自己紹介2。

料理の専門学校へ行くと決めてから、少しだけ野球への未練と後悔がうまれた。長く続けてきた野球を辞めることは、自分にとって思いの外大きな事件だったようだ。

ただ料理をやると決めたからには、野球では目指せなかったトップの世界にいくと自分に誓い、2年間の専門学校生活を無遅刻、無欠席、無早退で過ごす、と美容師の専門学校へ行った親友と語ったのを今でも鮮明に覚えている。

専門学校に入った当初、僕は料理人ではなくパティシエになりたいと少し思っていた。この世界に入ろうと思ったキッカケがケーキだった事もあるが、自分の性格が理系で論理的なものが好きだったのでパティシエのケーキの様に緻密で繊細に計算された味わいやフォルムに憧れが強かったからだ。

しかし同時に甘い物だけではいつか飽きてしまうのでは?という不安もあり、最終的にはフランス料理を学びながらお菓子も学ぶ、という形で落ち着いた。結果フランス料理を選んだ事で海外を意識する機会が増え、自分の視野が大きく広がった。

専門学校時代はとにかくお菓子を食べ歩き、合羽橋で大理石の作業台を買い、チョコレートのテンパリングや生地作りなどに努めながら、『絶対に誰にも負けない!』気持ちで毎日を過ごし、料理の為に全てを注いでいた。

就職の時期が近づき職場を探し始める時に思った事は、必ず自分の脚で食べに行き自分の目と舌で感じる。学校の求人に貼られている紙切れに自分の人生を任せる気にはならなかった。とはいえ業界の事など専門学生には殆ど分からず、たまたま見ていた本に載っていた一軒を選び食事に行った。

この『たまたま見つけた一軒』が僕の人生を大きく動かし、決定付けたレストランだ。

レストランFEU。

二回研修と面接を経て晴れて正社員に。自分の人生が動き出した。




働き始めて1週間。慣れない事ばかりだが、不思議と心踊る毎日を過ごしていた。

初めて食事をした日、直ぐに働かせてくれと直談判した。専門学校との繋がりはなく、自分でレストランとやりとりをし、掴み取った今の居場所。

後から聞いた話だが、採用を決めたのは大きな声での挨拶だったらしい。ここでも野球部で培われたものが自分を助けた。

新卒は全員サービスから仕事を始める。料理がどのような空間でどんな方達が食べているかを知った上で料理を作る事がとても大切だからだ。新卒は僕を含めて3人いたが、運良く僕が一番初めに調理場へ入れた。

誰よりも早くお店に行き、自分の仕事を終わらせ先輩の仕事をもらう。毎日の様に罵声を浴びせられ、習っていない事で怒られる。見たこともない量の食材に触れ、休むこともままならず、とにかく必死にしがみつく。何度泣いたか分からない。

ただ、それ以上に先輩に文句まで言っていたのは若気の至であり、当時から誰にも負けたくない一心で我武者羅に働いていた心の表れだと思いたい。本当に嫌な後輩だったと思う。当時の先輩達には心から感謝している。

数ヶ月が過ぎ、仕事にも慣れて来た頃に転機は突然訪れた。下村シェフが独立の為にレストランFEUを辞めるという。衝撃が走った。この人の料理を学びたくて入ったのに、シェフが辞めてしまう。新卒3人を呼び出しシェフが話してくれた事は、『きっと君達は僕の料理が学びたくてこの店に入ったと思う。もし付いて来る気があるのなら、新しいお店でも一緒に働こう。』一瞬で心が決まった。僕はこの人に付いて行こうと。

そこから新しいお店がオープンするまでの、1年という期間。名古屋のグランメゾンで2ヶ月間働き、そこでのシェフからの洗礼も受けた。東京の家を残したままだった事もあり家賃は2倍。給料は変わらず。知り合いも先輩しかいない、そんな環境で仕事が出来たことは本当に財産だ。二度と経験しないと思う(笑)

名古屋は今も思い入れのある街。後に2度名古屋でイベントをやる事になったのだが、何か御縁があるのだろう。







この文章は2年前に書いたもの。今見ると言葉の使い方や間の取り方が少し変な気がする。(今もそんなに変わらないけど)文章を書き続けることで確実に成長している実感があるし、コミュニケーションも上手くなった気がする。改めて自分の過去の話を振り返ることで、今の自分のことも昔の自分のことも客観的に見れたらいいなと思う。

そしてシェフになってから今までのことも続きとして書いていこうと思う。

言葉が、文章が、僕の未来を拡げてくれる。



皆様の優しさに救われてます泣