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遠くへ行った、私の"寂しい"

寂しい、と最後に感じたのはいつだろう?全くもって思い出せない。寂しくて寂しくてしょんぼりした日がすごく遠くに感じる。感情を思い出せないって、なんとも恐ろしいことだなとも思うけれど、今は感じないんだからそれで良いや。


20代は、たくさん"寂しい"と感じていたような気がする。好きな人に会えなくて寂しい。友達に会えなくて寂しい。ひとりでいると、寂しい。そういった焦がれるような寂しさを、いつの間にか忘れてしまったようだ。

ライブの終盤、終わってしまうのが寂しい、とは思うけど、なんだかちょっと種類が違う。あとここ数ヶ月ライブにも行けてない。


寂しい=孤独


とするならば、私は孤独ではない。だから寂しくはない。ひとりではあるけれど、孤独とは感じない。周りから見たら孤独なのかもしれないけど、"はい、ひとりですけども、毎日so happyです"って感じ。


あ、そうそう。


ひとり=孤独=寂しい==可哀想


という式で"ひとり"の人を見ないでくれ。

こちとら楽しく生きているのです。

こんなご時世だけど、毎日が楽しい。自分でも頭おかしくなったのかな?とたまに不安になるくらい、今年に入って毎日が楽しい。

これを書いている今だって、YouTubeのB'z公式チャンネルでLIVE GYMをずっと流しては歌っている。『恋心』で合いの手を入れたり踊ったり。稲葉さんとコーレスして、最後にせーので"おつかれーー!"って言ったり。楽しいしかない。楽しくてじっとしていられないから音楽に合わせて踏み台昇降しちゃったりなんかして。汗だくです。そして1本観終えては、よく冷えたりんごジュースをごくごくと飲む。うんまい。

こんなに日々楽しくていいのかな?と思わなくもないけれど、楽しいことを誰かに遠慮する必要なんてある?ともう1人の私が言うから、それもそうだと堂々と楽しく生きようと思う。


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"寂しい"は独り身の専売特許じゃない。

たとえ結婚して家族が増え独り身じゃなくなったとしても、寂しさを抱えてる人はいる。たくさんいる。誰かに必要とされたいとか、私を見てほしいとか、不安と満たされない何かが寂しさを連れてくる。

"寂しい"はぽっかり空いた穴を知らせるようにやってくる。

空いたところを埋めるのは、他人じゃない。

寂しさを埋めるように誰かを求めても、埋まるのなんてその一瞬だけで、独りになった時にまた同じところに穴があく。誰かに満たしてもらおうなんて、無理だった。


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"楽しい"で満たされた日々に、"寂しい"は顔を出さなくなった。


あれやこれやとあった20代を過ぎ、私は"寂しい"の穴を"楽しい"で埋め立ててしまったようだ。

これでいいのかどうかはわからないけれど、この先良かった事にすればいいだけ。ひとりは、孤独じゃない。好きなことや楽しいことで自分自身を満たせば、寂しいなんて感じている暇はない。私はね。何で満たすかは人それぞれだけれど。


満たされているのが良いかと言えばそうでもなくて、孤独感や不安や寂しさは創作のスパイスになるので時には必要だ。まずい、この頃楽し過ぎて、自分で読んでもつまんない文章しか書けない。豊かな感情よカムバック。。



といっても、この先どこかで必ずまた孤独感や寂しさを思い出す日は来る。そういうものだと思う。

その時に何で満たすかは、その時の自分次第だ。


サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。