身の程知らずは夢を見る。

以前にも書いたかもしれないけれど、私には忘れられない大切な言葉がある。心の中で、額縁に入れて飾ってある言葉。埃をかぶって見えにくくなってしまう事もある。それは大抵、灰色の瞳をしている時だ。けれど、ふと脳裏をよぎる1ページ。何年経っても色褪せない、あの言葉。


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私は矢沢あいさんの作品が大好きだ。特に好きなのは、下弦の月、ご近所物語、天使なんかじゃない、そして、Paradise Kiss。その中でも印象に残っている言葉がある。大好きなパラキス5巻に出てくる、ジョージとイザベラのセリフ。

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「自分の可能性を信じなきゃ、何も始まらないよ」
「どんな成功者も最初はみんな、身の程知らずだったと思うわ」


パリのオートクチュールのメゾンで修行をしようと思う、と告げたジョージに、恋人の紫はクチュールのメゾンなんて簡単に入れるわけがない、考えが甘すぎると言った。それに対しての返答がこの「自分の可能性を信じなきゃ、何も始まらないよ」だ。

そして、なんやかんやあった後「難しい事にもどんどん挑戦して行こうとは思ってるの!ただ、私はみんなと違って夢を見つけたばっかりだから…具体的にどうして行けばいいのかもまだよく分からないし、まずは与えられた仕事をひとつずつクリアして、いろいろ吸収して、自分を確立して行って、海外進出はそれからかなって。身の程知らずだけどね」と言って笑う紫に、イザベラは「どんな成功者も最初はみんな、身の程知らずだったと思うわ」と返した。


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私は昨年、新たな夢のかけらに出会った。子どもの頃からの夢だった美容師を辞め、以降数年間、純粋な夢など描けなくなっていた。それがようやく、小さな芽がひょこっと出てきた。時間が動き出したような気すらした。けれど、初めは夢や目標を掲げることすら恐れていた。自分の可能性を信じられなかったから。

自分は特別な人間じゃない。秀でた才能もない。どこにでもいる、ありふれた人間だ。そこそこの努力しかしてこなかった凡人だ。何も成し遂げてこなかった人間だ。

そんな自分が、夢を見てもいいのだろうか。

身の程知らずにも、夢に向かって頑張ってみてもいいのだろうか。

そんな不安で戸惑っていた時、心の中で埃をかぶっていた額縁が、ふと現れた。


「自分の可能性を信じなきゃ、何も始まらないよ」
「どんな成功者も最初はみんな、身の程知らずだったと思うわ」


言葉とは、出逢うべくして出逢っているような気がしている。

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30代に突入してはや数年、それなりに挫折も絶望も味わって生きてきた。10代の頃のように、自信に溢れたキラキラした想いでは夢を描けない。いつだって不安はつきもので、不安の種類だって増えてきた。今だって自信はない。けれど、自分の可能性を信じてみようと思う。身の程知らずかもしれないけれど、信じてみようと思う。そうじゃなきゃ、何も始まらないから。ただ待っていたって、何も変わりはしないから。

夢を描くために必要なのは、特別な才能でも恵まれた環境でもなくて、自分の可能性を信じる事だと思う。もちろんそれだけではないけれど。そこに"好き"があって、"やってみたい"という気持ちがあって、最後に必要なのは、自分の可能性を信じる事だった。始めたら必ずそれで成功しなければならないわけではない。やめたっていい。挑戦した時間は経験になる。どうなるかは、やってみなくちゃ分からない。


「自分の可能性を信じなきゃ、何も始まらないよ」
「どんな成功者も最初はみんな、身の程知らずだったと思うわ」


幾つになっても、身の程知らずでいたい。

身の程知らずに挑戦し続けたい。


大切な言葉を見つめて、額縁を磨いて心の真ん中に飾る。

忘れないように。恐れないように。



サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。