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遠い日の記憶

遠い日の記憶は、些細な断片をきっかけにして急激に蘇ることがある。

へいに あいた あなひとつ
のぞいてみたら おこられた
    ーー谷川俊太郎「あな」
あさの くうきを きりさいて
ほてぱほてぱと とびまわる
    ーー谷川俊太郎「はえとへりこぷたあ」

詩の一節が、口をついて出てくる。表紙のすべすべした質感とか、シンプルだけれど温かさを感じる絵とか、そういうものが呼び起こされる。ずっと蓋をしたままだった思い出が、ひょっこりと顔を出す。好きだったでしょ、って。

そう、好きだった。

思わず声に出して読み上げたくなるような言葉たちが、好きだった。好きだったことを、それなのに今の今まで忘れていた。思い出したら、忘れていた時間を取り戻そうとするかのように、無性にまたこの手でその存在をたしかめたくなった。

好きだったそれを、子どもたちにも教えてあげたくて、好きになってほしくて、取り寄せた。


物心ついたころから、月に2回、家族で図書館に通っていた。

たくさんの絵本や児童書に触れて、なかでも深く印象に残っているものや、気に入って何度も借りたものがあった。尋常でない数の登場人物(動物だったけれど)に圧倒されて置いてけぼりを食らい、どうしても読み進められなくて諦めた本も覚えている(これが人生最初の挫折だったかもしれない)。
主人公の生きざまに憧れて真似してみたり妄想してみたり。五味太郎さんの『ことわざ絵本』のイラストをノートに模写してみたり、寺村輝夫さんの「王さまシリーズ」のパロディめいたお話を書いてみたり。

わたしが本とともに過ごした時間は、とても自由でやさしかった。あの経験が、たぶん今のわたしを作っている。
ときどき思わず口ずさんでしまう一節は、その名残だ。

だけど、物語の細部はほとんど忘れてしまっている。
面白かったなあという感慨だけを残して、中身は気がついたらすっかり風化していて、ちっとも思い出せないのだ。

子どもたちに貸そうと思って購入した『二分間の冒険』(岡田淳・著)を、昨晩ふと手に取って、うっかり読み入ってしまった。この世界で「いちばんたしかなもの」は何か。二度目なはずなのに、その問いが深くわたしのなかに沈んだ。

時を経てもう一度同じ本に巡り合ったとき、最初とはちがう、別な味を楽しめることを知った。一粒で二度おいしい。なんてお得なんだろう!


だからこの幸せをシェアしたくて、まことに押しつけがましいことだけれど、外出自粛の楽しみにと、しきりに懐かしの本を勧める日々である。


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