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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(12)第3部 ストーリー設計の原則 編成

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十三回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第3部 ストーリー設計の原則
12 編成

編成とは、シーンの順序と組み合わせを決めることである。
作曲家が音符や和音を選択するように、脚本家はどのシーンを採用してどれを除外するか、何をどの前後に入れるかを選択して話を展開させていく。
(P347より引用)

ストーリーの編成にはいくつかの確立された原則がある。
「統一性と多様性」、「ペース」、「リズムとテンポ」、「社会的・個人的進展」、「象徴性の高まり」、「アイロニー(皮肉)」、「移行の原則」だ。
(P347より引用)

「ストーリー編成の原則」に関して、著者は具体例を挙げながら解説していきます。

【統一性と多様性】

ストーリーは、たとえ無秩序を描くときでも、統一性を欠いてはならない。
どんなプロットにも「あの契機事件があったため、このクライマックスに至った」という論理の整合が不可欠だ。
たとえば『ジョーズ』なら、「サメが遊泳者を襲ったため、警察署長がサメを退治することになった」。
『クレイマー、クレイマー』であれば、「クレイマーの妻が夫と子供を残して家を出たため、最終的に夫婦で真剣問題を解決することになった」。
(P347~348より引用)

「契機事件」とは「そのあとに起こるあらゆる出来事の発端となり、ほかの四要素――段階的な混乱、重大局面、クライマックス、解決――を始動させるもの」であると、こちらの章で解説されています。

統一性は重要だが、それだけではじゅうぶんではない。
統一性のあるストーリーのなかに、可能なかぎり多様性を盛りこむことも求められる。
カサブランカ』は映画史上最も愛されていると同時に、最も多様性に富んだ作品のひとつだ。
すばらしいラブストーリーだが、その半分以上を政治ドラマが占めている。
また、上質なコメディがすぐれたシークエンスを際立たせて、ミュージカルの要素もある。
全編を通じて十余りの曲が戦略的に使われ、出来事、意味、感情を表現している。
(P348より引用)

この解説を読んで私は、カンヌ国際映画祭パルムドール、アカデミー賞作品賞を受賞の韓国映画『パラサイト』を思い浮かべました。
公開時にはSNSで感想を投稿している人も多く、「社会派ドラマであり、コメディーでもあり、サスペンス要素もあって、ジャンルが何だと言えない」という趣旨の投稿も何度か見かけたと記憶しています。
この「多様性」も『パラサイト』の魅力のひとつと言えるでしょう。



【ペース】

ストーリーは人生の隠喩なので、観客はそれを人生のように感じ、人生のリズムを味わうことを期待している。
このリズムは、相反するふたつの欲求の間で刻まれる。
人は静けさや調和、平和や安らぎを求めるものだが、あまりに平穏すぎる毎日がつづくと、やがてうんざりして無気力になり、セラピーを受ける羽目になる。
つまり、人は一方で挑戦や緊張や危険、さらには恐怖までも求める願望を持っているのだ。
とはいえ、来る日も来る日もそればかりだと、最後は病室に隔離されることになる。
人生のリズムは、この両極のあいだを行ったり来たりして刻まれている。
(P349より引用)

私たちは人生にペースの変化を求めており、「人生の隠喩」であるストーリーにも同じことを求める。
それならば、ストーリーにおける「ペースの配分」は、「人間の生理に合わせること」がコツなのだろうと、この解説を読んで私は感じました。



【リズムとテンポ】

リズムはシーンの長さで決まる。
一本の映画で、一定の時間と場所にどれくらいとどまれるだろうか。
平均的な二時間の映画には四十から六十のシーンがある。
計算すると、一シーンの平均は二分三十秒だ。
とはいえ、すべてのシーンがその長さというわけではない。
実際は一分のシーンのあとに四分のシーンがあり、三十秒のシーンのあとに六分のシーンがつづくといった具合だ。
(P351)

「平均的な二時間の映画には四十から六十のシーンがある」とあります。
原稿の推敲時にテンポが悪いと感じた時などは、この数字とご自分の作品のシーン数を比較してみると良いかと思います。
ですが、こういった目安にとらわれ過ぎないことも重要だと感じます。
著者も、本書の冒頭で以下のように述べています。

本書で論じるのは、原則であって、ルールではない。
(P12より引用)


「リズム」に続いて「テンポ」について、著者は次のように述べています。

テンポとは、シーンのなかで、会話、動作、あるいはその両方によって生まれる動きのレベルである。
たとえばベッドで静かにことばを交わす恋人の会話はテンポがゆっくりで、法廷での討論はテンポが速いだろう。
窓から外を眺めつつ、人生の重大な決断をくだそうとしている登場人物のテンポは遅く、暴徒のテンポは速い。
(P353より引用)

よく練られたストーリーでは、シーンやシークエンスが進むにつれてペースが加速する。
クライマックスが近づくにつれ、リズムやテンポが速まって徐々に各シーンが短くなり、一方でシーン内の動きが活発化する。
音楽やダンス同様、ストーリーは動的だ。
脚本家は、映画の持つ感覚的な力を使って観客を幕のクライマックスへと導く必要がある。
ストーリーが大きく変わるシーンでは、緊張状態が長く続き、展開もゆっくりであるのがふつうだからだ。
クライマックスとは、短くて爆発的ということではない。
重要な変化をもたらすのがクライマックスだ。
そんなシーンを手短にすませてよいはずがない。
しっかり展開させて命を吹きこまなくてはならない。
いったんペースを落とせば、観客はつぎに何が起こるのかと固唾を呑んでスクリーンに見入るだろう。
(P353より引用)

音楽やダンスと同様に映画にも、「リズムとテンポ心地よさ」を感じることがあります。
脚本家は、観客が「心地よい」と感じるリズムやテンポを感覚的につかみ、それを作品に与えることが重要なのでしょう。



【進展を表す】

社会的進展 登場人物のアクションが社会に及ぼす影響を大きくする

この場合、ストーリーを控えめにはじめて、冒頭で登場させるのは二、三人の主要人物にとどめる。
そして物語の進行ととともに、登場人物のアクションを外の世界へとひろげ、多くの人々の人生とかかわってそれを変えていく様子を描く。
一気に変えるのではない。進展に合わせてゆっくり影響を拡大していくのだ。
(P355より引用)

個人的な問題が徐々に外の世界へひろがって、大きな影響を与えるというこの原則を考えれば、主役が特定の職業に偏っている理由がわかる。
法律家、医師、兵士、政治家、科学者などのストーリーが多いのは、そういう立場の人々は、身近なところで何か問題が生じたとき、そのアクションの影響を社会にひろげていきやすいからだ。
(P355より引用)

このような作品の一例として、著者は『メン・イン・ブラック』を挙げています。

農夫と、稀少な石を探している逃亡中のエイリアンとの偶然の出会いが、やがて万物を危機に陥れる事態に発展する。
(P355より引用)



個人的進展 登場人物のアクションを、身近な人間関係や内面に深く影響させる。

まず、登場人物の個人的、内的葛藤からストーリーをはじめる。
厄介ではあるが、なんとか解決できそうな問題だ。
進行とともにストーリーを感情的、心理的、物理的、倫理的に掘りさげて、仮面の下に隠れた暗い秘密や口にされない真実を浮き彫りにする。
(P356より引用)

こちらの具体例の一つとして、『普通の人々』が挙げられています。

『普通の人々』に登場するのは、ある家族とその友人、それに医師だけだ。
愛情とコミュニケーションで解消できそうに思えた母と息子のあいだのわだかまりは、耐えがたい苦悩へと至る。
父親は、息子の精神の平穏を保つか、家族の一体感を保つか、そのどちらかをえらばざるをえないことに徐々に気づいていく。
息子は自殺を図り、母親はわが子に対する憎しみを明らかにし、父親は深く愛している妻を失う。
(P356より引用)



【象徴性の高まり】

ストーリーのイメージのなかで象徴性を高め、個別を普遍へ、特殊を原型へと変えていく

出来のよいストーリーは出来のよい映画を生み出す。
潜在意識に働きかける象徴を具えた出来のよいストーリーは、作品の表現力を一段高いレベルへと引きあげ、偉大と評される映画を生み出すことがある。
象徴は人の心に強く訴える力を持っている。
(P357より引用)

行ったことのない場所が舞台で、自分とはかけ離れたプロフィールの登場人物が主人公のストーリーであっても、「主人公の心情が手に取るように分かる」と感じたことはないでしょうか?
これは、「象徴性の高い作品」において起きる現象なのではないかと私は思います。
自分と主人公の具体的な人物像はかけ離れていても、ストーリーに象徴性が備えられていることで普遍性が生まれ、感情移入が促されるのではないでしょうか。

象徴性は以下のように高めよう。
まず、登場人物のアクションや役割、物語の舞台を描くが、この段階でそれらに特別な意味はない。
しかしストーリーが動き出したら、いくつかのイメージにどんどん大きな意味を与えていき、物語が終わるころには、登場人物や設定や出来事が普遍性を持つようにする。

このような作品の一例として、著者は『ターミネーター』を挙げています。

冒頭で平凡な場所で生きる平凡な人々が描かれ、ロサンゼルスのファストフード店でウェイトレスとして働くサラ・コナーの物語がはじまる。
そこに突然、2029年の未来からターミネーターとリースが現れ、ロサンゼルスの街でサラを探しまわる。
一方は殺すため、もう一方は助けるためだ。
(P358より引用)

ロサンゼルスの街は古代の迷宮の原型だと言える。
幹線道路や路地や袋小路が入り組むなか、立ち並ぶ高層ビル群のあいだを抜け、やがてターミネーターとリースは複雑な街の中心へと至る。
そこにサラがいる。
そして、ミノス王が作った迷宮の中心でテセウスが牛頭人身の怪物ミノタウロスと戦ったように、半分人間、半分ロボットのターミネーターに立ち向かう。
サラが勝利すれば、聖母マリアのように人類の救世主ジョン・コナーを産み育てることになる。
コナーは人類を来たるべき破滅から救う人物だ。
サラはウェイトレスから女神に変わり、この象徴性の高まりが、『ターミネーター』を同じジャンルで一、二を争う作品にしている。
(P358~359より引用)



【アイロニー(皮肉)】

アイロニーの要素を組み込んでストーリーを展開する

アイロニーに敏感であることは脚本家にとって大きな強みであり、これによって真実に鋭く切りこむことができる。
とはいえ、アイロニーを直接的に使うことはできない。
登場人物に「なんという皮肉な事態なんだ!」などと言わせてはいけない。
象徴性と同じく、アイロニーをあからさまに見せつけては、すべてが台なしだ。
アイロニーはさりげなく、それがもたらす効果には無頓着を装いながら、観客が理解してくれることを信じてストーリーに盛りこまなくてはならない。

ストーリーにおいてアイロニーは重要ではあるが、「登場人物に『なんという皮肉な事態なんだ!』などと言わせてはいけない」という部分が非常に重要だと私は感じます。
「観客に〇〇だと感じてほしい」「××というメッセージを観客に伝えたい」といったねらいが書き手の側にあると、ついそれを登場人物に直接的に言わせてしまう場合があります。
ですが目指すべきは、観客が自発的、かつ自然に「〇〇だな……」と感じることなのではないでしょうか。
書き手にとっては難易度が高くなりますが、その分、観客は深くメッセージを受け止めくれるはずです。

著者はここで六つの「皮肉なストーリーのパターン」を紹介しています。

1 ずっと求めていたものをようやく手に入れる……だが遅すぎた。
『オセロ』

シェイクスピア作の『オセロ』は、ヴェニスの貴族でムーア人の将軍オセロが、部下の策略により愛妻デズデモーナの不貞を疑い、殺害に至るというストーリーです。
彼は妻の自分への愛が真実のものであったことを知りますが、それは自分の手で妻を殺めた直後のことでした。

2 目標からどんどん離れていく……だが気がつくと、実はすぐ目の前にあった。
『殺したい女』(86)

本来なら自分たちが手にするはずだった金を、強欲なビジネスマン・サムに奪われたサンディとその夫ケン。
サンディとケンは、サムの妻・バーバラを誘拐して身代金を要求しますが、サムはバーバラに嫌気がさして殺すつもりでいたため、身代金を払うどころか「さっさと殺せ」と返答してきます。
当てが外れたケンとサンディでしたが、人質であるバーバラは、意外にも誘拐後の監禁生活が気に入り、ケンたちに「わたしがサムからお金をせしめてあげる」と申し出ます。

3 手放したあとで、それが自分の幸福には欠かせないものだったと気づく。
『赤い風車』(52)

主人公は画家のロートレック。
脚に障害を持つロートレックは、美しいミリアム・ハイエムと友人になる。
ロートレックはミリアムへの恋心を打ち明けられず、彼女が自分と共にいるのはハンサムな男性たちと出会う機会を得るためだと思い込みます。
ある日、酔った勢いでロートレックはミリアムをなじり、自らの人生から彼女を追い出してしまいます。
その後ミリアムから「あなたがいつか振り向いてくれるのを待っていた」という手紙を受け取るロートレック。
彼女はすでに別の男性からのプロポーズを受けており、ロートレックは酒浸りになって命を落とします。

4 意図せずにしたことが目標の達成につながる。
『トッツィー』

俳優のマイケルは実力はあるが、完璧主義が裏目に出て仕事にあぶれています。
ある日、女優のふりをしてメロドラマのオーディションを受けたところ、合格。
撮影に入ると、共演者の女優ジュリーに恋をしますが、マイケルは撮影現場で”女優”であり続けなければいけないため、ジュリーに気持ちを伝えるわけにはいきません。
さらにマイケルは、ジュリーの父親から結婚を迫られてしまって……。

5 あるものを破壊するためにとった行動が、自分の身を破滅させる。
『雨』(32)

宣教師のヴィットソンは、娼婦のサディの魂を救おうと苦闘していたはずが、肉欲に負けて彼女を犯し、自殺に至ります。

6 あるものを手にするが、そのせいで不幸になると考え、なんとか遠ざけようとする……だが、幸福な贈り物であったことに気づく。
『赤ちゃん教育』

無鉄砲な令嬢スーザンは、気難しい古生物学者のデヴィットを気に入って、つきまとうようになります。
デヴィットの方は何とかスーザンを遠ざけようとしますが、スーザンは粘り強くて……。
やがてデヴィットは、スーザンのおかげで人生の楽しみを知ることになります。


【移行の原則】

進展が感じられないストーリーは、シーンの変わり目でつまずきやすい。
各シーンの出来事をつなぐものがないため、連続性が欠落するのだ。
アクションの連鎖を設計していくときは、同時につぎのシーンへのスムーズな移行にも気を配らなくてはならない。
そこで、シーンAの最後とシーンBの最初をつなぐ第三の要素が必要になる。
一般的に、この第三の要素は、ふたつのシーンに共通するものか、両方で対立するもののどちらかであることが多い。

第三の要素はいわば以降の蝶番だ。ふたつのシーンに共通する、あるいは両方で対立する何かである。
(P363より引用)

移行の蝶番となる「二つのシーンに共通する、あるいは対立する何か」の例として、著者は以下のようなものを挙げています。

例:
1 性格の特徴
共通:生意気な子どもから、子供じみた大人へ。
対立:垢ぬけない主人公から、洗練された敵へ。

2 行動
共通:セックスの前戯から、その後の余韻へ。
対立:おしゃべりから、冷たい沈黙へ。

3 場所
共通:温室のなかから、森林へ。
対立:コンゴから、南極大陸へ。

4 ことば
共通:ひとつの台詞から、まったく同じ台詞へ。
対立:賛辞から、悪態へ。

5 光の質
共通:夜明けの薄明かりから、夕暮れの薄闇へ。
対立:赤から、青へ。

6 音
共通:岸を洗う波の音から、寝息へ。
対立:シルクと肌がすれ合う音から、歯車がきしる音へ。

7 概念
共通:子供の誕生から、序章へ。
対立:真っ白なキャンバスから、死の淵にある老人へ。
(P363~364より引用)


☆「第3部ストーリー設計の原則 13 重大局面、クライマックス、解決」に続く

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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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