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脚本と小説の書き方の違い

脚本家と小説家。
どちらも「ストーリーを書く仕事」ですが、それぞれの書き方には明確な違いがあります。

映画やドラマの脚本は、映像化を前提とした、いわば”設計図”です。
脚本として決定稿になった後、演技や演出、音楽などの力が何層にも重なって、一つの作品として完成します。
そのため、脚本の段階で細かな描写をし過ぎると、完成した作品はクドくなりすぎてしまうんですね。
また脚本家が細かく描写をし、”決め打ち”をすることで、演技や演出の可能性を狭めてしまうという問題も起こります。
映像ができあがった時にベストの状態になることを想定して、良い設計図を描くという独特の技術を、脚本家は使っているわけです。
(実際書いている最中は、自然と”脚本モード”になっているので、「ただ今スキル発動中です!」みたいな感覚はないですが。)

これに対して小説は、その文章自体が完成品です。
脚本に比べると、自ずと描写が細かくなります。
なので、小説の映画化、ドラマ化の際に、脚本家が原作をお預かりして脚本の形にすると、原作者である小説家さんは、
「あっさりし過ぎでは? もっと濃い作品のはずなんだけど……」
と思われることが、よくあるようです。
(そういう場合は映像制作サイドから、今私が書いているようなことを原作者さんサイドにご説明して、ご理解いただくことが多いと思います。多分。)

ちょっと例を挙げてみましょう。
私が今、自室でこのnoteを書いている状況を「脚本」として描写するとします。

〇中川の自宅マンション・リビング
   PCに向かい、一人ブログを書いている中川。
   その手が止まって、
中川「うーん……」
   難しい顔で書きあぐねている。

といったところでしょうか。
私がどんな服装をしているだとか、どんな髪型だとかは、書いていません。(この後のストーリー上、「どんな服を着ているか」が深い意味を持つ場合には描写しますが。)
ここに書いたのは1シーンだけですが、実際の現場では、脚本全体から「中川」なる人物のキャラクターをスタッフに読み取ってもらい、どんな衣装を着せて、どんな髪型にするのが良いかを判断してもらうわけです。

同じ場面を「小説」として私が書くならば、
「着古したTシャツの首回りが伸びている」
とか、
「考える時の癖で、髪を一束指に巻き付けている」
のような描写を加え、読者にイメージをしてもらいやすくすると思います。

また、「難しい顔で書きあぐねている」というト書きがありますが、これも小説ならば、「書きあぐねている中川の心の内」をもう少し詳しく描写すると思います。
「脚本と小説の違いをよく分かってもらうには、最初に実例を挙げて比較した方がいいのか? それとも、ある程度説明をした上で実例を挙げた方が分かりやすいのか?
なかなか答えが出ず、度々手が止まってしまう。」
といった感じでしょうか。

こういう違いがあるために、「脚本は、読む側にも技術が必要だ」とよく言われます。
もし小説を読むのと同じ感覚で、脚本を「完成品」として読んでしまうと、良し悪しの判断を誤ってしまいます。
設計図(脚本)から、完成品(映画やドラマの映像)を予測して読むのも、一つの技術、というわけです。

人気ドラマや映画の脚本がそのまま出版されるということも、たまにはありますが、たいていは小説の形に表現しなおされ、「ノベライズ版」として出版されますよね。
あれも、脚本を読み慣れていない一般の読者の皆さんにとっては、ノベライズの方が作品世界をスムーズに楽しめるから、ということだと思います。

お勧めの脚本術の本もご紹介しておきますので、興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。

【追記】「脚本と小説の書き方の違い その2」と「その3」も書きました。

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