見出し画像

脚本と小説の書き方の違い その3

「脚本家です」と名乗ると、
「小説家さんとは、どう違うんですか?」
と尋ねられることが多いので、これまでに二度「脚本と小説の書き方の違い」という投稿をしました。
脚本と小説の書き方の違い←こちらでは、それぞれの描写の仕方の違いをご説明し、
脚本と小説の書き方の違い その2』←こちらの投稿では構成の違いを中心にご説明しました。

今回は、noteで全文無料公開中の小説『すずシネマパラダイス』を例に挙げてご説明してみたいと思います。

この作品は、もともと映画企画として立ち上げたものなので、noteに投稿してある「小説版すずパラ」よりも前に、「映画脚本版すずパラ」というものが存在しています。
(その辺りの経緯は、こちらの投稿に書きました。)
そこで、同一シーンを「小説として書いた場合」と、「脚本として書いた場合」の例をお見せしたいと思います。

まずは「小説版すずパラ」の冒頭シーンです。

――演歌のカラオケビデオかよ。
故郷の海に向かって、心の中で毒づいた。三月といってもまだ風は冷たい。鉛色の日本海で、また波が砕けた。

 ここは能登半島の先っぽ、石川県珠洲(すず)市の海岸。
 200メートルほど先には小さな島が見える。その形から「軍艦島」とも呼ばれる見附島だ。長崎にも、世界遺産に認定された同じ名前の島があるが、あちらを精巧なプラモデルに例えるなら、こちらは子供が風呂に浮かべて遊ぶおもちゃのような風貌で、観光ポスターには必ず登場する能登のシンボルだ。

 一雄は、両手の人差し指と親指でフレームを作ると、まん中に軍艦島を据えてみた。片目でにらみ、絵になる構図を探る。
 いつからか、これが一雄の癖になっていた。いや、癖というより好きなのだ。正直に言えば、人に見てもらいたくてわざとやることだってある。いっぱしのクリエイター気分……。それは、いつでも一雄を甘く酔わせてくれる。

 金色にブリーチした髪も、スタッズだらけの革ジャンも、言ってみれば一雄なりの演出だ。俺はそこら辺のヤツとは違う。オッサンたちは勝手な上から目線で「ゆとり」だの「さとり」だのレッテルを貼りたがるけど、二十一って年齢だけで一括りにされるなんて冗談じゃない。浜野一雄は誰にも媚びたりしない。俺が信じるのは、俺の感性だけ。
――ということをファッションで表現しているつもりだ。

 だが、寒風吹きすさぶ海岸に人影はなく、”イケてる俺”を見せる相手はいない。 フン、と鼻を鳴らすと、一雄は足もとのスポーツバッグを担いで歩きだした。


続いて、「脚本版すずパラ」の冒頭シーンです。

〇 珠洲市・見付海岸
  
  日本海の荒波が砕けている。
  一人、鉛色の海を睨んでいる浜野一雄(21)。
  金髪頭にパンク風ファッションだが、童顔過ぎて似合ってない。
  三月とは言え吹く風は冷たく、一雄は身をすくめる。
  両手の指で四角を作る一雄。カメラの構図を決めるときのポーズ。
  架空のフレームの真ん中に見附島(軍艦島)を入れ込み、片目をつぶって見つめる。
  だが、すぐに止めてしまい、フンと鼻を鳴らすと、足元のスポーツバッグを担いで去る。

脚本版は、小説版に比べてかなりシンプルですよね。
この原稿を基に、映像をつくることを前提としているので、小説版では細かく描写している「軍艦島の形」のような、「映像を見ればわかることを」を脚本上で逐一説明する必要はありません。
また小説版の方は「演歌のカラオケビデオかよ」という一雄の内心の毒づきから始めていますが、映画ならば、観客は「演歌のカラオケビデオを思わせる映像そのもの」を目にすることになるので、一雄の言葉を使って説明する必要はないと判断しています。

一雄の「無駄に粋がっている感じ」に関しても、脚本上の表現の方がずっとシンプルです。
これも、映像になった際には演技、演出を通して観客に伝わる情報が数多くあるからです。
もし、ここにナレーションをつけて「一雄は、こういう性格で、ファッションにはこういうこだわりがあって……」といった説明を入れると、くどくなり、ストーリーに入り込めなくなると考え、こういう描写を選んでいます。

小説の場合は、読者が得られる情報は「原稿上に書かれていることだけ」です。
ですので、小説内で「軍艦島」という名前を出しただけでは、長崎の軍艦島の方が頭に浮かぶ人も多いでしょうし、書き手が伝えたいイメージを頭に思い描いてもらうことができません。
そのため、自ずと描写が細かくなります。

また小説ならば、登場人物の「言葉に出さない心情」や「過去に起きた出来事」などを地の文(セリフ以外の部分)で説明しても、読者はそれほど不自然に感じることはありません。
ですが、同じ内容を長々と映画やドラマのナレーションにしたり、無理やりセリフにしたりすると、いかにも説明的な感じがして、冗長になるため、脚本の場合は「説明と気づかれない形で説明をする(さりげなく観客に情報提示する)」という工夫が必要となります。

今回取り上げた「すずパラ」の冒頭シーンにセリフは出てきませんが、小説と脚本では、セリフにも違いがあります。
「すずパラ」は小説も脚本も私が書いているので、例外的にセリフにほぼ差異はありませんが、既存の小説を原作として、脚本家が映画、ドラマ用の脚本を書く場合(=小説家と脚本家が別の場合)、小説のセリフをそのまま脚本内で使うと、「説明っぽい」「話し言葉として不自然」といった問題が起きがちです。

「お入りなさいよ」
ベッドルームの戸口で突っ立っている男へ、彼女は声をかけた。
「ここは友達の部屋なの。早くしないと友達が帰ってきちゃうかもしれないわ。入って。―――ドアを閉めて」

これは、赤川次郎氏の大ヒット小説『三毛猫ホームズの推理』のワンシーンです。
数行引用しただけでも、いかにも事件が起こりそうなドキドキ感が伝わってきますが、私がこのシーンを「脚本」にするなら、セリフは以下のように変えると思います。

「早く。友達が帰ってきちゃう」

「目で読むこと」を前提とした言葉と、「人の声を通して聞くこと」を前提とした言葉は別物であり、一方に適した表現が、もう一方には適さないこともあるわけです。

お勧めの脚本術の本もご紹介しておきますので、ご興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。

****************
脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

スキ♡ボタンは、noteに会員登録してない方も押せますよ!

Twitterアカウント @chiezo2222


noteで全文無料公開中の小説『すずシネマパラダイス』は映画化を目指しています。 https://note.mu/kotoritori/n/nff436c3aef64 サポートいただきましたら、映画化に向けての活動費用に遣わせていただきます!