ゲーム「ブルーアーカイブ・エデン条約編」感想

 ブルアカを早々にリタイアしたと言いましたが、第3章の評判がすごくいいので始めた側面があり、それを読むためにコツコツAP消費でレベル上げだけはやっていました。そして、昨日ついにエデン条約編を読んだのですが、たしかにみなさんおっしゃる通り、とてもおもしろかった! 第1章のさわりだけ読んで、あとはテキスト全スキップで進めてきたため、最初はかなり懐疑的な気持ちだったのですが、冒頭シークエンスから一気に引きこまれました。ここに至るまでストーリーをほぼ読んでいないので、対立する組織と人間関係を理解するのに苦労したものの、ドーンと落としてからガーンと上げてタイトル回収までする、少年漫画の王道を映画化したような内容に胸をうたれました。特に、後半のパートで示された「自分のものではない憎悪」というのは、いまを生きる上で重要な考え方だと思います。「継承される他者への憎悪」とは、養育者から感情を伴った身体性として与えられるため、体感としてのリアルを否定しにくい。それを克服する道筋は人の数だけあり、憎悪を解消できない者がひとりでも残れば、その人物の社会的な属性によって本邦が経験し続けているテロから海の向こうで始まった戦争まで、あらゆる破滅の萌芽に至る可能性を排除できないことなってしまう。

 エデン条約編、全体としては好意的に受け止めながら、気にかかるところを3点ほど挙げておきます(これをやるから、人が離れる)。1つ目は、「歴史の闇」「累積する憎悪」そして「人を殺すということ」、これだけ今日的でハードな中身を描いておきながら、言ってもせんのないこととは承知しつつ言葉にするならば、登場人物の全員が美少女かつ未成年だというところです。現代の男たちは己の性別に対する懐疑と多くの矛盾した要請を投げつけられ、そのどれをも果たそうともがき続けた結果、確実に好意だけを寄せてくれる美少女たちに励まされることでしか、社会的な課題や人間関係の軋轢とは対峙できないほど弱りきっているということなのかもしれません。

 2つ目ですが、「人を殺すことによる不可逆の変容」を説得力ある筆致で描写しておきながら、第3章を通じて結局だれひとり死んでいないのには拙者、「おろ? 不殺の誓いにござるか?」と反射的に揶揄してしまったで御座候。ガチャに入っているキャラを退場させられないのは、アプリゲーのストーリーテリングにおけるメタ的な弱点であると感じた次第に回転焼。そういえば、殺人への大きな意味づけをしながら最後の一線を越えられない作品って、なにかあったなー、なんだったかなーと考えていたら、グラップラー刃牙だった。

 3つ目、ブルアカは半島の制作会社によるゲーム(大陸産とカン違いしてて、すいません)で、この物語をつむぐ日本語がノンネイティブによるものだとしたら、もしかすると我々は我々の言語が本質的に変容していく、その端緒にいるのかもしれません。ブルアカや原神のプレイヤーは若い世代に多く、彼らが復唱したくなるセリフや心うたれるフレーズは、いまや他言語の話者によって書かれているのです。だとすれば、旧世代の最後の生き残りである言語魔術師(笑)として、古ぼけたこの秘儀をインターネットの片隅で細々と伝えていくことが、私に残された最後の使命なのかもしれません。


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