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ブックレビュー エド・キャットムル著『ピクサー流 創造するちから』

前々回の投稿でご紹介した『ピクサー流 創造するちから』(エド・キャットムル著)ですが、読み返せば読み返すほど、至言に溢れているので、グッと来た箇所をさらにご紹介したいと思います。

計画が入念すぎる人は、失敗するまでに人よりも時間がかかる(そしてつまずいたとき、失敗したという感情に押し潰されやすい)。これも当然の結果だ。時間をかけて考えたぶんだけ、そのやり方にたいする思い入れが強くなる。それがぬかるみの轍のように頭の中で凝り固まる。そこから抜け出せなくなり、一番やらなくてはならない「方向転換」が困難になる。

こちらの竹村俊助さんのnoteの内容にも通じますね。

描く対象や設定に精通しているという自信は、映画のどこを切ってもにじみ出るものだ。それは、目に見えない原動力であり、心を打つような真実を伝えようと努力しているという、つくり手と観客との暗黙の約束だ。その約束を守ろうとするとき、どんなディテールも細かすぎることはない。

これは、私も日々実感していることです。

(『レミーのおいしいレストラン』内のセリフ)「評論家というのは気楽な稼業だ。危険を冒すこともなく、料理人たちの努力の結晶に評価を下すだけでいい。辛口な批評は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。たとえ評論家にこき下ろされ三流品とよばれたとしても、料理自体のほうが評論より意味があるのだ。しかし、ときに評論家も冒険をする。その冒険とは新しい才能を見つけ、守ることだ。世間は往々にして新しい才能や創造物に対して冷たい。新人には味方が必要だ」

レストランを舞台にした作品だから「料理人と、料理評論家」の関係を語るセリフになっているけれど、すべてのつくり手と、評論する人との関係も同じだと思う。

「嵐や荒波を避けることを目標にするなら航海する意味がありません。航海とは制御できないことばかりで、いい日もあれば悪い日もある、しかし何が起きても対処する。なぜならゴールは海の向こう側にたどりつくことだからです。どうやって海を渡るかを正確にコントロールなどできません。そういう世界を選んで入って来たんです。もっと楽にシンプルに生きたいなら、そもそもボートに乗らないことです」

おっしゃる通りです。四の五の言わずに精進します……。

(ピクサーのアニメーター、オースティン・マディソンの言葉)私は、ここにいる大勢のアーティストと同じように、つねに二つの状態を行ったり来たりしています。一つ目は、完全に集中し、勘が働き、アクセル全開のクリエイティブモード。ペンを置き、アイデアが湯水のごとくわき出る! そうした時間は全体の約3%で、残りの97%は、苛立ち、苦悶し、”くしゃくしゃに丸めた紙がオフィスの隅にたまっているモード”にいます。大事なことは、落胆と絶望の泥沼を一歩ずつたゆみなく歩き続けることです。数十年間映画をつくり続け、同じように過酷な制作の現場を経験してきた先輩たちの物語を音声ガイドで聴きながら、一言で言えば『粘り強く』。粘り強く自分の物語を語り、粘り強く観客に働きかけ、粘り強く自分のビジョンに忠実であり続ける……」

付け足すことなんて何もありません。
「粘り強く自分のビジョンに忠実であり続ける」という言葉を、繰り返し自分に言い聞かせていこうと思います。

#日記 #エッセイ #コラム #コンテンツ会議 #アニメ #ピクサー #ディズニー
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