映画「サンシャイン・クリーニング」感想

 どぎつくもあざとい設定の組み方や、とっちらかった伏線を全く回収しようとしないシナリオに肯定的な印象を持てるかどうかが評価の分水嶺になるだろう。私が「リトル・ミス・サンシャイン」を愛していることは、すでに諸君へ伝わっていることと思う。物語の始まりと終わりで主人公の立ち位置や世界観が大きく変わったことを実感できるのが良い物語の条件だ。

 この映画において、主人公の客観的状況は開始時点より悪化したままで終わるのだが、にも関わらず爽やかですらある“読後感”を視聴者に与えている。君の人生の一部を物語として切り出して提示することを想像して欲しい。きっとエンドマークの位置が全体の印象を決定するだろう。この物語では、人間関係でままある錯覚の瞬間にそれを持ってきた。感情剥き出しの大喧嘩の後に互いの関係が深まったと感ずるような、祈りにも似たあの錯覚だ。それは日常という偉大な復元力を前にして、気づけばいつもすっかり元通りに、何も無かったのと同じに戻ってしまう。

 本作の主人公もエンドロールを越えた先で、まるで何も無かったかのようになんとかしのいでやっていくだろう。だがそれでも、何も無かったよりはずっといいのだ。だから、私はこの映画を肯定したい。

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