を変えたくないという思いがどこかにあったのだろう。そう思っている自分がいたから、面接の受け答えになってしまったのではないかと思った。

本当は違う。そう言ってもなかなか信じてもらえないだろうけれど、教員になりたい気持ちも、民間企業にいたままで楽したい気持ちも、正直な自分の気持ちで、日々これに葛藤している。その面、非常にわがままで、素直で、嘘偽りなく生きているのだろうと思っている。

ではどうしたらいいのか。結局、さまざまな人に「どうしたらいい?」と訊ねたところで、決めるのは自分しかいないわけで、それなら自分がしたいと思う方向に行けばいい、としか言えない。暗中模索の状態はしばらく続く。

先日、埼玉県と仙台市の常勤講師(令和4年度)登録の申込書を電子申請した。埼玉県は早速、登録のための面接が来月に設定された。やりながら、「自分には合わないかも知れない・・・」と思ったらそこで辞めれば良い。無理してやっても、周りに迷惑をかけたらいけない。しかし、やると決めたならば、突き抜けるまで突っ走る。それでいいのかなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?