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実は宇宙に行ったことがある?


メタバースとか仮想空間とか、そんなことを考えた時に一つ思い浮かぶ体験があります。

大学生の頃、初めての海外旅行に行こう!と思い立ち、どこに行きたいかなーと考えていて、好きだったベルニーニという彫刻家の作品があるイタリアに行こう!本物の彫刻を見に行こう!と思って、実際に行ってみた時の話です。

初めて行った場所だし、本物の彫刻を見るのは初めてなわけですが、

「あー見たことあるなー」

と思ったんです。

沢山眺めていた写真のせいでもあるのでしょうね。もうその場所もその彫刻も、もはや知っているものとして認識してしまった。今となっては、大人になり昔よりは多くのものを吸収出来る自信はあるのですが、当時はなんだか感動出来なかったんです。

本物をみて感動出来ないなんて!
自分の感覚はなんて未熟なんだ!

と思って、自分にがっかりしたものです・・・でも、今メタバースとか言われる世の中で、バーチャル空間での体験と、リアルな空間での体験とを、並列に見て考えることが出来るようになってくると、ふと思ったのです。「確かに感覚器官の種類(視覚・触覚・聴覚等)や、それぞれの体験の深さは色々あるけれど、経験から得られるものの重要さはそんなに変わらないんじゃないか?」と。
つまり、あるものを“写真で見た視覚経験”と、本物を見て感じる時の“視覚のみを分割して考えた時の視覚経験”とはそんなに違いがないのではないか?
確かに本物を見た時は、視覚以外の感覚器官も働いているので複層的な経験になっています。でも、視覚のみを切り取って考えた時の視覚体験と、写真を見て得られる視覚体験との違いは意外と少ないのかもしれない。むしろ豊かな想像力があれば、写真を見るだけで、そこで流れている空気感みたいなものも含めて体験出来てしまうみたいな。そうすると、本物の体験以上の理想的な体験を脳の中で得てしまっているみたいな。

そんなことを考えていました。

そんなことを考えているからと言って、私はバーチャル推進をしているわけでもなく、視覚だけではない身体感覚を不要なものと言っているわけではなく。過去の旅行の体験も含めて、ふとそんなことを考えたのです。

そう考えた時、もう1つぼんやりと考えました。
宇宙からの景色についてです。

私はもちろん宇宙に行ったことはありません。
でも、映画の中で宇宙から見た地球を見たことがあります。
じゃあ、実際に宇宙船の窓からみた地球と、映画の大きなスクリーンで見る地球と、どちらに感動するんだろう?

そんなことを妄想した時、結構な割合で私は映画の大きなスクリーンから見た地球の方に美しさを感じてしまいそうな気がしたんです。

私はすでに現実の世界にいる中で、バーチャルな地球像の方を美しいなーと思ってしまっているのかもしれない。すでにメタバースを生きているのかもしれない。

実際に宇宙に行くと言う体験の中でしか得られないものも沢山あるし、気づきも沢山あるというのは事実だと思う。けど、映画を通して私はすでに宇宙に行ったことがあるような気がしてしまう。実際に宇宙に行った時、イタリア旅行に行った時のように「見たことあるなー」と思うのか、「やっぱり本物は違うなー」と思うのか、どっちなんだろう?

そんなことをふと思いました。


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