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それは、砂金採りに似た行為

1本の脚本が完成するまでには多くの段階がありますが、その中で、私は「資料読み」がかなり好きです。
例えば特定の職業や、過去のある事象などについて、深く調べようと思えば資料となる本は数多くあります。
以前、ホテルを舞台にしたドラマの脚本を書いたときは、私が住んでいる区のすべての図書館に置いてあるホテルサービス関連の本を読み漁りました。
(全部読んだ!と断言はできませんが、気持ちの上では「読み尽くした」と思っています。)

それらの本の中で、複数の著者が「ホテルは、”旅先のわが家”であるべきだと言われている」と書いていました。
どんな高級ホテルであっても、訪れた人がわが家にいるかのようにリラックスできることが重要。
その場にいることで緊張を強いられるようでは、ホテルとして一流とは言えない、という意味です。
とても心に残るフレーズで、ホテルサービスの本質を表していると思ったので、脚本の中で、ある登場人物にこの言葉を言わせました。

ですが、こんな風に資料本から得た知識が、作品に直接的に役立つことはごくまれです。
作劇のセオリーとして、
「資料読みや取材は山ほどしろ。そして、いざ脚本を書く段になったら、それを忘れろ」
ということがよく言われています。
「調べたことを全部盛り込みたい!」というセコい(?)考えに捉われると、それに引きずられて展開やセリフが不自然になり、逆効果だからです。

区立図書館中の数十冊の本を読んで、「ホテルは旅先のわが家」というフレーズにたどり着いたと考えると、効率は決してよくありません。
この作品に限らず、資料読みとはそういうものだと思っています。
感覚としては、砂金採りのような感じ。
たくさんの砂をすくって、その中にポツッと一粒あるかもしれない金を探し続ける……。
これは「作劇における資料読み」に限ったことではなく、勉強全般についても言えることかもしれません。
「学校で勉強することなんて、実生活では使わないことばっかり」
と、勉強をしたくない子どもたちがよく言いますが、一人一人の人生において、どれが砂粒で、どれが金の粒になるかは分かりません。
「こんなの砂だ」と思っていた粒が、あるとき金に変わることだってあるわけで、だから効率は悪くても、たくさんすくって金の粒に出会う回数をできるだけ増やしたほうがいい、ということなんでしょうね。

……ということに、学生の頃に気づいていれば、もうちょっと真面目に勉強したのかな?
いや、私は大人にこういうことを言われても、「へー」とか言って聞き流すタイプだったな。

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