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愛すべき子どもたち。親から離れていても学童保育があれば楽し。

学童保育(以下、学童と略)には親が働いている子どもや自営業で忙しい家の子どもなど、ひとりひとり違う理由で子どもがやってくる。学童好きな子どもたちとの日々は大切な思い出のひとつになっている。

先生の愛は深く

学童のVちゃん先生は子どもたちに深い愛をもって接していた。特に生きづらさを知らず知らずに抱えている子どもには敏感でわたしに教えてくれる。鈍感なわたしにはありがたいことだった。

「子どもは勝手に育つ」と言うけれど、こうして様々な大人に育てられているのだと思った。

一方、わたしはと言えば。

「こうちゃん先生、鬼やで」と、いつの間にか鬼ごっこに巻き込まれ、ヘトヘトになるまで公園を走り回った。いつも子どもたちと遊んでいて、仕事らしいことはすべてVちゃん先生が担ってくれていた。

幸いにもVちゃん先生が保護者会にかけあって、わたしの時給と交通費を支給してくれることになった。

Vちゃん先生は

6月の末のこと。子どもたちを待つ間、わたしはVちゃん先生の身の上話を聞いていた。

厳しいお父さんに決められた道を進んできた。行きたくない短大に進んでからは家に帰らない日が増えた。帰っても暴力にさらされるだけだからだ。

聞きながら涙があふれてきた。Vちゃん先生は言った。

泣いてくれてありがとう。こうちゃんが泣いているのは、こうちゃんの問題で泣いてるんやと思うけど嬉しいで。

思わぬ言葉に驚いた。わたしが泣いている理由はわたしの中にある。Vちゃん先生の言葉は冷静でグサッときた。泣くことは恥ずかしいことだと初めて思った。

このあとすぐに、Vちゃん先生がよく休むようになった。わたしの能力ではVちゃん先生がしていた仕事は出来なかった。おやつのメニューさえ決められず、スーパーで1時間以上かかってりんごを2個とおせんべい1袋を買った。

一事が万事この調子だった。

先生は子どもたちで

だんだん何も出来なくなっていって、このままだとまた布団の中に戻るのではないかと恐くなる。

けれど、こんなわたしを助けてくれたのもまた、子どもたちだった。

昼食のカレー作りで、タマネギの効率的な切り方を教えてくれたり、お玉の便利な使い方を教えてくれたり。料理が苦手なわたしは助かった。

雨の日の過ごし方に困っていたら本の読み聞かせをしてほしいと言ってくれて助かった。

考えてみればVちゃん先生の読み聞かせ姿を見たことがなかった。

絵本はいつも子どもが選んだ。人気があるのは『ババール』シリーズだった。

『注文の多い料理店』を頼まれて読んだ時には途中で子どもたちが泣き出して中断した。何度も読んでくれと言われては、怖いと言われて中断した。だからわたしは未だにあの物語の結末を知らない。

お気に入りの遊びは

布団の中で過ごしていた間にわたしの髪はショートからロングになっていた。女の子たちはわたしの髪で遊ぶのが好きだった。

F世はポニーテールにしたわたしの顔をまじまじと見て「可愛すぎるわ!」と怒ってほどいた。子どもは正直だった。ポニーテールという年齢でもない。

考えてみたらまだ23歳だったのだから悪くはないのですがね…。

公園で子どもたちが遊んでいるのを見守っていると、見知らぬ男の子が近づいてきた。わたしの顔を見上げて、

「おばちゃん、今、何時?」

「え…」

即答できず、慌てて時計を見て答えながら、初めて「おばちゃん」と呼ばれたことに衝撃を受けていた。

今、本当のおばちゃんになったわたしを「おばちゃん」と呼ぶ人はいない。

ひとりになってしまって

結局、Vちゃん先生は体調不良で休職することになった。その後、夏休みだけ臨時に昼食の世話をしてくれる人が来てくれた。おやつについても考えてくれた。これは本当にありがたかった。

毎日10人前後の子どもに昼食を出すのはわたしには無理だった。

どうにかこなしている学童の仕事で一番困ったのは、やはりいじめられる子どもが出てきたことだった。





シリーズ

【坂道を上ると次も坂道だった】

でした。



イラストは「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。

子どもたちが集うイメージがしたので選びました。心和むイラストをありがとうございます。


地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)