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知られざる七夕伝説~カータリ人形~

 安曇野市だけに見られるカータリ人形という七夕人形があります。このカータリこそ彦星を背負って増水した天の川を渡り、織姫に引き合わせてくれるのです。このカータリとはいったいどのような存在なのでしょうか?

版画工房フェンリル通信 第101回2020年小暑号


(天人女房)


 天の川に挟まれて、それぞれの岸辺で別々に暮らす織姫と彦星は、一年に一度七夕の日に逢うことができると云われています。そんな七夕伝説というのは各地に見られ、それぞれに物語の内容も違ってきますが、「天人女房」と題する日本の七夕伝説は次のようなお話です。
 昔、天人が地上に降りて水浴びをしていました。すると男が通りかかり、天人の着物を隠してしまいます。そのため天人は天へ帰ることができず、男の妻となって暮らすのです。二人の間には子供ができますが、やがて天人は亭主が隠した自分の着物を見つけ出し、子供を連れてさっさと天に帰ってしまいます。草履を千足作れば天に昇れるという天人の助言に従って、男は草鞋を九百九十九足作って天へと向かいますが、一つ足りないので天まで届きません。けれど見かねた天人が、亭主を天に引き上げてくれます。そうして天に住むことになった男でしたが、妻の母親に無理難題を言われ、その度に男は窮地に陥ります。そんな男のことを、妻の天人がいつも助けてくれるのです。ところが男の切った瓜から大水が出たことで、夫婦は天の川を挟んで離れ離れとなり、七夕の日にしか逢えなくなってしまったということです。
さて、天人と男はそれぞれ織姫と彦星ということになりますが、この七夕伝説はまるで「羽衣天女」の物語のようです。「羽衣天女」においては、天女が天に帰ったところで終わりですが、その続きが七夕伝説へとつながるのです。

(境い目の存在)

 さて、七月七日の七夕に雨が降ると、天の川が氾濫するので、織姫と彦星は逢うことができないなどと云われています。けれど中国の七夕伝説においては、幾羽ものカササギが川に並んで橋を作り、二人を引き合わせてくれると云います。また、ベトナムの伝説ではカササギの代わりにカラスが夫婦の橋渡しをしてくれるのです。このように川のこちら岸と向こう岸を取り持つ天の川の鳥たちは、いわゆる中間地帯や境い目で働いてくれる存在です。昔から川の渡し守や橋の下に住む人などが“法外の人”として世間から見られてきたように、境い目に関わる人々というのは、どこか居場所の定まらない曖昧な存在でもあります。

 そんな境い目を司る代表的なものが、妖精と云われるものかもしれません。天国を司るのが天使で、地獄を司るのが悪魔だとすれば、その中間に位置するのが妖精だと云われています。妖精はあの世とこの世との境い目に棲み、昼から夜へと変わる時間帯、いわゆる黄昏時や逢魔が時などといった頃合いに多く出没するとも云われており、明確に割り切れない曖昧な部分こそが彼ら妖精たちの活躍の場なのです。西洋ではクリスマスの時期に、異界からガチョウやロバや馬などの動物がやって来るという伝承がありますが、この動物たちは異界の秘密に通じた妖精たちだとされています。そんな事を考え合わせてみれば、天の川の橋渡しをしてくれるカササギやカラスたちも、実はただの動物なのではなく、妖精のような存在とし
て考えることができるのです。

(カータリ人形)

 昨年、松本市の博物館で、“カータリ”という七夕人形が展示してあるのを観ました。長野県の中でも主に安曇野市に見られるというカータリ人形。このカータリこそ彦星を背負って増水した天の川を渡り、織姫に引き合わせてくれる存在なのです(反対に織姫を背負う場合もあると云います)。天の川を渡るカータリの名は、“川渡り”の言葉が変化したものです。水に濡れないよう着物を端折り、長い脚をした姿をしているので“足長”などとも呼ばれています。このようにカータリは、天の川に橋を架けてくれるカササギやカラスと同じ役割をするのです。ですからこのカータリは、天の川を司る星の妖精なのかもしれません。

カータリ

 実はアイルランドには、「アストラル・フェアリー」という星の妖精の伝承があるそうです。背丈が2メートル以上もあり、身体から鮮やかな色を放つというこの妖精は、地球以外の惑星にも棲んでいると云いますが、17世紀に妖精の論文を書いたロバート・カークによれば、“アストラル”と呼ばれる“星雲(幽体)”というのも妖精の一種なのです。妖精というのは太陽の光よりも星の光、すなわちアストラル的なものとの親和性があるそうです。それにしても、もともと妖精といったものはどれも漠然としたものですが、このアストラル・フェアリーについてはさらに曖昧な印象しかなく、今一つイメージが湧きませんでした。ところが、七夕という星祭りに関わり、さらに天の川の境い目を行き来するというカータリ人形に出遭った瞬間、これこそアストラル・フェアリーと呼ばれる妖精なのではないかと思ったのです。

アストラルフェアリー

「アストラル・フェアリー」 2020年 木版画

(道しるべの星の輝き)

 前述した「天人女房」の物語からは、天人の織姫に対して、彦星はただの人間であることが分かります。そんな人間の男が、天人の衣装を盗んだあげく強引に結婚を迫ります。ですから天人は、騙した亭主のことを憎んでも良いはずですが、にもかかわらず天まで追いかけて来た亭主に手を差し伸べてあげるのです。物語の筋だけを追うと、ずいぶん身勝手な男の話のようにも思われますが、少し視点を変えてみれば、この物語からは善なるものや美しいものに対する人間の憧憬が感じられてくるようです。けれど人間の未熟な心が邪魔をして、真に善なるものや美しいものを享受することができないことが表されているのです。やがて天の川に引き裂かれ、人間が善や美と出逢うことができるのは年に一度、しかも天の川が雨で氾濫しない場合に限るのです。

 地上に生きる我々人間というのは、天上の普遍的な善や美からどれほど遠く隔てられていることでしょうか。織姫はいつでも我々に善意を示してくれますが、本来は天の川の向こう岸に住む存在ですから、めったなことでは人間が近付くことなどできません。ですから地上で右往左往している人間が、普遍的な善や美に触れる機会はほとんどないのです。けれど、そんな人間のそばにいてくれて、いつでも善や美へ向かう道筋に橋を渡してくれるのが、まさにカータリという存在なのかもしれません。昔は身分が低いとされてきた川の渡し守を引き受けるカータリは、人々に分け隔てなく寄り添ってくれていることを象徴しているのでしょうか。そうして我々人間の背負う重荷を、カータリが一身に担ってくれるのです。夜道を行く旅人にとって、輝く星は道しるべであると共に、心細い気持ちを慰めてくれる希望の光でもあります。人々の向かう先の道筋を手助けしてくれる渡し守のカータリは、そんな道しるべの星の輝きのようでもあり、まさにアストラル・フェアリーの名に相応しい気がするのです。たとえ困難な状況が目の前に立ちふさがって、どうにも前へ進むことができないことがあっても、その時にカータリが我々を背負って橋渡しをしてくれているのだとしたらどうでしょう。ですから時にはカータリの手助けを意識することで、そういった見えない存在の加護に感謝の気持ちが持てれば、我々を背負うカータリの重荷も少しずつ減るのかもしれません。
 今は川を歩いて渡るカータリにも、かつては天の川のカササギのような翼があったのでしょうか。それこそ、輝く天使のような翼が。

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