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“もの”に宿る思い出は圧縮ファイル?

コテンラジオという歴史の音声番組の『最澄・空海編の密教について』で、パーソナリティの深井さんが、ある僧侶の方からこんな話を聞かれたそうです。

「マクドナルドの看板を見た時、ハンバーガーの味とか、店舗で流れるポテトの揚がったタイマー音のティロリティロリとか、CMで流れる
i'm lovin' itとか、マクドナルドに関係する様々なものを想起する。そんな風に密教における法具とは、教えや思想を想起させる媒介としてのシンボルなんです」

みたいなこと。

つまりマクドナルドの看板は、看板の意味を超えて、マクドナルドという“体験”を想起させる“シンボル”になっていると。法具というものも、それ自体を通して様々な密教的な体験や考え方を想起させるものである、ということ。

これはとても面白いなーと思いました。

タイトルになっている圧縮ファイルというのは番組の中でも言われていたことで…
この場合、
マクドナルドという看板を見た時、それに付随する様々なマクドナルドに関係する体験が一気に“解凍”される。みたいな感じなので圧縮ファイルなんだって話をされてました。

これを聞いた時、これは法具とかの話だけではなく、“もの全般に言えること”だなーと思ったのです。

例えば、
デジタルの本が生まれたけど、紙の本はなくならないって言う話がありますね。紙の本がなくならないのは、その本を通して様々な体験が本という“もの”に宿るからではないでしょうか?

私の家では、大学生の時に買ったロバートライマンという画家についての本があります。特別大切な本でもなく、本棚に置いていましたが、ある日2歳になる娘がその本を取ってパパの絵本と呼び始めたのです。そこから何故かそれが気に入ったようで、たまにひっぱり出しては「一緒に読もー」と言ってきます。そして娘が沢山触るのでどんどん本も折れ曲がったりして傷んできてしまいました。

だから今、私がその本を見た時には、その体験が“想起”されるのです。そして10年20年経ち、その本を見た時に同じように想起されるでしょう。それは未来の私にとっては、過去の“思い出”として想起されるに違いありません。

特別なエピソードがなくても、付箋を貼ったり、線を書いて沢山読み込んだ本は、時が経って改めて読んだ時、当時読んでいた記憶が様々に想起されると思います。そんな風に、子供の頃に読んでいた本、大人になってから読んでいた本、楽しい時、辛い時、様々な時間を共にした本。“もの”としての本は、きっとそうした体験を想起させる圧縮ファイルになっているんだと思います。

“もの”は様々な思い出を想起させる圧縮ファイル。そして私は、木という時間性のある素材を使い、長く時間を共に過ごせる“もの”を作りたいと思っています。長く使うことができれば、それだけ様々な体験がファイルに保存されていくように思うから。木とはそれに耐えられるような、沢山のものを保存できるファイルだと思っているのです。

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