見出し画像

僕は女性を「かわいい」と思ったことがない 第44回 かつお

わかめさん、こんにちは。かつおです。

日記、読ませていただきました。わかめさんが失恋の痛手から順調に立ち直られているようで、なによりです。最悪の場合、立ち直るどころか、失恋の傷口から膿が生まれ、元・恋人に事件性のある危害、または自傷行為を起こしているのではないかと心配していました。だって失恋直後のわかめさんの日記はまるでサイコホラー映画を見ているような恐怖感……いえ、恨みつらみがとぐろを巻いているような迫力がありましたからね。

またダイエットや運動が精神衛生上、良いという点も共感しました。少し前まで僕は、毎日起きて食べて、理由もなく鬱々として寝るだけのダメニートだったのですが、市民体育館のような場所に週2〜3回のペースで通い始めてから、状態が好転し始めたんです。平日の朝、愛車のママチャリを40分運転して体育館に行き、じいちゃんばあちゃんがさまようジム室で身体中の筋肉をいじめ抜く。これだけで不思議なことに、憑き物が取れるようにグズグズに腐った心が健全な青少年のような心へ、様変わりするんですよね。筋トレのおかげで今では、鬱々としたダメニートから溌剌としたダメニートへと僕は変わることができました。本屋でよく見かける『筋トレが最強のソリューションである』という言葉を信奉してしまいそうです。この本、読んだことはないんですが……。

お互いダイエットや筋トレを頑張りましょう。

前置きが長くなりました。今日の本題に移りたいと思います。

最近は誰かと会うこともなく、実家でニート生活を送っているため、異性との交流が皆無です。ですから「就職後、いかに女性と上手く関わるか」という方法論、もっといえば就職デビューの作戦を一人でネチネチ考えています。(僕は10月から新卒入社で働くのです)

「いや、仕事をなめすぎだろ。仕事が始まったら、自分のキャラとかそんなこと気にしている余裕、絶対にないだろ」とも思うのですが、「要約すると、仕事は人間関係が大事」みたいな話を山ほど聞くので、女性との関わり方を考えることは仕事にも良い効果をもたらすのではないかと考えています。いや、考えているというか、希望です。

最近、考えたのは「他人をかわいいと思う感情は何なのか?」という疑問です。

数週間前、こんなできごとがありました。
駅前を歩いていたら、外人の女性に話しかけられたんです。小さいお子さんを連れていて、年齢は30代半ばくらいに見えました。僕が住んでいるのはめぼしい観光地もない地方ですから、普段は外人の方を見かけることも少なく、少したじろいでしまったのですが、止まって話を聞きました。すると

「アー、スミマセン、エ〜、〇〇ホテルは、ドコ、デスカ?」

みたいに片言の日本語で必死に質問されるんですね。それは駅の逆の口にあるホテルだったので、グーグルマップを使いながら、どうにかこうにか意思疎通を図り道順を説明をしたのですが、そのあいだずっと、僕はその人に対して「かわいいな〜」となぜか感じていたんです。そしてその僕の「かわいい」は、失礼ながら、その方の容姿に対する感情ではありませんでした。

その外人の方と話し終わって、しばらくしてから、いけないことをしたような、どうしても引っかかる気持ち悪さがありました。「あの人は確実に僕より一回り近く年上で、子どもを育てている女性である。もし彼女が仮に日本人の女性だったとしたら、僕は『かわいい』という感慨を抱いただろうか。いや、抱かなかっただろう」と思ったんです。そして自分のこの差別的な感情はどこから生まれているのだろう、と考えたら、その外人の女性の「日本語の拙さ」にある気がしたんですね。僕はカタコトの日本語にかわいさを感じていたんです。もちろん愛嬌の素晴らしい方だったという理由もありますが。

このできごとから思ったのは、もしかしたら「かわいい」という気持ちは、自分で自分より下とみなしている相手にしか起こらないんじゃないかということです。ここでの「かわいい」は容姿のかわいいではなくて、雰囲気がかわいいとか、存在がかわいいとか、そういった意味でのかわいいです。この「かわいい」には見下しが前提条件なんです。僕は外人の方を、日本語を扱う能力の点から、知らず知らずのうちに見下していた。小動物や赤ちゃんがかわいいと言われるのも、多くの人が力関係で自分が上にいるのが前提ですよね。「ツンデレ」が人気なのも、普段は自分より位置関係が上の人間が、急に自分より下の位置から擦り寄ってくる、その落差が激しいかわいさを生み出しているからかもしれません。また「かわいい」を連呼する女性はマウンティング狙いという解釈も……。ひねくれすぎでしょうか。

僕はその点、もちろん「容姿が素敵」という意味では数え切れないほど女性をかわいいと思ったことはあるのですが、女性の人柄や雰囲気を「かわいい」と思ったことがあんまりないかもしれないと気づきました。自分が人を見下さない聖人君子だと言いたいわけではありません。逆に考えなしに過剰に他人を見上げすぎるから、人間関係が上手くいかないのではと最近は考えてるんです。

特に女性は僕にとって基本的に「立場が上」の存在なんですよね。自分の男性的魅力に自信がないので、自分で自分の立場を下げてしまう。そして姉二人と育ってきたせいか、「女性は自分より上にいる者」みたいな固定観念が染みついているんです。だから好きな女性なんてできたら、もうマリア・テレジアに見えます。女帝です。「余計なことを進言したら、打ち首にあうのでは」くらいビビりながら接してしまいます。基本的にいつも女帝の指示を尻尾をふって待ち望んでしまいます。

一方、周りのモテる男性を思い浮かべてみたら、女性を「かわいがる」のが異様に上手い気がするんですよね。「かわいがる」って日本語は良いイメージがないですが、辞書では「かわいいと感じて、やさしくあつかう、また、大事にする」という意味です。本当にこれが上手い。そういう人がモテるとしたら、人って他人から多少、上から目線で見られたとしても「かわいがられたい」と思ってるのではないでしょうか。

以上のことから、もっと対等な目線で女性とコミュニケーションを取るトレーニング、さらには多少、上から目線になったとしても女性を「かわいい」と心の底から思うトレーニングが僕には必要だと思ってるんですね。いや、それ、訓練で身につけるものなのかって感じですけども。具体的には最近、自分の目にSNOWを入れて街を歩くトレーニングをしています。あの、スマホで写真を撮ろうとすると、人に耳とか生えてくるアプリです。世の全ての女性の顔をチワワだと思いこめば対等なコミュニケーションを取れるようになるのではないか、スコティッシュフォールドだと思いこめば相手の存在自体を「かわいい」と思うような感覚が芽生えるのではないか、という狙いです。

今のところ、効果はわかりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?