5/14 10000時間

一万時間の法則というものがある。
何かを極めるのに一万時間の努力を要するみたいなものだ。
まあそれが科学的に真実なのか否か議論の余地はあるだろうが、いわゆるプロレベルになるには小手先の努力では敵わないところはあるのではないのだろうか。
もちろん質も大事ではあるが圧倒的な量というのはそれだけで大きな力を持つものだと私は思っている。

さて、私が何かに対して一万時間もかけたことはあるだろうか。
部活も何もしてこなかった私はスポーツに青春を費やしてもいないし、かといって誇れるほど勉強もしてこなかった。
強いて言うなら読書とピアノくらいだろう。

だが、読書も好きではあるが量という意味ではかなり少ないと思う。
小さいころは読書が嫌いだった。
私の通う小学校では一時間目の授業の前に十五分ほど読書タイムがあったのだが、皆がエルマーの冒険やハリーポッターを読んでいる間、私は怪傑ゾロリやはだしのゲンばかり読んでいた。
絵もないのに文字を読むことが苦痛で仕方なかった。漫画のほうが動きもあって文字も読みやすいのになんでわざわざ楽しくもない小説なんて読むのだろうと思っていた。

中学校でも読書タイムなるものがあった。
残念ながら漫画がなかったので皆が読書している間、宿題をしていたりどうにか暇をつぶしていた。
しかし三年間もこれをし続けるのは辛いと感じてどうにか読めそうな本を読み始めることにした。
ラノベだ。
しかし最初は苦労した。文字だけをまともに読むなんて国語の授業くらいだった。
いくら文字量が少なくて大きくて読みやすくなっているとはいえ、何度同じ行を読んだかわからない。
それでも読み進めていくうちに、ストーリーが面白いのはもちろんのこと、登場人物や風景などが頭の中で勝手に動いていくのが面白くて仕方なかった。
ラノベなので表紙や挿絵のシーンが頭の中を更に補完してくれた。
そこから本を読む楽しさというのを知っていった気がする。

ということで読書をするようになったのはかなり遅いほうだと思う。
実際に何冊読んだかはわからないが、まあ五百はあるとしよう。そして一冊二時間として千時間。
読書に極めるも何もないが、それでも一万時間には遠く及ばない。誤差千時間だとしてもそれでも二千時間。

次にピアノ。
通っていた五歳から十三歳までの八年間で一週間に二時間の練習をしていたとして約百時間×八年の800時間。発表会前などは流石にもう少し練習していたので約千時間。
十三歳から今までで約千時間として合計で二千時間。
読書とほとんど変わりない。

一万時間というのがいかに途方にない時間かわかる。
仕事で考えると一日八時間勤務だとすると一年で二千時間。つまり五年で一万時間に到達する。
人間って途方もなく仕事してるな。
ちょっと驚き。
張り合いできるのは睡眠くらいだな。

まあもちろん質も大事だが、私がピアノを極めようと思うとあと八千時間必要なわけだ。
現在、週に二時間の練習はしているので一年で約百時間。つまりあと八十年かかる。
あまりに現実的ではないな。きっと死んでるだろう。
練習時間を倍にしても四十年かかる。これでも死んでる可能性は十分にある。

ピアノの先生などは余程難しい曲でなければ初見である程度弾いてしまう。
そのレベルに達したら弾くのが楽しいだろうなと思うが、そこまで到達するのに膨大な努力を要したのだろうと察する。
きっと彼らは小さいころから一日何時間も練習をして、音大に入って、そこでもたくさん練習して今に至るのだろう。
そう思うと一万時間くらいは余裕で超えているだろう。

きっと私は死ぬまでにピアノを一万時間弾くことはないだろう。
読書なら或いはあるかもしれない。
そう思うと何かを極めるために一万時間を費やすというのはあまりに途方もない数字だ。

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