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V字回復の人生と努力中毒①


今日書く内容は自分のこと。就職活動を通じて、せっかく自分の過去を嫌になるまで深堀ったので、自分が後から見返せるように、そして読んだ人が共感して勇気出してくれたりしたら嬉しいなあ、なんて思いながら書いています。そして、めちゃめちゃ長いです。約5000字あります。コロナ期間なので、しゃーなし読んだるか。くらいの気持ちで読んでくれると嬉しいです。

題名にもある通り、僕の人生は常にV字回復です。その傾向は中学生から強まっていきます。

小学生時代


その頃の僕はまさに「文武両道」。勉強もできて、運動もできました。さらに、明るくて、礼儀も正しかったため、友達のご両親や近所の人から褒められることがよくありました。空手では九州2位・県内10連覇、水泳も同学年では常にトップクラス、サッカーもなんだかんだで始めて1年でAチームにいました。
割と順風満帆な小学生時代を過ごしていましたが、唯一の挫折が小学5年3学期から小学6年1学期までの期間におきました。原因はいじめです。(今思えばかわいいもんですが)小学5年生の3学期に隣町の小学校に転校しました。訳あって小学4年生からこの小学校のサッカーチームに所属していたので、友達には困りませんでした。
しかし、女子と一部のイケイケ軍団(いわゆる陽キャ)とはそうはいかず、とにかく苦しみました。前の学校では言われなかった悪口を言われ、とにかくイジられました。そのおかげで、自信をなくし、小学6年生の1年間は人生で1番笑顔が少なかったように思います。今はなんとも思っていませんし、成人式で再開したときには何も気にせず話せましたが、当時の僕にとっては強烈でした。

中学生時代

その後、そこまで行きたくなかった県立中学の受験に失敗し、地元の中学に通い始めました。
中学生の頃の僕はめちゃめちゃ楽しんでました。
3年間でサッカー部主将、初代応援団長、合唱コンクール指揮者、生徒会役員をしました。役職コンプリートです。
この辺りからV字回復の傾向が出だします。
勉強です。
小学生の頃は勉強もできていたので、中学生でも学年上位だろうと思いながら受けた初めての学年テストは147位中70位。母親からは、恥ずかしいから言うなと言われました。笑
その後も90位代をうろちょろするだけでした。
転機は、中体連前の骨折。皆んなより少しだけ早く受験生になりました。ちょっと頑張ってみるか〜って気分で受けた夏の模試で学年28位。「あ、俺やっぱり勉強できるじゃん」って思いました。ただ、僕の弱点は数学。数学だけは0点や10点代から抜け出せませんでした。
でも、僕の志望校は超人気校。偏差値も64くらいありました。(多分)
その高校には、倍率11倍の体育(長座体前屈・握力・反復横跳び)・国語・英語という前期試験の受験方法があったのですが、先生は大反対。授業中に前期試験の対策はするのに「倍率11倍で受かるわけがない」って毎日言われました。めちゃめちゃムカついた僕は、死ぬ気で勉強と運動し続け、前期試験を受験し、合格しました。「あ、やっぱり勉強できるじゃん俺」ってさらに強く思いました。
やればできないものはない(数学以外)という現在の自己肯定感の高さの源泉はここのある気がします。

高校生時代

そうして合格した高校に入学し、順風満帆な生活が待っているだろうと思っていた高校生活は、衝撃と挫折の繰り返しでした。
まず、衝撃だったのは、サッカー部の厳しさ、レベル、仲間です。
厳しさという点で言えば、挨拶練習や応援練習がまさにそれです。僕の高校のサッカー部の1年生にはにはいくつかのルールがありました。
・先輩・指導者の姿が見えたら大声で挨拶(バスケ部とよく間違う)
・昼休みと練習終わりにグラウンド整備をする(早弁がマスト)
・掃除時間には制服の下に練習着を着ておく
・帰りのホームルームが終わったらダッシュで部室裏の1年生ゾーンに行く
・何十曲もある応援歌を2日で覚えさせられる
・1年生大会で優勝できなかったら坊主
・選手権の試合会場になったら朝3時からグラウンド整備 etc...
今どき調査が入れば問題になるレベルですね。(今はほとんどなくなってるぽい)

レベルについては、うちの高校は全国大会に出るようなレベルのチームでした。僕も「Aチームで活躍して全国大会に出る」が目標でした。僕も、中学時代はたまに選抜的なものに参加していたりしたので、なんだかんだで試合には出れるだろうと思っていました。でも、そんなの幻想でした。肌感覚ですぐに分かりました。「多分Aチームの先発にはなれない」って。だから、僕は1年生の2学期には「Aチームに上がって1秒でも試合に出る」に目標を修正していました。これは、地味なようで1番辛い経験でした。

そして、仲間。僕の学年は入部当初からAチームとBチームですっぱりと分かれていました。実力差があったのです。そして、一生忘れないエピソードがあります。僕と同じクラスに、1年生の初めからAチームいた仲間がいました。彼は地元の強豪ユースチームから来ていました。そんな彼と同じチームで、体育の授業でサッカーをしていて、僕のクラスのチームは、負けてしまいました。
まあ、体育だしな。と思い、なんの感情もなく彼と昼休みの雑用をこなしていると、彼は部室のボールを蹴り上げ、大声で「お前ら悔しくないと?」って言いました。意味がわかりませんでした。完全に「??」状態でした。彼は、体育のサッカーで負けて、悔しがらない僕らをみて怒っていました。「ああ本当の負けず嫌いはこういう奴のことを言うんだろうな」と思いました。結局彼とは3年間クラスが同じだったので、僕も徐々に負けず嫌いになりました。

最終的には、高校2年の3学期の新人戦九州大会からユニフォームをもらうことができ、高校総体3回戦では10分だけではあるものの、試合に出ることができました。目標達成です。ユニフォームにたどり着くまで、毎日コーチからボロカスに言われ続け、家に帰りながら泣いたこともありました。高校2年の夏に1ヶ月間オーストラリアに留学し、ブランクがあった中での達成でした。評価されたのは、能力というよりも、圧倒的な姿勢でした。今思えば完全に努力中毒ですが、結果的に目標は達成したので、ここでもV字回復です。

そして、大学受験。
ここでも僕のV字回復癖が炸裂します。
高校総体終了後すぐの模試では、第一志望の大学にはE判定(判定外)でした。当然でした。部活でAチームに上がることに命をかけていたので、勉強なんてしていませんでした。
そこで僕は、自分の得意教科・分野と志望校の出題傾向、自分にあった勉強方法を考え、受験までのスケジュールを立てました。
時間で言うとMAX1日16時間、夏休みは1日以外図書館にこもり、遊んだ日も9時間勉強してから遊びました。
その甲斐あって、10月には模試で学部1位をとることが出来、そこから常にA判定で受験を迎えることが出来ました。
結果としては受験日全てで合格。
これまでの僕の人生でも最も大きなV字回復でした。

大学入学から今まで

これまでV字回復で人生を過ごしてきた僕ですが、大学に入学し、若干の陰りが見られています。原因は僕の努力中毒癖。僕は高い強度の努力を長期間継続することはできますが、結果につながっていなくても、努力しているからいいや。って考えてしまいがちです。
これまでは努力が表れやすい舞台で結果を出してきたため、そこまで大きな問題だと捉えていませんでしたが、大学で分かりやすく躓きます。
象徴的なものは就職活動。びっくりするくらい躓きました。
大学1回生の頃から学生団体の立ち上げに関わり、長期インターンで成果を上げ、常に自己分析を怠らず思考してきた"つもり"だった僕は、結局18社の選考に落ちました。その中には今でも行きたいと思っている企業も3社ほど含まれています。
この敗因のうち大きな1つは、完全に僕の努力中毒だと考えています。 

1回生の頃からいわゆる"意識高く"活動してきた僕は、自分の実績に自信がありました。そして、常に先輩と行動を共にし、キャリアへの意識を磨き、自己分析を行ってきたつもりだったので、正直、早期にいきたい企業から内定をいただけるものだと考えていました。
努力してきた時間が長く、優秀な先輩と共に長い時間過ごしてきたため、自分の能力を錯覚していたのです。 
2020年1月には、完全に自信を失っていました。優秀なフリをしている自分がすごく嫌いになりました。
それを受け入れたつもりになっては面接で失敗し、完全に自己嫌悪のスパイラルにハマりました。週に2回泣いたこともありました。 

転機は2020年3月。ある男との出会いです。
その男とは某人材企業のインターンで知り合いました。俺と同じ目をしている。直感でそう思い、インスタを交換後、DMで連絡し、会う日を調整しました。
会って2時間ほど話し、僕は自分が情けなくなりました。
結局、僕は頑張っている自分がかわいくて、褒めて欲しいだけだったのです。
でもその男は、行動で結果を出し、皆んなから認められていました。結果と行動で認めさせた、とも言えるかもしれません。
これだ、と思いました。が、しかし、就職活動真っ最中に短期で成果をあげることは難しいと考えました。そこで僕がとった行動は、とにかく自分の弱さを認めることです。面接でも常に自分の弱い面を話しました。嘘偽りのない自分を出す。と言う感覚を手に入れたのです。結果、志望度の高い企業から内定をいただけました。
その男に会っていなければ、今頃どうなっていただろうか。本気でそう思います。
面接では、弱さをさらけ出し、これから本気で頑張りますって言いました。
この言葉を言って内定をもらった以上は、全力で向き合わなければなりません。

就活を通し、努力中毒の自分に気づき、なんだかんだでV字回復を見せ、納得いく就活をすることが出来ました。「人は会うべきタイミングで、会うべき人に会う。」この言葉を身をもって体感しましたし、僕はこう言う人との巡り合わせに関する運は昔から本当に強いもんなって思います。

V字回復の成功体験を数多く積み、気付かないうちに承認欲求の塊になっていた自分。おそらく今後も顔を出すことがあると思います。高い自己肯定感と引き換えに手に入れてしまった、厄介な自分です。
でも、これも自分なわけで、愛していかなければならないと思います。
人間とは、常に不完全な生き物です。

そんな僕にも、熱い仲間がたくさんいます。
その中にいたら、「あ、なんか頑張れるな。てか、もっとやらないとな」って思えます。皆が認め合い、高めあうことが出来る集団だからです。その集団では、承認欲求の塊の自分が顔を出すことがありません。
僕はそう言う集団の中でこそ、成長できる人間なのかも知れませんね。

5000字近く書いてきて、なにが伝えたかたったのか。
それは、
「自分を知り、認めること」の必要性です。
僕は、就職活動というフェーズでそれを知ることが出来ました。
が、しかし、就活以外でも間違いなく必要なものです。
より善い自分になるために、まずは自分を知り、認めることが大切なんです。
メジャーの佐藤寿也はW杯の舞台で、眉村健にこう言いました。
「弱さを認め、怖さを知った選手ほど、手強いものはない」と。
まさにこう言うことです。自分の弱さを認めることは、自分を信じて、力強くあるために、必ず必要なステップなんです。

正直日本は、努力中毒になりやすい環境の国だと思います。
なぜ努力中毒がいけないのか。なぜ弱さを認めることが強さに変わるのか。
そこに関しては、次回書いていきます。 

読んでくださりありがとうございました。

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