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正しい〇〇は存在しない

こんにちは。今日は最近学んでいて思ったこと「正しい〇〇は存在しない」というテーマで書いていこうと思います。あくまでも身体や運動に関係する範囲内についてです。

正しい・正しくない/良い・悪いとは

・正しい呼吸方法
・正しい歩行
・良いエクササイズ  などなど 
ツイッターやネット記事を見ていても正しい〇〇などと言った内容を書いてあるものは結構ある。

そもそも正しい・正しくないとは人間が勝手に作り上げた考え方であり、この世の中に正しいも正しくないも本来は存在しない。同様に良い・悪いと言う二極的な考え方も人間が勝手にしているだけであり、この世は二極化できるほど単純ではない。
前回あげた要素還元主義と全体論(複雑系)の考え方とも似ているかもしれない。この世の中は部分の集合体ではない。そう考えると世界や人の体・動きに対して正常・異常や良い・悪いという単純な区分をしようとすること自体が無意味なのかもしれない。理解しやすいかもしれないがそれは本質を見ているのではなく、「理解できている自分」に酔いしれているだけなのかもしれない。

前提条件が重要である

正しい・正しくないという基準で物事を見るのが誤ったものだとしたらどのように物事を見る必要があるのか。
それは「前提条件・状況に即したものであるかどうか」であると考える。
例としてあげた呼吸について考える。
一般の人でも最近は呼吸に関する本が増えているのである程度知っていることが多く、選手に腹式呼吸がいいんでしょ?とか聞かれることもある。そう聞かれるとそんな簡単な話の訳がないと答えたくなる。また、よくあるのはドローイン・ブレイシングするのが良い、胸式呼吸は良くない、深呼吸が良いなどなど。

結局これも正しい呼吸・誤った呼吸など存在せず、前提条件に合った呼吸ができているか否かが重要なのである。安静時の呼吸であれば腹式呼吸も胸式呼吸もクソもなく、お腹も胸も同時に膨らんで萎むような呼吸が望ましい。〜式というような呼吸は安静時にはむしろ望ましくない。
しかし、運動で息が上がっている場合は胸式呼吸になるのが正常である。これは呼吸回数を増やすことで換気量を増やす身体の正常反応である。

歩行も同様である。何もない時にはゆっくり腕を振って歩くのが普通であるし、急いでいる時には腕の振りが小さくなって全身の緊張感も上がる。理学療法室で評価するのはその条件における歩行であることを忘れてはいけない。理学療法室で安全を担保した状態の歩行と家の散らかった地面上の歩行は絶対に異なる。

エクササイズもしかり。「〇〇というエクササイズが腰痛に良い」のではなく、腰椎のスタビイリティを制御しながら四肢を動かすことが腰痛の改善に効果的なのである。〇〇というエクササイズが〇〇に良いのではなく、〇〇を目的とした場合、このエクササイズが有効なのである。よくセミナーでエクササイズを覚えようとする人がいるが(昔の自分笑)これは大きな誤りで〇〇という目的に対してどのようなポイントをおさえて指導すると良いのかを学ばないといけない。要素を抽象化して持ち帰った後に具体化することが大切だ。

何か物事を考える、評価する時には正しいか正しくないかという物差しではなく、その状況・前提条件においてどうなのかという物差しを使う必要がある。

まとめ

・正しい・正しくない/良い・悪いと言った二極化した思考は解釈を容易にする代わりに誤った解釈や価値観を自分に埋め込む

・状況・目的・前提条件に即しているかという物差しで物事を考えて評価する必要がある

最後までお読みいただきありがとうございました。

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