初対面の人の話を聞いて泣いてしまった話。

最近僕は、人と対話しまくっています。
理由は簡単で、楽しいからです。なぜ楽しいかというと、心が震えるからです。僕は人と出会って、共鳴振動することが好きなんです。

昔から僕は情熱的で、こだわりが強い人間でした。それで避けられたこともあります。変人だとか言われて、割とマイノリティなんじゃないかなって思います。
それはある意味しょうがないことです。日本は島国且つ単一民族国家なので、異質を排除する性質があります。だから、出る杭は打たれるんです。
こんな環境だから、本当は表現したい人が表現することを恐れてしまうんです。
日本で唯一と言っていいほどの、嫌いな点です。

僕や僕の身の回りの友人は、たまたま表現を恐れずに今まで生きてこれました。そして今、繋がりを広げ、その心理的安全性を高めている最中です。
でも、本当は熱いのにそれを表現できない人、表立って発信まではしたくない人。色々な人がいます。

このnoteでは、誰にでも、その人なりの思いの表現方法、熱さがある。みんなそれぞれで輝けばいい。ってことを書きたいんです。
そう確信が持てたある2日間の出来事を書きます。

5月6日のzoom呑み。いつものように熱いことを語りながら、心震えていました。そこには初対面の人もいました。
僕は通常運転で熱さ全開のトークをして、皆んなを火傷させていました。
皆んなの思いに触れて、どうしてもそれを表現したくなったんです。
その時ある友人がこう言いました。「思いやビジョンは人それぞれ。大も小もない」と。
常に熱さ全開の自分には刺さりました。
もちろん僕のように熱さや思いを表現し、発信していくことも大切なことです。
ただ、そうじゃなくても、心に想いを持った人間はいる。と、そこで不意に考えたんです。 

もちろんそんなことは分かっていました。でも、勢いが生まれやすい僕みたいな人間が、それを否定しているように感じさせていないか?そう考えたんです。
僕は、スピード感を持って進んでいける一方、細かい見落としがあるタイプです。
本当に誰かの灯火であり続けるためには、火力の調節も大事だよなあ。なんて考えました。

次の日、僕と友人を中心として作ったコミュニティでのzoom呑み。そこにも初対面のメンバーがちらほら。終盤になり、今の活動(部活動や学生団体)を始めたきっかけ、モチベーションについて語り合っていた時、一見大人しそうな女性メンバーが静かに話し始めました。

「私は皆さんのように大それた目標があるわけではありません。今までの自分が逃げていたことから逃げてはいけない気がして、頑張ってるんです。」

大それた目標じゃないなんていう引目を感じる必要なんかない。
そこに確かな炎があることを確信した瞬間に、涙が出ました。

その女性メンバーは僕の友人のSNSアカウントにDMを送ってきたんだそうです。
十分すぎるくらいに熱いじゃないですか。
しかも、行動を起こせている。素晴らしいですよね。

そして僕の涙腺をさらに緩めたのが、他のメンバーの反応。
皆笑顔で、頷いているんです。
心理的安全性ってこういうことなんだ。と確信しました。

それと同時に、自分は誰かの心の炎に気づき、その炎を消さず、共に大きくして行ける最強の仲間でありたいな。と思いました。
しんどい時、たまたま電話したら元気が出た。何の気なしに話しかけたら、なぜかやる気が出た。
そんな生き方が出来れば文句ないなと思いました。

就職活動中に、ある人事からこう言われました。
「福島さんって、ご友人を火傷させていませんか?」
させてると思います。
自画自賛するようですが、他人を火傷させられる人間は人口の5%程度だと思っています。
もし、それに共感してくれた人がいるなら、同志です。
僕たちは、誰かの灯火になれる可能性があるんです。

人は感動して初めて行動する生き物です。人の想いにふれ、共鳴振動することで明日の活力になります。
そして感動する回数が圧倒的に多い人生って、素敵ですよね。
そんな仲間を常に広げていきます。

僕とお話ししませんか?

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