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半分と轟くん

いいのよ おまえは
血に囚われることなんかない
なりたい自分になっていいんだよ

轟くんの頭髪は、右が白くて左が赤い。瞳の色も左右で違う。
そしてなにより、右半身からは凍てつく氷(冷気?)を、左半身からは燃え盛る炎を出せる。そういう個性を持って生まれた男の子だ。

それはわかりやすく、父と母との生物学的なつながりを象徴している。
No.2のヒーローとして名を轟かす父の炎と、母の冷却と。それぞれをちょうど半分ずつその身に宿す彼は、私怨のために父によって「つくりだされた」存在だった。自身が到達することのできなかったNo.1の高みに、自らの分身として担ぎ上げるためだけの。

母は、彼の左側に彼の父である夫の姿を重ねる。
見ないようにしようと思ったって、生き写しのように目の前に「いる」のだからしょうがない。自分をいいように利用した夫への憎悪が募るほど、愛したい我が子を愛せなくなる自分に気がついてしまう。それを気のせいだと打ち消したいけれど、できなくて引き裂かれる。

自分の中に父を見出し、引き裂かれる母を目の当たりにした子どもは、どう思うだろうか。
轟くんは、左側を封印することにした。母を苦しめる父を許すまいと、父から与えられた力を使わずにNo.1に上り詰めることで、真に父を超えてみせようと決意した。父の分身としてではなく、父を必要としない他人として。しかし皮肉なことに、それ自体が父に囚われ続ける存在としての彼を際立たせる。轟くんは、世の中にあふれている。

子どもは生物学的に、父と母の半分ずつである。轟くんほど明瞭でなくとも、たしかに半分ずつの存在なのだ。ふとしたときに見せる表情とか、癖とか、電話口のくぐもった声とか、趣味とか。あるいは何も目に見えて共通するものがなかったとしても、「血が繋がっている」というその事実だけで半分を感じる。
父や母からの半分へのまなざしに恐れや悲しみや痛みを感じとったとき、子どもは己の身体を憎むかもしれない。半分ずつであるという変えようのない現実から目を背けたくなるかもしれない。

半分ずつの事実は、ときに残酷だ。
子どもは誰と誰の半分をもらうかを選べないし、半分を与えた2人が末長く連れ添う確信もない。半分が自分を守ってくれるとは限らないし、半分(あるいは両方)が誰なのかさえ知りえないことだってある。
半分は、逃げ場のない呪いになる。

呪いを解くのは、半分ずつの自分を超えることだ。
半分ずつである事実は変えられない。しかし、ただ半分ずつであるという以上に、唯一無二の一個の存在としての自分に気がつけたなら。

君の力じゃないか、と緑谷くんが言ったとおりだ。
半分ずつの呪縛から抜け出して、ほかの誰でもない「君」になれ。

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