文書の捉え方

企業間取引に限らず、従業員との間での雇用契約、通知文など、企業活動では多くの文書が作成される。

「文書」は公式なメッセージとして作られていると通常は解されているが、その意味するところと責任の度合いにはいくつかの捉え方がある。

文書にメールなど電子的方法が含まれるか

法的な意味での「文書」とは「狭義では紙片等の媒体に文字その他の符号をもって何らかの思想が表示されたもの」をいう。
図面、写真、録音テープ、ビデオテープなど、情報を表すために作成された物件で文書でないものを「準文書」という。
(法律学小辞典第5版)

これをみるに「紙」で作成されたものを文書とし、それ以外の電子的手段は文書ではないが文書として扱うという位置づけになっている。ただし民事訴訟法では証拠調査手続上両者の取り調べ方は同じであるので扱いに差異はない。(民訴231条)

これはあくまでも「証拠として扱ってよいか(証拠能力)」を調べる手続きにはのるということにすぎず、証拠として即採用されることを意味するものではない。

つまり証拠として提出された文書・準文書が、改ざんがないか、証明しようとしている事実の裏付けとなるかが確認される。

この意味で契約書かそうでない通知文やメールかで扱いに差はない。

保守的な考えでは「メールなどは改ざんが容易だから証拠力に劣る」といわれていたが、実際にはメールなどは証拠として提出されるし、相手方がなにも反論しなければ証拠として採用される。
(例えば東京地判平成25年2月28日。電子署名をつけていないメールによって広告の発注がなされたと主張する原告(広告業者)と、当該メールは改ざんされたものであると主張する被告(発注者)との争いで、各メールが偽造されたことをうかがわせる証拠はないこと等を理由として「成立に争いがある原告を作成者とするメールの写しについては、成立の真正が認められるというべきである」と判断)
上記裁判例からわかるように、仮にそのメールの改ざんが他方当事者から主張されれば送信履歴や各種情報から改ざんの有無を確認することになる。

つまり文書の証拠能力という意味では、媒体に関わらず平等というのがまず大原則で、そのうえで契約書が証拠としてはいわゆる二段の推定によって(形式的証拠力としては)特別に強化されてきたという建て付けになる。

保守的な考えにおいては電子的方法による文書(典型的には電子契約)は紙による文書と違って裁判上証拠として扱えないという考えが散見されていた。コロナウイルスの影響による電子契約の台頭と解説の増加によってこのような誤解は相当払拭されたと思われるが、契約でない文書、例えば担当者間でやりとりされるメールは証拠にならないとさえ考えられている例もあるが、上記の通りそれは誤りである。
なお税法上の文書保存はこれとは違うので注意されたい。もっともこれも電子帳簿保存法によってほとんど解消されてきているので、システムの用意などの実務上の障害がある場合を除き電子媒体での取引、証憑保存を嫌う意味はほとんどなくなってきているのだが、実務上の障害と単なる制度の無理解が混同されている例もあるのではないか。

実体法と手続法

制度の無理解の原因として、実体法と手続法の区別というのが一般的には理解し難いためと思われる。

なお「契約」と「契約書」は異なることに注意されたい。簡潔にいうと「契約」は「法的拘束力を伴う当事者の合意」という概念であるのに対し、「契約書」は「契約の内容を表示した文書」という実物である。ところで往々にして契約書の文言の捉え方や、契約書への落とし込みが不足していたために争いになる。これは「当事者の合意である契約」と「契約書」にズレがある状態である。裁判では互いに主張と立証をして裁判官に真の合意内容を認定してもらうが、そこにおいて裁判官が真実であると認めるか(心証)に対する影響力を「実質的証拠力」という。議事録やメールなどが採用される可能性があるのはここである。なお他にも経験則なども用いられることもある。

実体法とは法律関係(権利義務の要件と効果)の内容を定める法のことをいう。
例えば売買契約が成立すれば売主は目的物を引き渡す義務を負う(買主からみれば引き渡しを求める権利を得る)。これは民法などにより規定される。
この権利義務を主張し、裁判所などの国家権力を用いて強制的に実現することができるのは、契約には法的拘束力が認められているからである。

これに対し実体法上の権利義務を実現する手続きを定める法が手続き法であり、民事訴訟法などがある。

売買契約の例で言えば、そもそも売買契約が成立していなければ実体法上の権利義務は発生しない。
契約の不成立の事情とは例えば「そもそも売買契約の成立という主張自体が買主の虚偽であった」などである。
争い方は他にもあり、契約は成立したけどもなかったことにする方法として、例えば未成年者が契約したことによる取消し、詐欺行為があったことによる取消し、特約による解除などがあり、契約が成立しなかったことにはしないけれども義務の履行を拒む方法として同時履行の抗弁などがある。

状況によりいずれの方法が取れるかは変わってくるが、採用する方法を主張する者はその方法を裏付ける事実の証明が必要になる。これが立証責任といわれるもので、「法律要件に該当する事実の存在が真偽不明に終わったために当該条文が定める法律効果の発生が認められないという不利益又は危険」といわれる。
つまり立証に失敗すれば、その主張していた法的な効果(売買契約における目的物引渡し請求など)は認められないとなる。

処分証書と報告証書

手続法上の区別として、証明しようとしている法律行為(契約など)が記載された文書を「処分証書」という。契約書が典型的にはあたる。

これに対し、処分証書以外の文書を「報告証書」という。意見書や手紙などがあたる。

この違いはどちらにあたるかによって、作成者の意思の認定に違いがでてくることになる。

「契約書が当事者Aの意思により作成されたこと」を「成立の真正」という。民訴法228条によれば文書が真正に成立したことを証明しなければならないため、Bは「Aの意思によること」と「Aによって作成されたこと」の2つを証明しなければならないように思える。しかし他人である相手の「意思によっていること」の証明の困難さは明らかである。
※ここでの「作成」は「ファーストドラフトを用意して、印刷をして」ということではなく、仮にBがこれらをしたとしても「押印なり承諾をしたこと」である。

そこで契約書などの処分証書を当事者Aが作成したと認められるならば、当事者Aはその契約書に記載された契約内容を実行する意思があったと認められる。当事者Aがこれを否定する事情を立証する必要がある。

これにより相手方当事者Bが当事者Aの契約内容を実行する意思を立証する必要はなく、契約書が当事者Aにより作成されたことを立証すれば足りるのは、立証の負担も訴訟戦略も大きな違いが出る。

終わりに

以上、複雑な捉え方を述べはしたが、結局のところ講学上の分別であるのも否めず、実務上はここまで「これは処分証書である」「これは形式的証拠力を具備しているから実質的証拠力も有していると考えられる」というようなやりとりはしない。

それは結局のところ、やりとりされる文書が全く実際のやりとりと真逆であるとかの例よりも、不足や解釈の不一致が争いになることが多く、それは文書以外の口頭やメールでのやりとりから推定していくというシンプルな解決方法が行われているからに過ぎない。

現場担当者としては、
・嘘偽り無いやりとりをする
・一方的な提案と合意内容を区別する
・思い込みで解釈しない
・文書は考えが正確に反映されているか注意する
・複数文書間、口頭説明と文書間で矛盾がないかを注意する
という至極当たり前のことを注意することで足りる。

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