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ロードレースとプロテクター:検証の現在地編

 2023年も年明けから約2カ月が経過し、海外では既にUCIワールドツアーのレースが開催されていますね。また国内でもJプロツアーが開幕し、ホビー・学生レーサーの皆様もロードレースシーズンへ向けて準備を進めていることでしょう。私の「ロードレースとプロテクター」の検証活動ももうすぐ開始から半年を迎えることになりますが、これから始まる2023年シーズンこそ、「現在のロードレースにプロテクターを導入することは可能か?」という本検証最大の課題に対する回答の方向性がよりハッキリと示されるであろう重要なシーズンとなります。
 本記事ではそんなシーズンの開幕前に私自身が自らの考えを整理するという意味も兼ねながらも、プロテクターに関する検証の現在地と課題、私のスタンスについて皆様に表明しておこうと思います。

検証のキッカケ

 私がロードレースへのプロテクター導入の可否を検証する理由とその根底にある問題意識の芽生えは、昨年9月にあったインカレロードレースでの落車事故に非常に大きな影響を受けています。

 事故の内容については上記記事を参照いただければと思いますが、私自身巻き込まれても全く不思議ではなかった落車で発生してしまった事態に対して悲しみとともに恐怖感を覚えました。また同時に、このような事態が起こり得るのだから軽々しく人に自転車競技を勧められないなとも思うようになりました。
 ところが私は競技者としても観戦者としてもロードレースというものが好きであるという気持ちは変わりませんでしたし、日本においてもっとロードレースに触れる人が増えてほしい、発展してほしいという気持ちも同様でした。
 つまり私はある一面で「自転車競技を人に勧められない」と思いながらも、別の一面では「ロードレースの知名度・競技人口が増えてほしい」という思いも抱えることになったのです。私の中ではどうもこれらが矛盾しているように思えて消化しきれませんでした。そしてこの矛盾を解消するには、ロードレースの安全性が向上すればよいと考えたのです。

 私はそれ以前に栗村修氏がプロ選手のプロテクター着用についての意見を述べていた記事を読んでいたことを思い出し、プロテクターをロードレースに導入する試みを行った前例はあるのかを調べてみました。すると普段使いでプロテクターを着用しているという方の記事は見つかったものの肝心のレースで着用したという記事は見つからず、それでいて某知恵袋やニュースサイトのコメント欄、SNSなどでは「どうしてロードレース選手はプロテクターを着用しないのか?」という質問に対して空力の悪化、重量の増加、暑さなどそれらしい理由を挙げたプロテクター否定論が数多く並べられていました。もちろんそれらの回答者が過去にプロテクターを着用していたという可能性は否定できませんが、その一方で自転車乗りの多くは経験としても知識としても「プロテクター」という存在について無知なまま、単なるイメージ論のみでロードレースとプロテクターの関係について語っているのではないかとも感じられました。そのためイメージ論で話を終わらせるのではなく、実際にプロテクターを着用してロードレースを走ってみるという検証を行おうと考え、始まったのがこの「ロードレースとプロテクター」シリーズとなります。

検証の現状

プロテクターの形

私が最も頻繁に使用しているプロテクター

 ひと口に「プロテクター」と言っても、世の中には様々な種類のプロテクターが存在しています。私がこの検証で最初に考えたのは、その中でどのようなものがロードレースへの導入に適しているかということでした。いろいろと考えた結果、現在ではロードレースに導入するプロテクターの条件として「インナーとして装着する」「胸と背中を保護する」「柔軟性があり衝撃を受けると硬化する」という3つがあると考えています。以下にそれぞれの理由を説明します。

「インナーとして装着する」
 インナーとして装着するタイプのプロテクター(「インナープロテクター」と呼称)がロードレースに適していると考える理由ですが、まずインナーであればサイクルジャージの背面ポケットを潰さずに済みます。また外見的にも目立たず、ロードバイクに乗る際のスタイルを気にする人にも比較的受け入れてもらいやすいと考えています。さらにインナーであればUCIのジャージに関する規定の影響を受けづらくもなります。

「胸と背中を保護する」
 保護部位に関してはかなり悩みましたが、現在は胸と背中を保護するのが最適解であると考えています。胸部は自転車事故において頭の次に致命傷を負う確率が高い部位であり、背中は致死率こそ高くないものの脊髄が損傷することによる重篤な後遺症(特に下半身)を患う危険性がある部位でなので保護の優先度は高いと言えます。また胸と背中を1枚のインナープロテクターでカバーできるため無駄がありません。それでいて胸や背中は自転車上で大きく動くわけでもなく、視界を妨げることもないためプロテクターを着用することで新たな危険を生むこともないだろうと考えています。

「柔軟性があり衝撃を受けると硬化する」
 胸や背中は自転車上で大きく動くわけではないとは書いたばかりですが、それでもプロテクターが体に密着し、またポジションの変化に追従してくれるというのは、選手の立場からすれば必要な条件であると考えています。そのためプロテクターの素材は手で曲げられる程度の柔軟性を持ちつつ、しっかりと衝撃を受け止める性能があるものでなければならないと考えています。

プロテクターに対する所感

 私は昨年9月の検証開始以来、実走でのトレーニング・レースの際には必ずプロテクターを着用しています。細かな感想、インプレについては以前の記事に書いてあるためここでは割愛しますが(下記マガジン参照)、プロテクターの導入に際してプロテクター以外のものを変える必要は一切ありませんでした。ジャージのサイズも変わりませんでしたし、胸バンド式の心拍系もそのまま使用できています。プロテクターは驚くほど自然に私の自転車生活に馴染み、今では着けていない方が違和感を感じるほどになっています。
 レースにも6回出場していますが、プロテクターが走りになんらかの悪影響を及ぼしたと感じる場面はありませんでした。ロードレースへのプロテクター導入に反対する意見を持つ人の中には空力や重量といった問題点を指摘する人もいましたが、空力については体感的にもデータ上でも変化を感じていませんし、重量についても体に密着する部分での500g~900g程度の重量増が体感やレースの結果に影響を与える場面は限定的であると考えられます。
 プロテクターを着用するうえで最も問題になるであろう暑い時期の蒸れの問題について検証できていないためオールシーズンとは言えないものの、少なくとも秋から春にかけてプロテクターがパフォーマンスに与える影響は、私にとっては極めて軽微であると言えます。

プロテクター導入のメリット


 ここからはロードレースにプロテクターを導入することのメリットであると私が考えている事項について説明します。特に現在ロードレースの安全性を向上させるといった名目で語られることの多いバイクコントロールや集団走行、転び方といったスキル面との差別化点について重点的に書いていこうと思います。

確実性

 ロードバイクを走らせるうえでは実に様々なスキルが存在しますし、それらはどれも重要なものです。安全性と関係があるものだけで言っても密集した集団の中でまっすぐ走る技術であったりコーナーでグリップを失わずに曲がる技術、ブレーキングや落車してしまった際の上手な転び方に関して等、挙げればキリがありません。しかし、これらのスキルをうまく発揮できるのかというのはその時々の状況に大きく左右されます。疲労や天候、路面の状況や他の選手の動向といった要素によって選手が本来持っているはずのスキルを発揮できなくなるということはよくあります。そのため非常に高度なバイクコントロールスキルを持つ選手でも、レースが始まる前に「このレースで自分は絶対に骨折しない」とは言い切れないでしょう。
 またスキルというのは始めから身についているというよりも経験を重ねることによって身に付けるものという性格が強く、スポーツバイク歴の浅い人のスキルはどうしても歴の長い人に劣りがちです。その差を埋めるためには経験を積むしかありませんが、その経験を積む段階においても自転車競技に付いて回る危険から逃れることはできません。

 その一方でプロテクターやヘルメットといった身体保護具は上記のような条件の変化に対し非常に強いと言えます。風が強かろうが雨が降っていようが路面が荒れていようが、適切に着用してさえいれば保護する部位への衝撃を和らげてくれます。また乗り手が元気であっても疲労困憊であっても、あるいは急に意識を失ったとしても変わらぬ性能を発揮してくれます。自転車歴30年のベテランライダーにも初めてロードバイクに乗る初心者にも、身に付けた瞬間から同等の保護機能を発揮するでしょう。これはスキルと身体保護具との大きな差別化点です。

客観的な分かりやすさ

 日本においてロードレースがマイナースポーツであるということは否定しようのない事実です。大多数の日本人は去年のツール覇者は誰であるかとか、日本人選手がどのような活躍をしているのかについて知りません。そして、そのような大多数の日本人の前にロードレースが姿を現すのは、多くの場合大規模な落車や重大な事故が発生した時です。つまり多くの日本人はロードレースに対する印象というものを、テレビ・SNSから流れてくる落車の映像やショッキングな記事の内容から形成しているのです。そのため一般にロードレースはその他の良い面よりも「危険な競技」としての側面を強く認知されてしまい、敬遠されがちであると私は考えています。
 特に今は国内の大会における重大事故からまだあまり時間がたっていない段階であり、ここで安全性の向上に関する有効かつ分かりやすい対策を打てなければ、外部からは「ロードレース業界は選手の安全性をないがしろにする業界である」と認識され、日本ロードレース界の発展がさらに妨げられる恐れもあると考えています。

 このような状況に対して、選手のスキル向上はあまり意味を成しません。仮に選手全体のスキルが向上し落車の発生率が低くなったとしても、ゼロにならない限り拡散されて多くの人の目に触れることになるのは切り取られたロードレースの「危険な側面」であることに変わりはないからです。スキルの向上による落車の発生率の減少というのは一目でわかる情報ではない一方で、落車自体は一目で危険性が分かるものであるため、ロードレースをよく知らない人に「ロードレースは危険だ」という印象が植えつけられてしまう状況は改善しないでしょう。

 それに対し、プロテクターは客観的な分かりやすさという点において非常に優れています。具体的に言うとプロテクターの導入には、ロードレースをよく知らない人からしても「プロテクターを着用すれば落車の際に体への衝撃が軽減されるであろう」ということが感覚的に理解しやすい点に加え、これまでロードレースに無かったプロテクターという要素を導入することによって「ロードレース業界が安全性を向上させるための取り組みをしている」という姿勢を認識しやすくなるという、二重の意味での分かりやすさがあると言えるでしょう。

検証の問題点

サンプル数の不足

 この検証の最大の問題点はプロテクターを試すサンプルとなる人が明らかに不足していることです。上ではプロテクターの所感について書いていますが、これは私個人が感じたものに過ぎず人によっては全く違う感想を持つかもしれません。プロテクターは体に密着した部分に着用するものであるため個人差はなおさら大きいものになるでしょう。そのためロードレースにプロテクターを導入できるのか、導入するために何が必要なのかをはっきりと形にしていくためには一つでも多くのデータ、一人でも多くの人の意見が必要となります。
 そしてそれらの全てが「ロードレースにプロテクターを導入すべき」という考え方の人によるものであって欲しいとも考えていません。むしろ、ロードレースへのプロテクター導入に否定的な意見を持つ人にこそプロテクターを試してもらいたいと思っています。なぜならそのような人たちの視点というのは私と大きく異なると思われるからです。私からは見えないものがそれらの人たちからは見えるかもしれないからこそ、「ロードレースにプロテクターなんて無理だろ、ネガキャンしてやるぜ」くらいの感覚でプロテクターを試してみてもらいたいと考えています。

 とはいえ、プロテクターをなかなか人に勧めづらい事情というものもあります。上ではプロテクター着用による走りへの悪影響は体感できなかったと書きましたが、それは私のレベルにおいて体感できないというだけで間違いなく重量分は遅くはなっているはずです。それがわずかな差であったとしても、自らの生計のために必死にトレーニングを重ねているプロ選手やプロを目指す若手選手、あるいは沖縄・乗鞍といったレースで少しでも良い結果を残したいと思っているホビーレーサーの方々が、周囲からの強制や空気感によって自らの意に反してまでプロテクターの着用を強いられるということはあってはならないと私は考えています。そのため私は他の選手と話している際でも直接的にプロテクターを勧めるような言動は避け、話の流れで聞かれた点や解説するべき点について答えるのみに留めるよう意識しています。
 あくまでもプロテクターを試すのは自らの成績が落ちるかもしれないという認識を持ちつつ、それでも自分の意思でプロテクターを試そうと思ってくれる人であってほしいと思います。この記事を見て、そのような人が少しでも増えてくれるよう願っています。また、プロテクターに関する情報、感想等を交換するためにTwitter上では #ProtectCyclists というタグを用意していますので、活用していただけるとなお幸いです。

今の形で良いのか?

 「プロテクターの形」の段ではどうして私が今のプロテクターを使用しているのかの理由を説明しましたが、これらはそれらの理由は何らかの科学的な根拠に基づいたものではなく、警察庁等が発表しているデータと私の考察によって導かれた形に過ぎません。プロテクターの配置、厚さなどについてはより最適なものがあるかもしれません。それを確認するためにはどこかの施設、企業規模で研究・実験がなされるべきだと思いますが、私にはお金もなければコネもないわけで、当分は最適と言えるかわからない形のものを使い続ける必要があるというのも本検証の問題点となっています。

今後の方針

 これまでプロテクターを試したレースは全てロードレース形式のものでしたが、今シーズンはロードレースをメインに据えながらタイムトライアル、ヒルクライムでもプロテクターを着用し、引き続き影響を観察していこうと考えています。また、いよいよロードレースへのプロテクター導入に対する最大の障壁である夏の蒸れ問題についても検証していこうと思います。蒸れ問題についての答えは「既成のオートバイ向けプロテクターでも問題ない」「オートバイ向けでは厳しいがロードレースに特化したプロテクターが開発されれば解決する可能性がある」「プロテクターの着用自体が難しい」のいずれかに落ち着くと思われますが、正直夏になってみないとどうなるかわかりませんね。
 またこの度J SPORTS様のコラムである「栗村修の”輪”生相談」で取り上げていただけたように、この検証活動の存在を多くの方に知ってもらえるような機会が巡ってくれば可能な限り活かしていきたいと考えています。

プロテクター以外の要素

 ここまで私自身のプロテクターに関する検証とそれを通して得た知見、および今後の方針について書いてきましたが、その一方で私はプロテクターが導入されるだけで劇的にロードレースが安全になるだろうとは考えていません。私が考えている形のプロテクターは主に死亡・重篤な後遺症のリスクを下げるという点に重点を当てているため体の多くの部分の擦過傷や骨折を防げませんし、そもそもヘルメットやプロテクターといった身体保護具は落車を減らすことができません。
 本当の意味でロードレースの安全性を向上させるためには身体保護具を充実させるのと連動して、やはり選手のスキル向上というのも必要であるように感じていますし、さらに言えばコースの設計や緩衝材の設置といったレース運営側の施策も重要になってくるでしょう。以上の3要素のどれかに頼るのではなく全てに目を向けて対策を講じ、そして改善を繰り返せるようになった時、初めてロードレースは「安全な競技」への第一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

終わりに

 気付けばかなり長い文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。この記事を読んで私の意見に共感してくださる方もいれば、「何言ってんだこいつ」と思っている方もいることでしょう。しかしロードレースがより安全な競技になってほしいという願いだけは、わざわざこの記事を開いてくださった皆様と共有できるものだと思っています。
 そんな願いを共有できる皆様には是非とも、その時々の立場に関わらずロードレースの安全性について考え続け、そして考えたことについて発信してみていただきたいと思います。それらは今のロードレース界に不足しているものであり、同時にいつかあなた自身やご友人、あるいは子供、孫世代の自転車乗りを助ける可能性を秘めたものです。私が、そして皆様が好きなロードレースという競技の今後のために、どうかお願いいたします。


Photo:井上和隆様、早稲田大学競技スポーツセンター


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